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プロローグ
「あぁ……彼方(カナタ)に見えるは、なんと麗(ウルワ)しき娘か……」
長い長い階段の上に設置された椅子に座り、青年は高鳴る胸を押さえ、届かぬ彼方へ手を伸ばす。
「彼女の美しさは、まさに地上の宝。太陽に寄り添う女神さえ、彼女の前では霞んでしまうだろう」
青年は悩まし気に溜め息をついた。
「あぁ、苦しい……麗しき彼女の事を思うだけで、この胸は張り裂けてしまいそうだ。あの娘を妻にできるのなら、私は、私の持てる全てを、差し出しても構わない!」
青年の意気込みを表すように、特大の雷を模したドラの音がドカーン! と鳴り響く。
「はい、カットォッ!」
ドラの音に負けない声量で叫ぶ男に、講堂の中にいる生徒達は一斉に動きを止めた。
「ブラボー!」と歓声を上げた男が、舞台上の生徒に軽快な拍手を贈る。
「実に良く心情が表れている、素晴らしい演技だったぞ!」
今にも踊り出しそうな、少し大げさな身振りで感想を語る彼は、砂神桐斗(サガミ キリト)。
ここ、北王陣学園の国語教師であり、演劇部の脚本も手掛ける顧問である。
「……しかし、甘さが足りない」
今までの賞賛が嘘だったかのように、突然桐斗は悩ましい溜め池をついた。
「甘さ……ですか?」
「そう! 甘さが足りないのだ!!」
問いかける生徒の何倍も大きな声を張り上げ、桐斗は力説する。
「君達は恋をした事があるかい? 身を焦がすような恋を! この主人公は、初めて見た娘に、一瞬で心を奪われてしまったのだよ! 人生で初めての恋、まさに初恋だったのだ! もっと胸を焦がすように、けれど初めての恋に胸が高揚して……」
ここが舞台の上とでも言わんばかりに、桐斗は大げさな身振りをして、延々(エンエン)と講釈を語る。
回りの生徒達は、『また』始まった先生の長過ぎる話に、ガックリと肩を落とした。
言っている事はためになるから良いのだが、もうとにかく長い。
いつも、稽古時間の三分の一は、先生の長い解説で終わってしまう。
☆ ★ ☆
「――と言う、素晴らしい物語なのだよ!」
稽古の合間に入れた休憩時間。
桐斗は演説の場を保健室に変えて、自分の書いた物語の素晴らしさを力説していた。
「いつもながら、面白そうな話ですね」
話を聞いていた光は、完璧な(作り)笑顔を浮かべていた。
高校生の時から桐斗先輩の長話に付き合わされてきた光は、さすがにもう慣れたもので、ニコニコと話を聞き流している。
「……北欧神話に登場するフレイの話に、少し似ていますね」
「あぁ、そう言えば君は、高校時代からその神話が好きだったね? その『フレイの話』とは、どんな話なんだい?」
懐かしそうに遠くを見詰めた桐斗は、役者のような美しい動作で首を傾げた。
……する事なす事、全てが演技っぽい。
高校生の時から演劇を専攻していたせいか、全ての動作が大げさになってしまうのだ。
その上、貴族被れの堂々とした語り口は、今にもシェイクスピアを語り出しそうだった。
そう言う所は、昔から全然変わっていない。
光はにっこりと笑った。
「フレイは豊穣を司る神です。フレイには同じく豊穣を司る妹のフレイアがいるのですが……」
フレイアはいなくなった夫を探すため、下界に行ってしまった。
フレイアを心配したフレイは、世界中を見渡す事ができる櫓(ヤグラ)に登る。
本来は主神オーディンしか座る事を許されない席で、フレイは巨人族の娘『ゲルダ』を見付け、一目で愛してしまった。
「フレイはどうしてもゲルダと結婚したくて、スキルニルと言う男に頼み、ゲルダと会う約束を取り付けました。……魔法の剣を引き換えにして」
「……それで、どうなるんだね?」
桐斗が興味津々と言うように、少し身を乗り出す。
「スキルニルに脅されたゲルダは、九日後に森でフレイと会う約束をするのですが……」
「ですが?」
すっかり話に呑まれている桐斗に、光は日溜まりのような優しい微笑みを浮かべた。
「フレイを見たゲルダも、上品な顔のフレイにひかれ、二人は結婚しました」
桐斗はホッと胸を撫で下ろす。
「いやぁ、実に面白い話だったよ。光君。……あぁ、忘れる所だった」
不意に何かを思い出した桐斗は、おもむろにスーツの内ポケットに手を差し込んだ。
「実は、君に一つ頼みたい事があるのだよ」
☆2月某日 PM.16時30分
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