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第2話
結局、昼過ぎまで悠人は眠っていた。
筋肉痛のように痛む体を起こしキッチンに向かうと、ハムエッグとサラダがテーブルに残されていた。
仕事に行く、と、怜の男らしい字のメモが残されている。
そのあとに続く、体は大丈夫か? との文字に、ドキリ、としてしまう。
もちろん体調を崩している悠人の身を思ってのことだろうが、違う意味にも感じてしまう。
サラダをパクリ、と口に運び込みながら、あれって、夢だよね? と考える。
夢に決まってる。
そもそも深夜、悠人の部屋に怜がいるはずもない。
しかしあんな幻覚にも似たリアルな夢を見るなんて、怜との同居もそろそろ限界なのかもしれない。
いつかは現実と夢の境が分からずに自滅してしまいそうだ。
だが自分からはとても、出ていってくれとは言えそうにもない。
悠人のジレンマは、また一つ増えてしまったようだ。
結局、何も言い出せないまま、一ヶ月が過ぎた。
もっとも、怜は仕事が忙しいようで、朝早くに出ていき夜は遅くて、ほとんど顔を合わせる間もなかった。
病院勤務の薬剤師がそれほど忙しいとは思わなかったな……。
そして、そんなある日。
出勤した悠人はいつものように得意先の病院をまわっていた。
遅めの昼食を取ろうとコーヒーショップに立ち寄った悠人のもとに、後輩の純一から緊急の電話が入った。
「先輩! さっき警察の捜査が入ったんです」
純一の声は小さく、囁くような声だった。
「え? 警察?」
「はい。
玲の新薬のことで。
あの……先輩、何か動いてくれました?」
悠人はごくりと唾を飲み込んだ。
「あ……調べたんだが……。
よく、分からなかったんだ。
俺は、何もしてない。
何もできなかったよ……」
「そう…ですか。
じゃあ、なぜばれたんでしょうね?」
悠人は近く会食する約束をし、電話を切った。
ほんとうに、なぜばれたんだろう。
しかし警察の調査が入ったとなると、営業どころではない。
携帯のニュースを確認すると、すでに速報として伝えられていた。
悠人は状況を確認すべく、社に戻った。
営業部門はもちろん治験データの改竄に直接のかかわりのある部署ではないが、情報を聞きつけた医療関係者からの電話による問い合わせがすでに殺到していた。
悠人は上司のもとに赴き詳しい説明を求めたが、上司はまだ情報も得ておらず、悠人以上に取り乱していた。
悠人は情報の収集を依頼すると、その日は電話応対に終始した。
「ご迷惑をおかけいたしまして申し訳ございません。まだ詳しいことは調査中でございます。確認をとりましてからこちらからご連絡をさせていただきます」
決まり文句のように何人と話しただろうか。
得意先だけではなく、状況を知らされていなかった外回り中の同僚からも問い合わせの連絡が入る。
長い一日が終わり自宅に戻った悠人は、コートも脱がずくたくたに疲れてリビングのソファに倒れこんだ。
目を閉じているとそのまま眠ってしまいそうになる。
「……帰ったのか」
シャワーを浴びた直後らしい怜が部屋に入ってきた。
眠たい目をこすりながら目を開くと、間近に怜の顔があった。
そのあまりの近さに身動きできずに固まっていると、怜はフ…と笑い、悠人の唇に自分のそれを重ね合わせた。
「疲れているところ悪いが、話がある」
何事もなかったように怜は悠人の向かいに座った。
だが悠人はキスのせいですっかりと目が覚め、ソファの上に姿勢を正して座りなおした。
「実は、住んでいた部屋が火事になったというのは嘘だ」
「え……?」
思いもよらない言葉に、悠人は息を飲みこむ。
「ここに来るための口実だ」
「え……?
一体、何が目的で?」
そう話した時、怜が悠人のパソコンの前に座っている姿が思い出された。
あれも夢だと思ってたけど、まさか?
「悠人、俺は今、新薬の承認機関で働いてるんだよ」
「え?」
「厚生省に電話したとき、お前はほとんど喋らずにすぐに切ったけど、録音されてたのは気付かなかったろ?
あとで電話の声を聴いて、俺にはすぐお前だと分かった。
言っとくが、お前のパソコンから見つけた資料は、捜査では使われない。
違法に手に入れた情報だからじゃないぞ。
ただ俺は……お前が何に悩んでるのか、調べたかったんだ。
何か分かれば、俺にもできることがあるはずだろ?
