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Suger

 眠りの向こうにうっすら流れていた音が、諦めとともに少しずつ大きくなる。いつものFMラジオのいつものトークを聞きながら、うーんと唸った喉はからからに乾いている。右隣はもう空っぽで、少しへこんだ枕に一度顔を埋めてから、身体を起こす。  昨夜は遅くまでずいぶん呑んだ。むべなるかな、二日酔いで迎える朝だ。  寝室を出ると、明るいキッチンは豊かな匂いとラジオの音で満ちている。 「おはよう」 「おはよう」  ほっそりした後姿の君は僕を振り向かずに返事をして、ドリッパーに細い湯を注いでいる。君の手ずから淹れるコーヒーは、この世で一番美味い。  顔を洗って髭を剃って、髪をひと撫でしてから、君が毎日僕の分までアイロンをかけてくれるワイシャツに袖を通す。  そうすると、テーブルの上には計ったように、焼き立てのトーストと目玉焼き、そしてコーヒーが並んでいるのだ。 「いただきます」  感謝を込めて唱えて、コーヒーに口をつける。  まずは深煎りの燻った匂いが鼻をくすぐり、それから、どろりと不快な液体が口の中に広がった――ひどく苦く、ひどく甘い。 「うわ、なんだ、これ」  無理やり飲み込んだあとも、ざらざらと舌に砂のような感触が残る。ああ、これは、とんでもなく濃く入れたコーヒーに、溶かしきれないほど砂糖を入れたものだ。何度か咳き込んで立ち直ると、僕はカップを置いて、君に向き直った。  こういう時、怒るのは僕ではなく君である。  君は怒ると、悪役の科学者のような冷たい面持になる。銀縁の眼鏡を指先で持ち上げ、つと、言う。 「昨日、遅かったね」 「ああ、うん、言ったろ、会社の送別会だって」 「十二年目だったよ」 「……いいじゃないか、十年目はちゃんとやったんだから」 「それ、去年も言ったね」  僕らが一緒に暮らし始めて、昨日で十二年。恋人が言いたいのはそういうことだ。そしてどうやら、十一年目も同じ会話をしたらしい。 「……ごめん」  きっと去年も同じように、僕は君に頭を下げていたのだろう。 「今夜は?遅いの?」 「早く帰るよ」  考えるより先に出た言葉が、君をくすくすと笑わせる。鈴が鳴るようだという比喩があるが、君の笑い声はもっと涼やかでもっと快く、それはほんの十二年経ったくらいで褪せるものではない。 「今日は俺のほうが遅いかも」 「うん、お前より早く帰るさ」 「花を買って来て」 「ワインは?」 「買ってある」 「オーケー、じゃあいい子で待ってるよ」  テーブルの上で気難しく組んでいた君の手に、手を重ねる。ゆっくり撫でると、指が絡んで応える。  お互いに年を取った。  ベルベットのようだった君の肌も、今は少しかさついている。僕はまだ君の許容範囲ではあるのは幸いだが、ずいぶん腹が出た。二日酔いも長引くようになったし。髪に先に白いものが混じるようになったのは僕だけど、君のほうが少し額が広くなってきたのじゃないかな。 「キスをしても?」  僕がわざとこういう聞き方をすると、君は絶対に恥らって、顎を引いて頷くだけ。  ゆっくりと唇を押し付けて、離す。  瞑っていた目を開けた君は、ちらりと舌先で唇を舐めると、眉を下げて笑った。 「これはひどく甘いね」 終わり

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