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2.黒い手紙
「――それで、百合亜君がどうしたんだい?」
殴られた頭を擦る徹を尻目に、一つコホンと咳をした優人が、改めて話を仕切り直した。
「あ、忘れる所でした」
早くも夕食を終えようとしていた光は、エプロンのポケットから、白い封筒を取り出す。
「今日の放課後、砂神先生が保健室に来て……」
改めて席に着いた光は、桐斗が演劇の内容について力説した事、そして最後に頼み事をされた事を話し初めた。
☆ ★ ☆
「頼みたい事?」
保健室で桐斗に言われた事を、光はオウム返しに繰り返し、キョトンとした顔で軽く小首を傾げる。
「これだよ」
少しもったいを付けた桐斗が、内ポケットから真っ白な封筒を取り出した。
「今度の日曜、父の主催で妹の誕生パーティーを開くのだが――」
チラリと封筒に目を落とした桐斗が、苦々しく顔を歪め、渋々と言った様子で光に封筒を手渡す。
「この招待状を、神野先生に渡しておくれ」
封筒には、上品な女性の字で『神野優人様』と書かれている。
おそらく桐斗の妹、百合亜(ユリア)の字だろう。
桐斗が実に悩ましいと言うように、溜め息をつく。
「まったく……なぜこの私が、裏で何を考えているか分からないような、あんな男を招待しなければいけないのか――! しかし、可愛い妹の頼みを叶えない訳にも行かない……」
優人と桐斗の二人は、とにかく仲が悪い。
いわゆる『犬猿の仲』である。
しかし、心底毛嫌いして優人をけなされるのは、どうにも許せない。
☆ ★ ☆
「光先生、何したんですか……?」
話を聞いていた徹が恐る恐る伺(ウカガ)うと、光は整った美しい顔でニヤリと凄惨に微笑む。
「別に、何もしていませんよ? ただお茶を勧めただけです……」
☆ ★ ☆
「……お茶、もう一杯いかがですか?」
完璧な微笑みを浮かべたまま、光は紅茶のポットを持ち上げ、『うっかり』桐斗のスラックスにお茶をかけてしまった。
「あっちちちぃ!」
「あぁ、ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
さも慌てた様子の光が、すぐにタオルで『擦る』。
「本当にごめんなさい、砂神先生……」
強く擦られたスラックスは、当然のように染みを広げてしまったが、本当に申し訳なさそうな光に、桐斗は何も言えず笑った。
「あ、あははは……本当に君はそそっかしいね。気にする事は無いよ」
「今度からは気を付けますね」
しおらしい顔の裏で、光はこっそりとほくそ笑む。
これぞ、アカデミー級――の完全犯罪である。
☆ ★ ☆
話を聞いた面々は、一様に「おぉ……」と感嘆の声を上げ、パチパチと拍手をした。
光が照れたようにフフッと笑い、優人以外の四人は、ほんの少しの恐怖を覚えて背筋を振るわす。
「それで、どうなったんだい?」
平然と構える優人に、光はニコニコと続きを話し出した。
☆ ★ ☆
「それで……この招待状を神野先生に渡したら良いんですね?」
お茶を片付けた後、さりげなく話を戻した光に、桐斗は悠然と頷く。
もうスラックスの染みの事は、すっかり忘れているらしい。
「無理に来る必要は無いので、忙しい時は遠慮無く断って良い――とも、伝えておくれ」
「分かりました」
努めて平然と皮肉を言う桐斗に、光は燃えるゴミの日を考えながら、にっこりと微笑んだ。
