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②淫らな真実と千年の愛

「本来なら僕が受ける責め苦、だって!?  なぜ、兄上は……僕は。  こんな……こんな……罪人より酷い仕打ちを受けなければならないんだ!?」  エルンストは怒鳴った。  しかし、疑問を解決するよりも、ユリウスの手当が先だった。  一刻も早くユリウスの傷を癒し、身体を這うおぞましい器具を取り除きたかったのだ。  その作業を、寒々しい石の上でなんてできない。  せめて自分が使っていた寝室に連れて行くつもりで、ユリウスを抱き上げようとしたエルンストをノアは止めた。 「お待ちください。  傷の手当は、ここで行うのが、一番ふさわしいかと思います」  信じられないノアの言葉に、エルンストは叫ぶ。 「この何も無い部屋で、何が出来るんだ!」 「少なくとも、古典魔法を行うのに必要なモノだけは豊富にとり揃えております。  ユリウスさまの傷は、古典魔法でたやすく治ります」 「……古典魔法、だって!?」  エルンストも一応古典魔法の存在は知っていた。  しかし、言葉一つで山を砕き、水さえも燃やした、と言われる古典魔法が廃れて、久しい。  カレンベルク家の一族とはいえ、管理する迷宮のような図書室の奥深くに眠る禁断の書物の存在を知らないのだ。  エルンストが得ている知識は、世間一般人と、そう変わらない。  今は、一刻も早いユリウスの手当をしたかった。  突然言われた側近ノアの絵空事のような話にエルンストは、激高と不機嫌に顔を歪めた。 「いい加減にして! 今はふざけてる場合では……」 『tempus(テムプス)刻ノ治療(ヒール)】』  ノアはエルンストに構わず力ある言葉を開放した。  その途端。  ユリウスの身体を埋め尽くしていた様々な傷のうち、新しい順に次々と癒されていく。  滲む血が止まった、というレベルの問題ではない。  傷ごと消えてなくなったのだ。  常識では考えられないことだった。  まさしく『魔法』を存在を目の当たりにして、エルンストは大きく息を呑み、目を見張った。 「こ、これは……一体……」 「だから、古典魔法だと、何度も申し上げました。  便利でしょう?  しかし、またこの力のために、カレンベルク家の当主は、その家系を受け継ぐたびに、この有様です」  一回の魔法で、半分ほどが治ったとはいえ、ユリウスの全身を犯す器具は外れていなかった。  受けた暴力と凌辱の痕は、未だ生々しい。  エルンストは、ユリウスの前にがっくりと膝をついた。 「なんで……」  口の中で呻くエルンストの背後で、ノアはいかにも楽しげにほほ笑み、しかし口調だけは真摯に告げる。 「カレンベルク家は、古典魔法を極め、守る家系です。  そして人類最大の帝国を築いた皇帝、皇族の皆さまでさえ、古典魔法を使うカレンベルクの血を引く者たちが、怖いのです」  今から千年前。  帝国初代の皇帝が、まだ一介の剣士でしかなかったころ。  カレンベルク家は、既に古典魔術を極めた魔法使いの一族でした。  そう、ノアは語る。  初代のカレンベルク家の当主は、ただ『愛する人のために』とそれだけの理由で、世界制覇を夢見る剣士に手を貸したのだ。  もともと様々な種族、国家がひしめきあっていた大陸だった。  それがあっという間に平定されたのは、もちろん、手練れの古典魔法使いの力があってこそ。  カレンベルク家当主は、剣士の壮大な野望に何の対価も見返りも求めなかったのに。  最初は自分の力のように古典魔法を便利に使っていた剣士は、やがて世界を統べる皇帝となって考えを改めた。  時が経つに従い、古典魔法の得体の知れなさが恐ろしくなったのだ。  