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3.災いの足音はまだ遠く……
☆2月13日 AM.8時15分
「行ってきま~す」
「行ってきます」
学校指定のジャージを着た徹と世流は、竹刀と小さなリュックサックを持って玄関に並んだ。
これから北王子学園剣道部の山籠(ヤマゴモ)り合宿に行くのである。
「二人共、忘れ物はありませんか?」
「昨日、世流と何度も確認したから、大丈夫!」
玄関で見送る光に、徹がVサインを出す。
「あぁ、そうだ。世流、ちょっと……」
「何ですか、父さん」
不意に何か思い出したらしい優人が、内緒話をするように息子と肩を寄せる。
「……ありがとうございます」
「頑張っておいで」
神妙な顔でお礼を言う世流に、優人がさも面白そうにニヤニヤと笑う。
「気を付けて、行ってらっしゃい」
「行ってきま~す。優人と光先生も、明日は楽しんで来てくれよ」
明日は優人と光が船上パーティーに行く日だ。
期待に笑みを深くした光が、優人と一緒に軽く手を振って、合宿に行く子供達を送り出す。
高校までは徒歩で約十分ほど。
合宿が楽しみで仕方のない徹は、一歩ごとに興奮が増してくるらしい。
そんな徹を黙って見守っていた世流も、父親にもらった物を意識してしまい、胸の高鳴りを抑えるのに必死だった。
「そう言えば、さっき優人に何をもらったんだ?」
「秘密だ。夜になったら教えてやるから……楽しみにしていろ」
「……なんか、知るのが怖くなってきた」
☆ ★ ☆
☆2月13日 AM.9時40分
玄関で靴を履く剣治の背中に、志郎がべったりとくっついている。
部活のために出勤する剣治と、一分一秒も離れたくないらしいが――名残を惜しむ姿はまるで、甘える大型犬のようだ。
剣治の匂いを胸一杯に吸った志郎が、悩ましげな吐息と共に呟く。
「部活が終わる頃、聖ヴァルの近くのカフェに行くからな?」
「うん。ありがとう」
剣治の部活が終わった後、二人で買い物をして、そのまま剣治のアパートに泊まるのだ。
久しぶりに剣治の部屋で二人きりになるので、今から夜が待ち遠しい。
「……待たせちゃったら、ごめん」
「別にいいぜ。……剣治の事なら、俺はいくらでも待つから」
そう言いながら、志郎は剣治の腰をギュッと抱き締めた。
家族の前では快活で頼れる兄貴分の志郎だが、剣治と二人きりになると、とたんに子供っぽくなる。
子供の時に、甘える事を知らなかった反動かも知れない。
そんな所も含めて、志郎を愛しいと感じるから、重症だなと剣治は思う。
「行ってくるね、志郎」
靴を履き終えた剣治は、少し後ろを振り返って、志郎の頭を優しく撫でた。
少し寂しそうな目をした志郎が、置いて行かれる犬のように、小さく「うぅ……」と呻く。
「……行ってらっしゃい。気を付けてな?」
「うん。行ってきます」
最後に名残惜しむようにキスをして、やっと剣治は神野家を後にした。
キスの効果か、部活に行く足取りも軽やかに、剣治はやる気を燃やす。
そして部活の後に待つデートを考えると、もう天にも昇る気持ちで、無意識に鼻歌を歌っていた。
☆ ★ ☆
☆2月13日 AM.10時
所変わって――こちらは、北王陣学園剣道部を乗せたバスの中。
貸し切りであるバスの車内では、恒例のカラオケ大会が開かれていた。
部員達が熱唱する流行りの曲を聞き流し、窓側に座った世流は、詰まらなそうに外を眺める。
「なんで剣道部の合宿へ行くのに、カラオケ大会をする必要があるんだ? 遠足でもないのに……」
「そう言うなよ、世流」
通路側に座った徹が、隣の世流にペットボトルの飲み物を渡す。
「さっき部長に聞いたんだけど……合宿先に着いたら練習三昧で、遊ぶ暇が無いんだと。帰りはみんな疲れて寝てるだろうから、今の内に騒いで、後々の士気を高めるんだってさ」
まだ少し納得できない世流は、「それで士気が高まるのか?」と言う言葉を、スポーツ飲料で喉奥に流し込んだ。
「荒神もなんか歌え!」
「えぇ~、俺、流行りの歌なんて歌えませんよ?」
指名された徹が、少し困ったように頭を掻く。
「そんなの、好きな歌で良いんだよ。ほら、何歌うんだ?」