……ここまでだったなら、招待状は本当に灰と化していただろう。
「お礼と言っては難だが、光君もこのパーティーに招待しよう」
そう言って、桐斗はもう一通の封筒を光に手渡す。
今度の宛名は、豪勢な飾り文字で『天神光様』と書かれていた。
「百合亜の誕生パーティーは、父の所有する豪華客船に乗って、五時間の船旅をしながらの立食パーティーになる。一流の楽団も呼ぶから、きっと有意義な時間を過ごせるだろう」
「豪華客船で船旅……」
光は自分宛の招待状を見詰めながら、心はすでに船の上に立っていた。
甲板でそっと後ろから腰を抱かれた光は、優人の膝に乗り、夕日に向かって手を広げる……
『光……』
『優人……』
そんな映画のワンシーンに思いを馳せ、光はうっとりと溜め息をついた。
「素敵ですね……」
「そうだろう! ぜひ、この私と一緒に……」
さりげなく光を口説こうとする桐斗に、光は瞳をキラキラと輝かせて答える。
「分かりました! 絶対に神野先生を連れて行きますね!」
「エエッ……!?」
☆ ★ ☆
思惑通りに行かず悲鳴を上げる砂神を想像して、リビングは爆笑の渦に呑まれていた。
特に徹と志郎が腹を抱えて笑い、世流までが失笑していて、つられた剣治が苦笑する。
「もう光ちゃん、サイコー……!」
手放しで称賛する志郎に、少し照れた光がクスリと笑う。
「これが優人宛の招待状です。世流君、徹君、優人に回してください」
「分かりました」
世流の受け取った封筒を、徹が横から覗き込み、眉根を寄せた。
宛名は『神野優人様』なのだが……
「……何でもう、封が開いてるの?」
世流から封筒をリレーされた徹は、怪訝な顔で首を傾げた。
「もちろん、添削するためですよ」
当然と言うように、光が聖者の顔で微笑む。
徹はほんの少しだけ、身震いした。
優人が苦笑する。
「見られて困る事は無いからね。むしろ、余計な内容を見なくて済むから、助かってるよ」
「余計な内容って?」
まだ不思議そうな顔をする徹から、手紙を受け取った優人が、説明も面倒と言うように両手を上げた。
志郎と世流はよく知っているため、少し疲れた溜め息をつく。
徹と剣治だけが、顔を見合せて首を傾げた。
優人も軽く息を吐いて、ヒラヒラと手紙を振る。
「例えば『愛の言葉』とかだね。こっちにその気は無いのに、軽々しく『運命』とか言われると、頭が痛くなるよ」
「稚拙でも一生懸命な内容は、特に苦手ですよね」
光が小さくクスクスと、軽快に笑った。
「一生懸命に書かれていると、少しは応えないといけない気がするんだよ。それか、みんなに「僕には光が全てだ」って、公表したくなってしまうんだよ」
「今の日本では「男同士で――」なんて、簡単に言えませんからね」
光の寂しそうな言葉に、その場の全員が頷いた。
また軽く息を吐いた優人が、改めて手紙を開く。
半分に折られた便箋を取り出し、何気無く文面を開いた優人は、手紙を持ったままピシッと固まった。
「ん? 優人、何が書いてあるんだ?」
「こら、徹」
止めようとする世流に構わず、文面を覗き込んだ徹は「ゲッ!?」と、すっとんきょうな声を上げる。
「……いっその事、これ一枚を捨ててくれたら良かったのに」
やっと立ち直った優人が、困ったように笑い、問題の一枚目を全員に見せた。
光以外の全員が顔を引きつらせ、言葉を失う。
一番上に『神野先生 お元気ですか?』と書かれているのは普通なのだが……
それ以降は、一面に黒い線ばっかり!
