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1.神野家の晩餐
☆2月某日 PM.18時
その日、優人はイラついていた。
お馴染みの神野家のリビングである。
少し前までは光と椅子を並べていたが、最近は光と向かい合って一人掛けの席に座っている。
理由は……
「大丈夫か? 剣治」
「まだ少しダルいけど、大丈夫だよ。志郎」
まだ春先だが、この新婚カップルは熱い。
志郎が一人用の椅子を二つピッタリとくっ付け、隣に座る剣治の肩を、支えるように抱き寄せている。
――と言うか、まだ日のある内から、この二人は何をしていたのか。
まぁ、付き合うまでいろいろと問題があったせいか、スキンシップが激しい。
特にくっ付きたがるのは志郎の方だが、恥ずかしがりながら離れない剣治も、まんざらではないようだ。
「志郎と剣治の事件については、本編2『裏切られた願い』を読んでね」
優人のウィンクが決まった所で、要約すると――
付き合ってまだ半年にも満たない二人と、熟年カップルの優人と光は席を変わったのだ。
本音を言えば光の近くに座りたい優人だが、そこは父親……
まだまだ経験的に未成熟な息子達に、席を譲ろうと異論は無く、それだけではイライラもしない。
一番の元凶は今、光と一緒に台所で夕食の用意を手伝っている。
「徹君、お味噌汁はできましたか?」
「後少し~」
優人の二人目の息子・世流の恋人である徹は、父親が仕事で留守がちのため、よく泊まりにくる。
学校の時間を除けば、むしろ自宅にいるより、神野家で生活している時間の方が長い。
すでに徹専用の食器や歯ブラシを揃えてあるほど、神野家の一員として馴染んでいる。
しかし、律儀と言うかなんと言うか――
優人は少し荒々しく溜め息をついた。
「ねぇ、志郎……やっぱり僕も、光さん達を手伝いたいんだけど――」
「やめとけ。ただでさえ、光ちゃんの側に徹がいてイラついているのに――余計面白くないだろ」
優人に聞こえないよう、志郎がこっそりと剣治に言い聞かせる。
――要するに優人は、徹に嫉妬しているのだ。
光と離れて座るだけでも、本音は寂しいのに、光の近くに他の男がいる。
面白いはずが無い。
「これで良し。光先生、味みてください」
「どれどれ……あ……」
徹が光に差し出した小皿を、横から伸びた手が素早く掠め取った。
「あっ、世流!」
非難の声を上げる徹に構わず、世流が小皿によそった味噌汁を口にする。
「お前にしては、うまくできたんじゃないか?」
「勝手に飲むなよ!」
徹が小皿を奪い返そうと手を伸ばすが、世流は涼しい顔で高く持ち上げた。
悲しいかな……出会った当初は同じくらいの身長だったのに、ここ半年で世流は急激に背が伸びた。
そのため、世流に小皿を持ち上げられると、徹はどうしても手が届かない。
「返せよ!」
「できたんだから、これはもう使わないだろ」
恋人同士にしては意地悪な行動だが、実は世流も澄ました顔をして、嫉妬しているだけだったりする。
本当は愛する徹の料理を、一人占めしたいのだ。
台所でじゃれあう二人を見かねた光が、高い所でヒラヒラ揺れる小皿を、後ろからヒョイと取り上げる。
「冷めない内に、早く配りましょうね」
光が微笑む。
誰にも有無を言わせない顔で――
「「……はい」」
一言で喧嘩を止めた光に、優人は苦笑した。
この家で、光に敵う者はいない。
(男だが)まさに母は強しである。
「あぁ、世流。髪がお椀に入りそうだぜ」
「そんなへまをするか」
「良いから!」
世流がよそおうとしていたお椀を取り、徹が世流の白い髪をさらりと撫でて笑った。
生まれつき色素を持たないアルビノの世流は、髪が雪のように白く、瞳が薔薇のように赤い。
幼い頃はその色を気味悪がられていたが、徹はその髪も目も大好きなのだ。
愛惜しそうに髪を撫でる徹に、世流が少しだけ頬を染める。
「俺がよそうから、世流は持って行ってくれ」
「……分かった」
素っ気なく答えた世流が、フイと踵を返す。
世流がこんなに照れるのは珍しい。
何事にも無関心で無感情な世流は、徹に対してだけは感情が揺れる。
