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第2話

ー10年前ー 思わず顔をしかめるほどの悪臭が、竜臣のすぐ隣から風に乗って鼻を掠めた。 お風呂に入っていない人間特有の臭い。思わず息を止めてしまう。チラリとその臭いの主に目をやると、机に突っ伏し寝ている。 伸び放題の髪は、洗っていないのかしっとりとしていて、伸びきっている髪で覆われている目はいつも死んだ魚のような目をしていた。悪臭がこびり付いた制服からも、その臭いが発せられている。 その男は九條龍聖と言った。 1〜2年の頃は至って普通の中学生だったはずだ。 中学生らしからぬガッチリとした体型で、すでに身長も180センチ近くありそうに見えた。その体型を活かし、野球部に所属しキャッチャーをやっていたはずだ。だが、そのガッチリした体型も三年に進級したこの三ヶ月の間でやつれ、野球部もいつの間にか辞めていた。 そして、いつの間にか悪臭を漂わせる不潔で暗いに人間になってしまった。 「九條!おまえ臭えんだよ!」 そう言ってクラスの男子の一人が龍聖に蹴りを入れた。 その勢いで、龍聖は椅子ごと倒れてしまった。こともあろうに、隣の席の竜臣の体にその悪臭漂う龍聖の体が密着した。 (あ、臭え……) 思わず顔をしかめる。 「いてーな、こらっ」 「ご、ごめん……」 長い黒髪に隠れた瞳が怯えたように揺れた。 その瞳を見た次の瞬間、竜臣の頭にカッと血が上った。 竜臣の目を見たその男子生徒は焦ったように、 「わ、悪い、江藤……!」 ヘラヘラと愛想笑いを浮かべている。 龍聖は殴れると思ったのか、ぎゅっと目を閉じている。それを竜臣は無視し、龍聖の体を跨ぐと蹴った男子生徒の頭を掴み、頭突きを顔面にくらわせた。 「ぐあっ!」 男子生徒の鼻から血が吹き出し、その場に蹲った。 「きゃー!」 女子の悲鳴が教室に響いた。 竜臣は蹲るその男子生徒を冷めた目で見下ろし、龍聖に目を向けた。 「おまえなら、こんな奴なんて事ねーだろ」 そう言うと、龍聖の目は弱々しく揺れたと思うと逸らされた。 江藤竜臣には誰も近寄る者も関わる者もいない。 竜臣の家は極道だった。 祖父は構成員三千人を抱える暴力団、藤神会の会長。父はその藤神会の若頭。おそらく竜臣自身、その道を歩む事になるだろう。 竜臣は一見すると、モデルのような美少年だった。無造作なマッシュウルフの髪型はアッシュグレー。涼しげな目元と形の良い薄い唇は少し中性的な印象で、日本人離れした顔立ちだ。 だが、すでに極道になる片鱗はあった。その目は、ぞっとするような冷ややかな目をしており、中学生の域を超えた面構えだった。 騒動を聞きつけた教師が慌てたように教室に入ってくると、龍聖は逃げるように教室出て行った。 血塗れの生徒は教師に抱えられ、保健室へ行ったようだった。 『江藤の仕業じゃ、仕方がない』 そんな空気が漂っていた。 何か踏んだ感触があり、竜臣は足元に目を落とすと生徒手帳が落ちていた。それを拾い上げ中を見た。九條龍聖の物だった。 生徒手帳の写真のその顔は、今のように怯えた顔はなく、歯に噛んだ笑みを浮かべ、どこにでもいる普通の中学生の顔をしていた。 なぜ、あんな風になってしまったのか。 竜臣と龍聖は、小学校の同級生だった。 とは言っても、過ごしたのは一年間という短い期間だ。 小学校四年の時、竜臣は龍聖のクラスに転校してきた。竜臣がヤクザの息子だという事は、あっという間に広がり、それが原因でいじめに遭った。それを、その当時からガタイが良かった龍聖が助けてくれたのだ。 いじめはなくなったものの、いつも一人でいる竜臣を龍聖は何かと気にかけ、優しく声をかけてくれた。明るく元気で、いつもクラスの中心的存在の龍聖は竜臣にとって憧れの存在であった。 だが、5年生に上がる時、龍聖は母親が再婚するという理由で転校してしまった。 そして、なぜかまた中学で再会したのだ。 龍聖との再会に嬉しくも思った。何度か話しかけて来ようとした龍聖を、ヤクザの息子である自分と関わり合わせる事に躊躇いを感じ、竜臣は距離を置いてしまった。 その日、龍聖は教室に戻ってくる事はなかった。

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