俺はお前が何で苦しんでたのか調べ、後は治験を行った病院の方を調査したんだ。
だけど思ったより時間がかかってしまって……。
なんとか、発売には間に合ったけど。
……ここまで言えば、分かるよな?
だから……証拠を集めてお前の会社を警察庁に告発したのは、俺だよ」
「う、そ……」
悠人は体が小さく震えるのを感じた。
騙されていた?
確かにそう思うのだが、同時にそれは悠人を救ったともいえる。
何をどう考えていいのか分からず、悠人は両手で耳を塞いだ。
もう何も聞きたくない。
だがどうしても、気がかりなことがあり、悠人は顔を上げた。
「怜……もしかして、俺に何か、クスリを盛った?」
「悠人。
特別な薬じゃない。
抗ヒスタミン……眠くなる成分を入れただけだ」
「じゃあ……なんで夢を見たんだろう……」
「夢……?」
「毎日のように見てたんだ。
すごくリアルな夢……。
幻覚みたいな…」
特に最後に見た夢は、現実としか思えないほどリアルだった。
悠人はそのことを思い出し、体が熱くなるのを感じた。
っと。
怜が原因じゃないなら、この話題はヤバイな。
「お前睡眠薬飲んでただろ?
睡眠不足や過労でも幻覚をみるぞ」
「まあ、そうだったのかも…。
怜が原因じゃないならいいよ。
この話は。
それより、じゃあお前もう、ここから出ていくんだな?」
目的も果たしたし、怜としてはこれ以上ここに居座る理由がない。
だが、怜の言葉は意外なものだった。
「はぁ?
どうしてそうなる?
お前、俺の話聞いてなかったのか?」
「聞いてたよ!
聞いてたから、そう言うんだろうが!」
すると、怜がはっとしたように息を飲んだ。
「お前まさか……。
あの晩のことも夢だと思ってるんじゃ、ないのか?」
「え?」
何を言われているか分からず、悠人はキョトンとして怜を見つめる。
「え……えぇぇ?
まさか?」
怜はため息をついて右手で頭を抱えていた。
悠人はかっと体が熱くなるのを感じた。
「ったく。
一か月も放置してて、悪かったよ。
だけど発売前にどうにかしたかったから。
……好きだよ、はると。
………俺はもう、しばらく前から、お前のことしか見てない」
本当に?
そう言いたいのに、唇がわなわなと震えて、言葉にならない。
「あの日……。
俺の名前と誕生日がパスワードって知って。
たまらなくなってお前を寝顔を見てたんだ。
まさか……抱いてとせがまれるとは思いもしないで」
悠人は「うぅ……」とうめいて体を丸めた。
恥ずかしい……。
恥ずかしさでいますぐ死んでしまいそうだ。
すると、悠人の座るソファが音を立てて軋んだ。
怜が隣に座っている。
「悠人、顔を見せろ」
顔を覆う手を、怜は強引に引いた。
「や、めて……れ…ん。
はずかしぃ……」
息も絶え絶えに答えると、怜は「お前、誘ってるのか?」と、悠人の耳を優しく噛んだ。
「うぅ……」
怜が首筋にキスを落としながら、一枚、また一枚と悠人の服を剥いでいく。
「怜……」
涙をにじませながら怜を見上げる悠人の艶めかしい視線に、怜はゾクリと背筋が泡立つのを感じた。
明日も仕事があるのは重々承知だが、とても眠らせてやれないからな……。
「悠人……俺はこのままここに居座る気満々だから」
どうやらそこがひどく感じるらしい。
悠人は耳朶を弄られると、とたんに蕩けるような表情に変わる。
怜は文字通り朝まで、悠人の体を貪るように肌を重ねた。
悠人は情熱的な恋人に身も心も溶かされ、一晩のうちに何度も精を放った。
部屋に朝日が差し込むころ、悠人は恋人の胸に抱かれ微睡んでいた。
しかしその耳に「愛してる」と囁かれた声ははっきりと届いていたし、「俺も、愛してる」と囁き返したこともはっきり覚えていた。
そして時間が許すまでずっと手をつなぎ、世界にただ一人の相手とともに過ごす喜びを感じてながら眠りの中に落ちていくのであった。
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