そのお陰か、最近は少し表情が豊かになった。
「愛の力だねぇ」
ニヤニヤする優人の前に料理を運び、恥ずかしそうに目を反らした世流は、イソイソと台所へ戻った。
息子相手とは言え、からかう材料を見付けた優人のイラ付きは、少し治まったらしい。
その後、全ての料理がテーブルに並び、徹と世流は席に着いた。
「あ、忘れる所でした」
自分の席で手を合わせた光が、フッと向かいに座る優人を見る。
それに気付いた優人が、不思議そうに首を傾げ、光の顔を見返す。
「どうかしたのかい? 光?」
「……優人、百合亜さんって覚えていますか?」
「百合亜君? あの砂神の妹の?」
光はコックリと頷く。
「そう言えば、砂神先生に妹なんていたんだ?」
話に興味を持った徹が、好奇心に目をキラキラと輝かせた。
「その百合亜さんってどんな人? 優人とはどんな関係?」
「落ち着け、徹。――確か父さんの昔の教え子でしたよね?」
身を乗り出す勢いの徹を押し留め、世流は淡々と事実確認をする。
「そうだよ。もう二十年くらい前になるかな?」
「もうそんなになるんですね……当時、優人は『聖ヴァルキュリア学院』で教鞭を取っていたんですよ」
互いに見詰め合って優人と光が、当時を振り返って懐かしそうに笑い合う。
「そう言えば、親父と光ちゃんが出会ったのも、その頃だっけ?」
思い出したように呟く志郎に、光がにっこりと笑って頷く。
「はい。その時私は、三年生でした」
「新しい職場の説明会の日に、偶然中庭で光を見付けたんだ。花の中に立つ光は、それは天使のように綺麗だったんだよ」
「まぁ、優人ったら」
テーブルの端と端でイチャ付く二人に、間の四人は苦笑するしかない。
席が離れたにも関わらず、いや席が離れた分、二人の醸し出す雰囲気はより濃密で、回りで聞いている方があてられる。
「あぁ……でも確かに、光さんは花が似合いそうだよね……」
「前世でも、よく花の手入れをしてたもんな」
遠い目をした剣治と徹が、互いに頷き合う。
光の前世は、『北欧神話』に置いて主神であるオーディンの息子、光の神『バルドル』である。
バルドルは『平和の園』と呼ばれる美しい所に住んでいたのだが、なぜ剣治と徹がその事を知っているのかは、また追々――
「百合亜君は、僕が『聖ヴァルキュリア』で最後の年に教えた生徒だよ」
「入学して早々、優人に一目惚れしてしまったんですよね?」
優人の言葉に捕捉した光は、はにかみながら「……私も人の事は言えませんけど」と、最後に付け足す。
百合亜は良く熱心に勉強を聞きに来る生徒だったが、その度に手作りの菓子を持って来られて、優人は少し困っていた。
――と、デートの度に優人は、光に零していた。
「って言うか、優人の"private(プライベート)"筒抜けかよ」
「……徹、珍しく英語の発音が良過ぎて、逆に分かり辛い」
先日、イギリス人とのハーフで帰国子女だと判明して気が緩んだのか、時々英語の発音が良くなった。
イギリスで生活していた時の『訛(ナマ)り』が出るようになったらしい。
優人が苦笑する。
「まぁ、光に隠すような事なんて、何も無いからね。隠しても、すぐにバレてしまうし」
肩を竦めて見せる優人に、息子達も苦笑した。
志郎と世流も、光に隠し事をして、最後まで気付かれなかった試しが無い。
「それで百合亜さんは、今はどこで何してんの?」
また好奇心がむくむくと湧いてきた徹は、夕食の手を少し止めて、軽く身を乗り出す。
光はクスクスと笑った。
「今は志郎の大学で先生をしていますよ」
「確かにあの先生……言動は上品なお嬢様って感じだけど、思い込みが激しいって言うかなぁ……」
光の言葉に、志郎が「勘弁してくれ」と言うように首を振る。
「何か……あったの? 志郎?」
心配そうに顔を覗き込む剣治に、志郎は苦笑した。
「お節介(セッカイ)と言うか、何ツうか……はっきり言って、継母気取りで凄くウゼェんだよ」
学校での事を思い出したのか、志郎が疲れたように盛大な溜め息を吐く。
「お疲れ様、志郎」
「ん……」
苦笑いした剣治は、労うように優しく志郎の頭を撫でた。
