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六
一日のうちわずかな、自由に出来る午後のひと時。
奉公人とはいえ仮にも分家当主の立場であるため、あずさは狭いながらも離れに自室をあてがわれている。
部屋の端に正座して、ぼんやり外を眺めていたあずさの手元には、開いたままの草 紙 があった。あずさに少しでも学をつけさせようと、父が伝手をたどって都から取り寄せてくれた漢籍である。
父の形見であり、分家の当主としての矜持を形にしたこの草紙を、あずさは実家から持ってきて大事に何度も読み返していた。
だが、その頻度もここのところ減ってしまったような気がする。
兄、親代わり。手本。
自分で言っておいて、とんだお笑い種 だ。
どんな扱いを受けても誇りは失わないと固く誓っていたのに、葉月と霜月の手練手管で蕩かされているうちに、心すら彼らに支配されてしまった。二人がかりで貪られることも、もっと屈辱的なことさえも、悦びとして貪欲に受け容れてしまっている。
弟達に会いたい。
生まれ育った家に帰り、元のように暮らしたい。
けれどその悲願の花は、こんな堕落しきった身では咲かすことなど許されないのではないか。
苦悩に柳 眉 をそばめたあずさは、膝の上の草紙をパタリと閉じた。
これとて、今の自分には不要の教養。
弟達もそろそろこれを読むべき歳になっているだろうから、託してきた方が彼らのためになったのでは────。
「……え?」
唐突に、あずさは違和感に気づいた。
家を出てからまだ一年も経っていないのに、まるで家を出てから何年も経過したかのような言い草だ。
「なんで……?」
自分がこの屋敷にやってきたのはいつだ?
────十年前。
────いや違う、一年ほど前のこと。
弟達はいくつだった?
────もう立派な大人になり、背丈も自分を越えたほど。
────いや違う、まだ十になったばかりの幼さで。
私が、守らなければ。
(ずっと会いたかった)
私さえ我慢すれば。
(あんな姿を見られるくらいなら)
私は兄として、慕われるに相応 しい兄でいたくて。
(こんなこと現実のはずがない。こんなおぞましい世界は)
──── わたしごと こわれてしまえばいい 。
「……っ!」
全身に鳥肌が立つ。
恐ろしい、忌 まわしい。こっちに来るな!
混乱したあずさは何かから逃れるように、抱えた頭を激しく振って身悶えた。
早鐘のように鳴る心臓が破れそうで、乱れた呼吸が収まるのにしばらく時間を要するほどだった。
「何だったんだ、今のは……」
ようやく落ち着いて、安 堵 の息を漏らす。
やはり疲れているのだろう。月日の感覚さえあやふやになるとは情けない。
なまめかしくすらある愁い顔で、あずさは己の不甲斐なさを呪った。
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