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第1話

  「今日のアップルパイは美味しいね、母さん」 「そうね。美琴さんに持って帰る?」 「いらないよ。それに今日は泊まるつもりで来たから」  爽やかな秋晴れの日曜日の昼下がり。家族団欒が似合う六人がけの牛革ソファーが置かれたリビングに、俺たち家族は勢揃いしていた。  母さんと由紀人(ゆきひと)兄さんは、ケーキを食べながら温かい紅茶を飲んでいる。俺の前にも青い花が描かれたティーカップが一客置かれていた。 「直比古(なおひこ)は食べないの?」 「……今はお腹が空いていないので、後でいただきます」  兄さんに勧められたが、俺は口元を手で押さえて断った。兄さんは長い睫毛に縁取られた目を細め、ふうん、と可笑しそうに笑った。同じ母の腹から産まれたのに、俺とはあまり似ていない美しい顔だ。そして、性格も似ていなかった。  俺は兄さんのような頑強な精神を持っていない。だから、兄さんたちがこの状況でのんびりとお茶をしていることが信じられなかった。  胸を焼く甘ったるい林檎と砂糖、それにシナモンの刺激的な匂いと断続的に聞こえてくる音に酔いそうになり、細く息を吐き出した。  すぐ側のペルシャ絨毯の上には、弟の愛翔(まなと)が上半身裸で転がっている。そして、その細くて白い背中に鞭を振るっているのは、この志良堂(しらどう)家の主である俺たちの父さんだ。 「赤ちゃんはどうなの」 「順調だよ。三人も産んでるし、あいつもアルファだから体力あるしさ。今回も先生が太鼓判を押しているよ」  母さんと兄さんの和やかな会話の合間に響くのは、悲痛なうめき声と肌を叩く鞭の音。  そして、父さんの罵声。 「使えない愚かなオメガめ。せっかく根津川氏がお前を気に入って下さったというのに、逃げ帰るとはどういうことだ!」 「うぅ、申し訳、ありません……ひぃっ」 「私の承諾なくお前を勝手に孕んだ商売女のように、その顔と身体で取り入って、愛人の座に収まるくらいしたらどうなんだ!」 「いっ、痛い……あ、あ、やめて」  泣きじゃくる愛翔の声に耳を塞ぎたくなる。ちら、と視線を向けたらば、愛翔の縋るような目とかち合ってしまい、俺はその助けを求める視線から逃れるように冷めて温くなった紅茶を飲み干した。  この家族は狂っている。

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