その手がよほど気持ち良いのか、嬉しそうに目を細めた志郎が、甘えるように剣治の肩に頭を寄せる。
「なんか、今の志郎の顔、猫みてぇ」
「ウルセェよ!」
ニヒヒと笑ってちゃかす徹に、志郎が頭を撫でられたまま噛み付く。
まったく説得力が無い志郎に、剣治はクスクスと笑った。
「どっちかって言うと、志郎は犬だよね。元が狼なんだから」
フォローになっているんだか、いないんだか……
優人は苦笑した。
「それは前世の話だろう、剣治君」
志郎の前世は、北欧神話で主神『オーディン』を呑み込んだ魔狼『フェンリル』である。
ちなみに、その魔狼の世話をしていた戦神『チュール』が、剣治の前世だ。
前世では気持ちのスレ違いから、フェンリルがチュールの腕を噛み千切った事もあったが、今は違う。
生まれ変わった二人は、休日になると片時も離れないほど、甘~い関係を築いている。
世流が呆れ混じりの溜め息をついた。
「夜の兄さんも、立派な狼じゃないですか」
「そう言うお前は、蛇じゃねぇか!」
世流の前世は、同じく北欧神話に置いて世界を取り巻く大蛇『ヨルムンガルド』である。
ちなみにフェンリルとヨルムンガルドも兄弟だったからか、兄の体裁を守ろうとする志郎が、世流に皮肉を言う。
「そっちの方も、蛇並みにねちっこいんだろ!?」
吠えかかる兄の志郎を、世流はフンと鼻で笑う。
「もちろんです。それが俺の愛し方ですから」
不敵な顔で胸を張る世流に、隣で聞いていた徹の方が味噌汁を吹いた。
「お前な! もう少し言い方を考えろよ!」
「徹、汚い」
顔を真っ赤にして喚く徹に対し、世流はどこ吹く風という顔をして、淡々と注意する。
「俺の前世が蛇なのは、ここにいる全員が知ってる。今さら、何を恥ずかしがる必要があるんだ?」
「お前の言い方が恥ずかしいんだよ!」
目の前で始まったコントに優人達は失笑し、怒鳴っていた志郎までが毒気を抜かれて吹き出した。
「二人は本当に息が合っていますね」
「まぁ、前世からのライバル同士だからね」
徹の前世である雷神『トール』と、大蛇『ヨルムンガルド』は、幾度も腕を競った好敵手同士である。
その勝敗は、神々の最後の戦い『ラグナロク』に置いても、結局は決まらなかった。
そして現世で剣道に打ち込む二人は、やはり互いに負けられぬライバルであり、同時に惹かれ合う恋人同士に発展している。
「それはそうと、また厄介な相手に気に入られてるようだな? 優人?」
面白そうにニヤリと笑った徹は、親子ほど歳が離れているにも関わらず、優人に対して無遠慮に聞く。
優人も気分を害した風もなく、意地悪そうに唇の端を吊り上げ、ニッと笑い返した。
「まぁ、ソレはソレ……どうにでもするさ」
「前世でトリックスターと呼ばれた、欺瞞(ギマン ※騙す事)の神のほんのう発揮か?」
そう――何を隠そう優人の前世は、北欧神話において欺瞞とイタズラを司る神『ロキ』である。
前世でたくさんの問題を引き起こし、またその天才的な頭脳と巧みな話術で、神々に降り掛かる数々の窮地を抜けてきた。
フェンリルとヨルムンガルドの父親であり、雷神トールの親友でもある。
所で……
「徹……『ほんのう発揮』じゃなくて『本領発揮』だぞ。本能だと、父さんが根っからの『嘘付き』になるだろうが」
「あれ……違うのか?」
「それは、どう言う意味かな? 徹」
キョトンとした徹に、優人が『ゴゴゴゴ……』と地響きの聞こえそうな顔で、唇の片端を引きつらせる。
「――喧嘩なら買うよ」
「はっ!? ちょ! 何で優人が怒ってんだよ!」
「天誅!」
静かな食卓に、徹の悲鳴が響き渡る。
「……大人気ない」
「今日も賑やかですね」
こっそり溜め息を付いた世流と、にこやかに微笑む光が、ズズズ……と味噌汁をすすった。
「剣治、あ~ん♪」
「あ~ん」
志郎が箸で摘んだ卵焼きを剣治の口元に持っていき、口を開けた剣治がパクンと咥える。
「志郎も、あ~ん」
「あ~ん♪」
……今日も神野家は平和である。
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