世流が横から睨んでいるのも気付かないで、その命知らずな先輩が、徹に選曲リストの本を押し付ける。
「俺の歌える曲、入ってるかな? ……あっ、コレにしよ」
マイクとリモコンを受け取った徹は、分厚いリストを確認しながら、曲の番号を入力していく。
そして流れてきたのは、昔どこかで聞いたようなクラシカルな音色……
誰もが首を傾げていると、徹の口からほとばしったのは、なめらかな英語の歌詞だった。
「コレ……前に流行った映画の主題歌?」
「あぁ、確か……豪華客船を舞台にしたラブストーリーだっけ?」
ヒソヒソと飛び交う声も耳に入らず、世流は恍惚とした顔をして、徹の歌に聞き入っていた。
元々、徹は英国人とのハーフなのだから、英語が得意なのは分かる。
けれど、それにも増して艶のある歌声に、世流は無意識にため息をもらす。
――先ほど徹に無理やり歌を薦めた先輩は、命拾いしたらしい。
そして最後まで歌い上げた徹は、割れんばかりの拍手に包まれた。
「ブラーボー!」
「良いぞ、荒神!」
照れくさそうにニヒヒと笑った徹は、マイクを適当な先輩に渡して、スポーツ飲料で喉を潤す。
「俺の歌どうだった?」
「……まぁ、良かったんじゃないか?」
「ニヒヒ、サンキュー」
世流に誉められて、徹が嬉しそうに笑う。
それを見詰めていた世流は、さりげなく徹の肩に手を掛け、他には聞こえないように耳元で囁く。
「けど……今度からは、俺の前でだけ歌え。周りには聞かせてやるな」
甘く低い声で囁かれる独占欲に、徹の背筋がゾクリと震えた。
「……無理言うなよ、世流のバカ」
中心にまで響き、ムクリと反応を示しそうになる。
代わりに顔を真っ赤にした徹に、世流は満足そうにクスリと笑った。
少し悔しそうに唇を尖らせた徹が、歌い終わった先輩にマイクを要求する。
「お前も歌えよ、世流」
「……俺は、流行りの歌は好きじゃない」
「流行りじゃなくて良いんだよ。……俺は、世流の好きな歌が聞きたいんだ」
最後に小声で囁かれた言葉に、世流の胸がドキッと脈打った。
「……幻滅しても、知らないぞ」
そう言った世流は、選曲本の目録からさっさと選び出し、少し迷って曲の番号を入力した。
「……コレ、紅白で時々聞くヤツだよな?」
「えっと……石川○ゆり、だっけ?」
そう、世流が歌い出したのは――演歌。
((((し、シブい……))))
剣道部員達が絶句している間、徹だけは目をキラキラさせていた。
「良いぞー、世流ー!」
もちろん徹は演歌なんて聞いた事が無い。
それでも、世流が上手い事は十分に分かる。
それも恋人の歌う物なら、なおさらだろうか。
そして世流の歌が終わる頃、運転席の方からグスグスと、鼻をすする音が聞こえていたとか……
「凄いぜ、世流! 初めて聞いたけど、凄く良かった! Great!」
「……うるさいだろ、このバカ」
興奮する徹に手放しで喜ばれ、世流は恥ずかしそうにそっぽを向いた。
その世流の頬が、ほんのり赤く染まっている。
それから、しばらく興奮の冷めなかった徹は、ずっと世流の隣で騒いでいた。
「凄いなぁ、凄いなぁ~! いつもあんな歌、歌ってるのか?」
「ん……まぁ、家族でカラオケに行くと、いつも――だな?」
ちなみに優人は、どんな歌でも一度聞いただけで、完全にコピーしてしまうらしい。
しかもアニメのオープニング程度に短く編集された曲さえ、一度聞けば最後まで完璧に歌える。
「……優人って何者?」
「だから神だろ……イタズラと欺瞞(ギマン)の」
何気無く顔を見合せた徹と世流は、どちらからともなく、プッと吹き出した。
そんなこんなで、盛り上がっていた剣道部一堂は、合宿所に入って行く。
☆AM.11時20分
ミーティングと柔軟体操を終えた徹達は、早速「エイ!」「ヤァ!」の声も勇ましく、素振りを始めた。
いつもの体育館とは場所が違うためか、身が引き締まる感じがする。
「セイ!」
「ヤァッ!」
☆ ★ ☆
☆2月13日 PM.4時15分
ブルンッとエンジンを鳴らした志郎は、軽快にバイクを走らせた。
安全運転は心がけているが、もうすぐ剣治に会えると思うと、高揚した気持ちに早く早くと急かされる。
朝見送ったばかりだと言うのに……
今夜は熱くなりそうな予感に、いつの間にか志郎の顔はニヤけてた。
一秒でも早く、剣治に会いたい。
