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エピローグ
エレンside
柑橘系にも似た爽やかな甘い香りで、毎朝エレンは目を覚ます。隣に目をやると、古傷だらけの筋肉質な腕が、枕のように首下に添えられていた。
そしてエレンはすっぽりともう片方の彼の腕の中に収まっている。
腕の主は自分より30cmも背の高い色男、番のヨルだ。
心地よい、だいすきな温もり。この腕の中にいつまでも居たいと思ってしまう。しかしその欲望に抗い、エレンはそっと彼の腕を抜けた。
まだ彼は、一昨日の傷が癒えていない。
大腿部の包帯を外すと、枕元の薬を優しく塗り込んでやる。起きている間にすると痛むだろうからと、起こさないように気をつけながら。
薬を塗り終え、新しい包帯を丁寧に巻き、テープで固定した。
そして大きく息を吸い込むと、エレンは彼の耳元に向かって怒鳴りつける。
「なんで今日もまたお前はっ…!
傷がまだ治ってないのに僕に腕枕をして抱きしめながら寝るなんて、何考えてるんだっ!!ばかっ!!」
「ふぁぁっ…
ああエレン、おはよう。」
口に手も添えずに大きなあくびをしたあと、彼はエレンを優しく抱きしめた。
がっしりとした体躯の中に、小柄なエレンはすっぽり収まる。どう見ても第2性が逆だ。
「だから傷がっ!!」
「…傷には当たってねーよ。それに、エレンが手当てしてくれたから大丈夫だ。
それより… 」
エレンの瞳はいつの間にかその厚みのある唇の虜になっていた。
それがゆっくりとエレンのほおに降りてきて、くちゅ、と口内に触れる軽いキスを落とした。
とくとくと、鼓動が早くなる。
ヨルの香が強くなり、その大好きな味をエレンはゆっくりと嚥下した。
この男はエレンがそうすることで何も言えなくなるのを知っている。
「…ずるい 」
「お前は心配しすぎなんだよ。」
「心配しすぎだって、ヨルが毎回毎回怪我してくるからっ…
なんでもない。朝ごはん作ってくる。今日は安静にしとけよ。」
「はいはい。」
「返事は一回っ!!」
心配してもしすぎることなんてない。だってヨルは危険な任務に行くと、こうして怪我をして帰ってくることがたくさんある。
本来ならば行くな、と言いたいのだ。そしてずっとこの腕の中にいたいと思う。
出会った時に比べだいぶ荒くなったこの口調が、傷だらけで帰ってくる彼をみて泣くのをこらえているうちに、染み付いてしまった。
本当は、鎖にくくりつけて鍵をかけてこの部屋から出られないようにすればいい。彼はエレンがそこまですれば、多分黙って従うだろう。
でも、それをしないのは、彼が自分の仕事に誇りを持っていると知っているからだ。そしていつも彼は言う。エレンがそうさせてくれたのだと。
この、Ωが社会にすら見放された世界で、それでも人を護りたいという。おかしな話だ。
するりとヨルの腕を抜けると、エレンはいつものようにぶっきらぼうな顔でキッチンに立ち、朝食の用意を始めた。
ヨルside
熟れた果実のような甘ったるい香りが腕の中で広がっている。ヨルはすやすやと眠る愛らしい恋人をもう少し抱きしめていたくて寝るふりをした。
数分後、するりと彼が腕の中から抜けていった。ヨルが起きていることには気づかない様子だ。
そのまま傷の具合を確認され、優しく薬が塗られていく。
寝ている間に、と気を使ってくれたのだろう。だから彼から与えられるその痛みに、気づかないふりをした。
そして。
「なんで今日もまたお前はっ…!
傷がまだ治ってないのに僕に腕枕をして抱きしめながら寝るなんて、何考えてるんだっ!!ばかっ!!」
容赦ない怒声が耳元で鳴り響く。あたかもその声で目を覚ましたように、ヨルは大きくあくびをした。
実はエレンのせいなのだ。寝てる間ずっと寝言でヨル抱っこして、なんて言われ続けたら、その可愛いお願いに逆らえるわけがない。
でもそのことは秘密だ。そんなことを言えば、今度は違うベッドで寝ると言い出すかもしれない。
彼は仏頂面で毒を巻きながら、甘えん坊でヨルのことを誰よりも考えている。
愛おしい。つい可愛くてエレンの体を抱きしめる。
「だから傷がっ!!」
そう言いながら、彼の緑がかった金色の瞳がヨルの唇をじっと見つめていた。恍惚とした表情は、どこか色気を帯びている。
「…傷には当たってねーよ。それに、エレンが手当てしてくれたから大丈夫だ。
それより… 」
たまらずその淡い唇に口付けた。一瞬だが、口内までしっかりと彼を味わう。そこはかとなく甘い。
最近ヨルの身体を気遣ってかエレンはヨルを優しく抱く。それが物足りなくて、朝から彼を求めてしまう。
「…ずるい。」
むうっと唇を尖らせ、エレンが拗ねるようにそう言った。幼さの残るその表情はなんとも愛らしい。
それから少し会話を交わすと、彼はため息をつきながらキッチンへと向かった。
淡々と作業を進める悲しげな背中に、ごめんな、と小さな声で囁く。
いつも心配をかけて、2人きりの時間も夜以外とれなくて。
エレンの口調はこの施設に来る前と比べ、荒くなった。
組織長であるヨルには、比較的危険な仕事が多い。はじめエレンはヨルが怪我をして帰ってくるたびに号泣していて、しかしその度に困ってしまうヨルをみて、その悲しみを隠すために荒っぽい口調で強がるようになったのだ。
「エーレーン。」
キッチンへ向かって歩いて行き、その背中に抱きつく。
びくりと彼の肩がはねた。
「危ないだろっ!!熱湯がかかったらどうするんだっ!?」
その言葉には答えずに。
「…ごめんな、こんな思いさせて。」
彼の頭に顎を乗せて謝ると、
「…謝らないで。僕はヨルといられて幸せなんだから、謝るくらいなら生きて帰って来い。」
少しくぐもった声で、そう返ってきた。
「ありがとな。」
「…ずるい。」
「ごめんな。」
「…いいけど。」
しばらくして、鍋からは優しい匂いが漂ってきた。カーテン越しに覗いた空は、今日も青い。
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