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第16話

見せたいものがある、と凪が電話を寄越したのは、いつもより規模の大きな仕事がようやく終わりの兆しを見せた頃だった。何度かの徹夜を乗り越え、ようやく家に帰ることができるとほっとしていたところだ。この職業についてもう六年になるけれど、これだけ消耗する仕事は初めてだった。精神状態も体調も死線を越えつつあると言ったところ、凪は笑って泊まりにおいでと言った。近頃は凪の甘い言葉に乗せられるまま、自分のアパートに帰る頻度と凪のところに泊まる頻度の比が変わりつつある。徹夜続きで体調が最悪でも、それでも凪の声を聞いて顔を見たいと思う。森は渋る風を装いながら凪の誘いを受けた。筋金入りの捻くれた性格がそう変わるはずもない。待ってるよ、と言った凪の声は森の胸を熱く疼かせたけれど。 プレゼン用の資料も完璧にまとめ、他の仕事もきりのいいところまで進めると、森は久し振りに定時でオフィスを出た。帰り際、ノアに浮かれ顔をからかわれてしまった。ポーカーフェイスはいつもうまくいかない。わかりやすい性格であるということはとうとう自分でも認めることにした。だからといって素直になれるわけではないけれど。 逸る気持ちを抑え、地下鉄に乗って凪のアパートを目指す。三月も半ばになり、陽も長くなってきていた。身を縮めてしまうような寒さも和らいだ。夜の色と光に染まっていく街は時折ここがニューヨークだということを忘れさせそうなくらい幻想的だ。地下鉄の駅を出て、早足の人たちとすれ違いながらそんなことを考えた。 凪のアパートは森のオフィスから十分ほどで着く。いつ来ても立派なアパートだ。乗り慣れたエレベーターは、止まる時にいつも大袈裟に揺れる。いつものことながら森は振動に肩を震わせ、エレベーターを降り凪の部屋の前に立つ。寝不足と疲労でぼんやりした頭が少しはっきりするような気がした。ベルを鳴らすと、少ししてドアが開かれる。温かな光が漏れて、安堵が広がる。 「お疲れ」 凪は森の頭を引き寄せ、額にキスをした。その行為に凪は一片の気恥ずかしさも滲ませない。森は赤く染まった頬を隠しながら部屋へと入った。 「寒くなかった?」 「ん……平気」 「そっか。腹減ってる?」 「……それより眠い」 「そっか。俺も寝ようかな」 「んー……」 「でもその前にちょっと見て欲しいんだけど」 凪は森を振り返り笑みを浮かべた。意図が汲めずに顔を顰めた森は、ふとテーブルの上に目を留め、立ち止まった。 「……何、それ」 凪は笑って、森の腕を引っ張りテーブルの前に立たせた。繋いだ手から熱があっという間に広がる。 「何か気に入らないとこある?」 「……ていうか、何、これ」 「大きい風呂と陽がたくさん射すベッドルーム、でしょ?」 どうかな、と言って青いバスルームと大きなベッドが置かれたベッドルームを指差した。それは凪といつか話していた通りの、家の模型だった。こじんまりとしているけれど、とても丁寧に作られている。ベッドルームは吹き抜けで、天窓がついている。確かにたくさんの陽を溜め込むだろう。いつも光に溢れる部屋を想像して、森の胸は熱くなった。 「……、」 何も言えなくなって俯くと、凪は笑って、繋いだ手から優しく凪を引き寄せた。 「内緒で作ってた」 「……」 「だめかな。気に入らない?」 「……また……コンペでも……出すのかよ……」 凪は笑いながら森の背中をとん、と小さく叩いた。 「出さない。これは住むための家だから」 「……あんたが」 「うん。俺と、森が。いつか」 耳元に唇を寄せた凪が、小さな声で囁くように言った。森は凪の肩口に顔を埋め、背中に回した腕に力を込める。 「……ずるい……って……」 涙声を自覚すると、本当に涙が零れて頬を伝った。凪と出会ってからは本当に泣き通しだ。 「……泣いてる?」 「っ……」 「泣かすつもりなんかなかったんだけど」 「……うそ……つけ……」 「……森」 「……っ」 「顔、見たい」 凪の指先が目元に触れ、そのまま顔を上げさせられる。凪は森と額を合わせながら、真っ赤、と笑った。確かに顔が熱い。凪の額を冷たく感じた。 「……一緒に住んでくれる?」 「……何で、ベッドルームひとつなんだよ」 「だめ。そこは譲れない。絶対ひとつ」 「住みにくい」 「住みにくくないよ。ちゃんと設計してあるんだから」 「……」 「そうすれば、喧嘩しても寝るまでには仲直りできるかと思って」 「……何だよ、それ」 「さっきの返事は?」 森は恥ずかしくなって目を逸らす。凪が畏まった声でまた森、と名前を呼んだ。森は諦めて顔を上げる。 「……だめ、」 「……だめ……じゃない……」 「……うん、よかった」 凪は笑って、森の頬に手を当てた。唇を重ねると、熱の層が何重にもなって溶けながら広がる。森はキスに応えながら感覚を追った。目を閉じて、想像する。真っ直ぐに張られたフローリング、二人で入ることのできるバスタブ、それから柔らかな日差しを取り込む大きな窓に、大きなベッド。キスを深めて、指を絡ませ合いながら、森は身体の中に広がる温かな液体に満たされるような気分になった。本人に言葉で伝えられるのはまだずっと先のことになりそうだけれど。 今はまだ小さな模型でしかないけれど、いつかこのベッドで二人で眠る時が待ち遠しい――とても。

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