叫びだしたい興奮をバイクに乗せて走れば、待ち合わせのカフェには、あっという間に着いてしまった。
カランカラ~ン
軽やかなドアベルを響かせ、暖房の効いた店内に入った志郎は、窓側の角の席に座る。
一番聖ヴァルに近いこの席なら、剣治が来た時にすぐ見付けられるのだ。
志郎が腰を落ち着けると、間もなく店員がメニューを持って来た。
「コーヒーを」
短く注文した志郎は、持ってこられたコーヒーをブラックで飲みながら、ジッと外を見詰めた。
冬の日暮れは早い。
薄紫色に染まり初めた外を、何人もの高校生が通り過ぎていく。
最後まできちんと片付ける男だから、剣治が来るのはもう少し後だろう。
何度も「そんな事は部員に任せちまえ」と言いかけては言葉を呑み込んだ。
一緒に切磋琢磨する生徒達のために、いつも誠実であろうとする所も含めて、神代(カミシロ)剣治と言う男を愛してしまったのだから。
「『惚れた弱み』ってヤツかな?」
苦笑した志郎が、コーヒーをおかわりしながら待つ事20分。
……少し遅い。
さすがに待ちきれなくなってきて、志郎が腰を浮かせると――
♪~♪~♪~
志郎の携帯が特別な音楽を奏でだした。
その着メロに設定しているのは、剣治だけ。
志郎は慌てて携帯を耳に押し付けた。
「剣治、何かあったのか? 無事か!?」
勢い込んで捲し立てる志郎に、携帯の向こうで、剣治が『プッ』と吹き出す。
「剣治――?」
『ごめん、ごめん。志郎が凄く心配してくれたから、なんだか嬉しくって』
剣治が携帯越しにクスクスと笑っている。
取り敢えず、事故や事件は無いらしい。
志郎は安堵のため息をついた。
「心配すんのは、当たり前だろ……今どこで、何してんだ?」
『ちょっと用事があって、部活を早目に終わしたんだけどね――』
一度家に帰ってすぐに来る積もりが、学校の前で生徒に止められてしまったらしい。
『後10分くらいで着けるから、もう少しだけ待っててくれる?』
「了解。……気を付けて来いよ」
通話を切った志郎は、もう一度大きく息を吐き出し、追加注文をするために店員を呼んだ。
「後5分くらいで友達が来るから、彼にもコーヒーを持って来てくれ。ついでにスコーンも」
「かしこまりました」
それから約5分、カフェの方へ走って来た剣治に、志郎は店内から軽く手を振った。
それに気付いた剣治は、窓の前で一度止まり、『ごめん』と手を合わせる。
志郎は『大丈夫だ』と言う代わりに、ニッと笑って見せた。
カランカラ~ン
「志郎、遅くなっちゃってごめん!」
店に入るなり、速足で志郎の前に来た剣治が、パンッと手を合わせる。
「気にすんなよ。それより、走って喉渇いたんじゃねぇか?」
その時、店員がタイミング良くコーヒーとスコーンを運んで来た。
「ごゆっくりどうぞ~」
志郎の向かいに座った剣治が、嬉しそうに頬を上気させ、目をキラキラと輝かせる。
「ありがとう、志郎! 丁度お腹空いてたんだよ」
「いただきます」と手を合わせた剣治が、コーヒーで喉を潤し、できたてのスコーンを頬張った。
「美味しい~♪」
始終ニコニコしている剣治に、頬杖をついた志郎も穏やかに微笑む。
「所で、その大荷物は何なんだ?」
「あぁ、これ?」
スコーンにサワークリームを付けていた剣治が、足元に置いたボストンバックを指差す。
もともと剣治の部屋に泊まる予定だったのだから、本当ならアパートに帰る必要も無いはずなのだ。
剣治が嬉しそうに笑う。
「実は美術の天神先生に、『高級ホテルの宿泊付きディナー券』をもらったんだよ」
「美術の天神先生って、この間話してた『光ちゃんの母親』か?」
剣治が頷く。
「知り合いからもらったんだけど、仕事で行けなくなったんだって。それで、その……」
急に頬を赤く染めた剣治が、少し照れながらぎこちなく微笑んだ。
「良かったら……今日、行かない?」
はにかむ剣治が可愛くて、志郎は思わず笑ってしまった。
なるほど、剣治の持って来たボストンバックの中身は、二人分の下着か――
「俺はいいぜ。高級ホテルなんか、めったに入れねぇしな」
安堵の表情をした剣治が嬉しそうに笑った。
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