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第1話
草木も眠る丑三つ時。
屋敷の寝室から、声が漏れ聞こえる。
障子に浮かぶ影は二つ。重なり合う大小の影。
「薫(かおる)さん。私じゃ貴方の番になれないことは分かっている。兄から貴方を救えなかった僕に、こんな事を言う資格はないのかもしれない。でも、私は貴方と共にありたい」
涙ぐんだ男の声。長身の影の主である。
「清二郎(せいじろう)さま、わたくしも、同じ気持ちです」
小柄な影の主は、高い声をしているが、間違いなく男のそれである。
蝋燭の明かりが揺らめく閨で、二人の体が絡み合う。
「貴方にこんな事をさせてしまって、私は…、ただただ自分が情けない」
「いいえ、いいえ。これはわたくしの決意の証なのです。結ばれる相手は、本能ではなく、理性で選ぶ。凌太郎(りょうたろう)さまではなく、清次郎さま。あなたがわたくしのお慕いする相手…。凌太郎さまには、感謝しております。わたくしをあの店から連れ出して下さったこと、清二郎さまと引き合わせて下さったこと。」
「薫さん……」
影の主は、清二郎と薫という。
清二郎は、二十歳になったばかりの若い男である。商家の次男坊であり、凌太郎という兄がいる。薫は凌太郎の情人とでもいうべき存在だった。兄の情人と抱擁をかわすなど、知られてしまえば、大問題である。しかもここは、兄の屋敷である。清二郎は、薫の世話係としてこの屋敷にいるだけだ。本来ならば、薫の指一本触れることすら許されないのだ。
だが、もうそんなことは二人にはどうでもよかった。
凌太郎は、この室内にいる。二人が絡み合う横で、既に事切れている。
端麗な相貌に愉悦の表情を張りつけたまま息絶えた男。哀れ、首筋には赤い腰紐が絡みついている。下腹部は血にまみれ、体の一部が切り取られている。
全て薫の所業であった。
薫がこの屋敷にやってきたのは、ちょうど一年前のことである。ついの子部屋で、芸者を務めていた薫を、凌太郎が金で買ったのだ。「ついの子」というのは、古(いにしえ)よりこの国で使われていたある種の人間を表す総称である。西洋文化が馴染んできた今の時世では、「オメガ」と呼ぶことの方が多くなった。
文明開化の音がすると言えど、日ノ本の根幹が揺らぐことはなく、ついの子部屋というのは、古くより存在した遊郭の一種であった。
ついの子部屋に通うことができるのは、「資質の子」のみ。今では「アルファ」と呼ばれることが多くなった優良種のみであった。
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