古典魔法の基本は、快楽を感じた時に放たれる自身の生命力と、子種に宿る命とを神への供物に、魔力を手に入れる。  そんな使い方を知った代々の皇帝たちは、カレンベルク家から古典魔法取り上げるべく考える。  古典魔法を使う一族は、神への供物ではない所で性を発散させてしまえば、恐ろしい魔力は手に入らない。  カレンベルク家の当主を媚薬で縛り『皇帝への純愛に誓って』帝国に従い、身を投げ出す覚悟を示させる儀式にすれば安心できる。  やがて、カレンベルク家の千年の愛は当主の座を継ぐ、叙勲式前夜に快楽と痛みに酔いしれる歪んだ誓いとなった。  さらに、初代皇帝から悠久の時を経るにつれ、常識も変わる。  帝国に従う国が増えるにつれ、多彩な文化や生活習慣が入交り、古典魔法に必要な神を祀ることが難しくなったという名目。  あるいは、科学という新魔法を積極的に取り入れることにより、皇帝は徐々に古典魔法の力を削ぎ、人の記憶からその存在を消すことに成功した。  結果、この万能と奇跡に彩られた古典魔法自体が廃れることになったのだ。  巨大な帝国を興す為に散々使った皇族の間でも、その存在を忘れ去られるくらいには。  こうなると、人類の叡智(えいち)の結晶。古典魔法に成り代わって発展した科学の証明とも言える書籍の管理をカレンベルク家が引き受けているのも皮肉な話だ。  結局カレンベルク家は、古典魔法をさらに追い詰めた皇帝の思惑にも、乗らざるをえなくなった。  しかし、棚で迷宮が出来るほどの大量の本の間に、禁書になったはずの古典魔法の本を紛れ込ませ、最後にあがいてみせたのだ。 「まさか……こんな秘密があったなんて……」  初めて聞く、物語じみたノアの話だ。  何も知らなかった事を恥じて、うな垂れたエルンストの耳元に、ノアは囁く。 「そう、お気を落とさずに。  カレンベルク家の当主になる本人だけが、こっそり知らされる秘密です」 「僕は、知らなかったぞ!」 「当然です。  この秘密は、ユリウスさまが、エルンストさまに最も知られたくなかった事実の一つでしたから。  なのに少し早起きした貴方にあっさり知られるなんて、不本意の極みでしょうね」  ユリウスは、エルンストを守るために歴代の秘密を隠し、責め苦を受けた。  そう、ユリウスの意図を正確に理解し、しかしエルンストは首を傾げる。 「僕を守るため、というなら、なぜ兄上は二度もカレンベルク家相続の義を受けたんだ?」  歪んだ欲望に穢れた忌まわしい儀式など、一度受ければ十分なはずだ。  エルンストを守るためというならば、ユリウスはそのまま当主の座に収まっているだけでいい。  それだけで十分にエルンストを守る事になるはずなのに、わざわざ自分を死んだ事にしてまで叙勲前夜の儀式を受けるなんて、おかしい。  エルンストの疑問に、ノアは、ふふふ、と意味深げに笑った。 「それは、ユリウスさまが、淫乱なΩ性だから、ではないですか?」  実際は、ユリウスが人の上に立つのに適したα性であり、Ω性なのは、エルンストの方だ。  そんなことは、当然ノアも把握していてなお、エルンストの心を楽しそうに弄ぶ。 「エルンストさまには気がひけますが……実はユリウスさまには、人には言えないご趣味があります」  流れるように溢れるノアの言葉を、エルンストは真面目な顔をして聞いた。 「……それは、なに?」 「身心に痛みや苦痛を受けると、それが快楽となる、被虐の相です」 「ひぎゃくのそう……?」  聞き慣れない言葉を、オウム返しに呟いたエルンストに、ノアは、笑いをこらえた神妙な顔で、頷いた。 「ご覧ください、エルンストさま。  千年に及ぶ、淫らな儀式の果てに完成されたカレンベルク家にふさわしい、ユリウスさまのお姿とご様子を」

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