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第3話
閑静な住宅街に、まるでオーガニックカフェのような佇まいをして、その工房はあった。
覗き窓のガラス板を嵌めたくすんだ木の扉。その周りには色とりどりの花の咲くプランターが置かれている。
「本当に、ここだよな……?」
冬彦は車をコインパーキングへ入れると、財布と人形の包みだけをもって、その戸の前に立ち尽くしていた。しかし、そうしていても貴重な休日の時間が消費されていくだけだ。
意を決した冬彦は、古めかしいドアノッカーを敲いて来訪を知らせた。
◇ ◇ ◇
「そうですか、弟さんの遺品整理でドールを……」
悲しみを湛えた色の声が、コーヒーを注ぐ。アンティークのテーブルに湯気が立った。
目の前に置かれたカップとソーサーは深い紺色をして、金色のインクで刻まれた花柄がこれまた美しく咲いていた。
「ええ。そんな感じです」
冬彦を迎えたこの職人はどうやら西欧の人らしく、テーブルに乗せられた名刺には『hiver 』と記されていた。
肌は透き通るように白く、腕にはところどころ血管の青が見えていた。面長の顔は華やかに整っていて、腰まで伸ばされた金髪に不潔感は一切ない。まるで、この人の方こそ人形なのではないかと思うほどだった。
「黒目がなんだか気味悪くて。それに、どこに置いても視線が付いてくるんです」
「なるほど、それは追視ですね」
追い目とも言いますが。と流暢にイヴェルは付け足して言う。
「ドールのオーナーさんによっては、そのように視線を追従してくるように嵌め込む方もいますよ。この辺りはお好みかと思います」
「そういうものなんですか」
弟は、オーナー、というものだったのだろうか。冬彦は思案しながら、人形の包みをイヴェルに差し出した。
「では、その追視はしないようにして、目を生々しくないものに変えていただきたいです」
「承知いたしました。ひとまず、拝見しますね」
包みを受け取るとイヴェルは柔らかく微笑んだ。まるで春の日差しのような温かさが、その目元にはある。
三メートルほど離れた作業台へ置き、イヴェルは作業に入ったようだ。
冬彦は、参考に、と置かれたグラスアイのカタログに目を通す。
「これは……初めてのケースですね」
やがて、イヴェルの声が届いた。そちらを向けば、作業台に座る人形はそのブロンドのウィッグを毛玉のように脱ぎ捨て、頭を開けられていた。人であればなんとも無惨な状況だ。
「どうしたんですか?」
冬彦が呼びかければ、イヴェルはビロードの布を敷いた箱に、取り出した人形のアイを載せてゆっくりと振り向いた。そしてそれをひどく大切なもののように、慎重に歩みを寄せる。
「……本物の、目ですね、人間の……」
「え?」
ビロードの上にころんと載る目は、人の目であった。イヴェルがいうには、球体のガラスに保存液を入れ、そこに眼球を浸け込んでいるのだろうとのことだ。
「ちなみにですが、この真裏にこんなシールが……あの、お客さま?」
白い指先が球体を掴み、それをひっくり返すと、そこには付箋を貼った上から剥がれないようにソロファンテープで補強した様子が見える。
付箋に走り書かれていたのは――
【ハルキ 右】【ハルキ 左】
「……弟、です」
「お客さま……?」
「弟の、名前です、ハルキ」
どういうことか。弟は事故の突然死――それも。
「即死で、顔の原型は留めてなかった、のに。どうして……」
まさか弟が、この兄の行動を見越して、傍にいるために……?
そんな憶測をしたところで、冬彦は寒気に頭を振った。
「え、と。とりあえずこれは骨と一緒に墓に入れます」
「……はい。大丈夫ですか? お顔が、真っ青ですが」
「大丈夫です。あ、でもそうか、人形の目は必要か」
頭を開かれ、ぽっかり目の部分に穴の開いた人形に目をやる。
なぜか、そういうところで冷静になれた。
「そう、ですね。では、どのようなものがお好みでしょう?」
イヴェルはカタログに手を伸ばし、ぱらぱらとめくって見せる。その風圧で、実る稲穂のような金髪がふわりと揺れた。
グラス製の深い輝きを持つもの、シリコン製の可愛らしいものが、ページをめくる度にちかちかと現れる。
「そうだな、じゃあ」
「ご希望通りに、お作りしますよ」
柔かなイヴェルの声が、動揺していた胸に心地いい。
「あなたの瞳で。おいくらですか?」
了
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