「一応、挨拶だけは伝えてあげようと思いまして」
光は天使のような顔で微笑むが、逆に言えば、挨拶以外は一切伝える積もりは無いのだ。
優しいような、残酷なような……
一枚目を静かにしまった優人は、改めて二枚目に目を通す。
さすがにもう、好奇心の強い徹も、覗き込もうとはしない。
視線がブレずに下りたから、恐らく上半分も黒線ばっかりだろう。
結局、下の方をチラッと見ただけで、すぐに手紙をしまった。
代わりに、封筒の中から小さな金のプレートを取り出す。
「しかし、豪勢だねぇ。ほんの少し教えていただけなのに、VIP待遇とは……光もかい?」
「もちろん。……一緒に行ってくれますか?」
悩ましげに眉根を寄せた光が、妖艶に小首を傾げて見せる。
優人はクスリと笑った。
「もちろんさ。――砂神の招待って言うのは、気に入らないけどね」
「良かった♪ 豪華客船なんて、めったに乗れませんからね――しかも、人のお金で」
神野家の家計を預かる光の目が、キラリと光る。
――金には困っていないはずなのだが、ちゃっかりしていると言うか、抜け目が無いと言うか。
徹達は苦笑した。
「そう言えばさぁ……こんな事言うのも、なんだけど……百合亜さんって、歳はいくつ?」
言わずにいられなかった徹の言葉に、全員が引き吊った笑みを浮かべる。
「そうだねぇ……僕が、百合亜君のクラスを受け持ったのは、約二十年前だから……」
「三十七の、立派なオバサンだよ」
「……女性にソレは、言っちゃ駄目だよ、志郎」
吐き捨てるように言う志郎に、剣治は一応注意をしたものの……
((((良い歳して、何を考えているんだろう……))))
全員で同時に、盛大な溜め息をついた。
女子高生が学校の先生に憧れるのは、まだ分かるとしてもだ。
それを二十年以上も思い続けた挙げ句、もうすぐ四十歳に到達しようと言うのに、未だに独身を貫いているなんて――
一途を通り越して、執念を感じてしまう。
「まぁ、今回の誕生パーティーは『結婚相手を探すための顔合わせ』もかねているみたいだから、たぶん大丈夫だよ」
光に続いて夕食を終えた優人が、無頓着にカラリと笑った。
徹は不思議そうに首を傾げる。
「なんで優人が、そんな事を知ってるんだ?」
「手紙の最後の方に『残っていた』からだよ」
「……最早、手紙に『書いてあったから』じゃないんですね」
肩をすくめる優人に、剣治は苦笑した。
「読めば分かるよ。『お父様には、伴侶を探すように言われましたが、私は――(ピー)――』」
「放送禁止用語かよ!」
志郎が突っ込み、みんなで笑った。
「でも良いなぁ~。豪華客船で船の旅。俺も旅行に行きてぇな~」
大海原への憧れを込め、徹が熱い溜め息を吐く。
「……いくら想像を膨らませた所で、『海賊』や『怪獣』は『絶対』に、出ないだろ」
「ギャーッ!! 俺の頭の中を見るな!」
呆れた風な世流の言葉に、徹が悲鳴を上げる。
……図星だったらしい。
「最後の『絶対』も、別に強調しなくたって良いだろうが!」
少しだけ涙目になった徹が、真っ赤な顔でふてくされる。
「それに、旅行なら行けるだろ? 今週の土日は、剣道部の合宿だ」
「世流と二人っきりになれないだろうが!!」
徹が吠えた。
志郎は口笛をヒューと吹いて、徹を冷やかす。
「相変わらず、あっついなぁ、お前らは」
「うるせぇっ!」
ニヤニヤする志郎の隣で、なぜか頬を赤らめた剣治が、少しモジモジとし始めた。
「……ねぇ、志郎? あの……春休みに入ったら、どこか旅行に行かない?」
「おっ、良いなぁ! どこ行きたい? 山? それとも海か?」
思い切って誘った剣治に、志郎が嬉しそうに目を輝かせ、見えない尻尾をブンブン振る。
「あの……志郎のバイクで行ける所が良い……」
耳まで真っ赤にした剣治が、下を向いてハニカミながら志郎の袖を摘まむ。
それを受けて、志郎がニンマリと口の端を引き上げた。
「それは当然、二人乗りだよな?」
「…………」
もう声も出なくなった剣治が、さらにギュッと志郎の袖を握り、何度もコクコクと頷く。
満足に目を細めた志郎が、剣治の肩を抱き寄せ、形の良い旋毛(ツムジ)にキスを落とした。
「兄さん……人の事を言えませんよ」
「お前らの方が熱いじゃねぇか!」
白い目を向ける世流と、やっかみ半分で喚く徹を、志郎はフンと鼻で笑う。
「熱々以上に『甘々』だろうが」
「し、志郎!!」
剣治が悲鳴を上げた。
……そんなに恥ずかしいなら、人前で志郎に甘えなければ良いのに。
端と端で聞いていた優人と光は、同時に食後のお茶をズズズ~と飲み、軽く息を吐いた。
「平和だね……」
「そうですねぇ……」
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