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第1話

 一目で彼が欲しいと思った。それは情欲というにはあまりに幼く、恋情というにはあまりにドロドロとしたものだった。  澄んだ笛、重ねられる笙、地に重く響く太鼓が重なり合い美しい音色を奏でる中、シャンッ、シャンッと幾つもの鈴が神秘的な空間を作る。  平安の都、京の尊き貴族たちが集まる宴の席で、美しい青年が手に扇子を持って舞っていた。青年は艶やかな漆黒の髪に黄金の冠を付け、いっそ冷たくも見える切れ長の瞳は黒曜石の輝きを放ち、目尻に一つある泣き黒子がどこか妖艶だ。紅などひかずとも唇は赤く色づき真白な肌と合わさって、どこか神聖な美しさだ。舞を舞うためか、皆が束帯を身に纏う中一人質素で所々ほつれている狩衣を纏い、装いだけを見るならば殿上人が集まる今宵の宴には相応しくないみすぼらしさであるのに、青年は誰よりも美しく、洗練されているように見えた。  そもそもとして、青年――藤原 幸永(ふじわらのゆきなが)はこの宴に出席できるほどの家柄ではない。藤原性ではあるが、幸永の家は分家も分家で、決して裕福ではない。使用人も昔から仕えてくれている老婆一人だけであるし、父も異母兄も官職には就いているが、さほど高い地位ではない。北の方も中流の家の出であるし、幸永の実母は父に見初められて手籠めにされた、ただの町娘だ。当然家柄など無いに等しい。  この時代家柄が何よりも重要視される。父の家柄も良くはなく、実母は側室で元町娘。妾腹の出である幸永は当然北の方から生まれた兄達よりも身分は低い。ならばなぜ、父でさえも出席できないほどに高貴な方々が集まる宴の席で、よりにもよって舞など舞っているのかと言われれば、格上の分家の当主命令に逆らえなかったからという単純なものでしかない。  この分家の当主とは折り合いが悪く、何かにつけ恥をかかせようとあの手この手を使ってくる。今回も急に呼び出され、さしたる衣装も用意されずに舞を舞えと命令された。いくら貧窮しているとはいえ貴族。嗜みとして最低限ではあるが、異母兄も幸永も舞の教養はある。しかし父は次期当主である異母兄に恥をかかせたくはないと、このような嘲笑と哀れみの目を向けられる場所には必ず幸永を行かせるのだ。  全ての思惑がわかっているだけに嘲笑を漏らしそうになるが、無表情を保つのは幸永の得意技だ。視線一つ揺らさずに美しく舞を舞う。そしてこの場の誰をも幸永を嘲笑することなど許さない。その強い念の通りに、いつしか皆が幸永の舞に引き込まれ、貸し出された黄金の冠だけが浮いている、みすぼらしい衣装のことなどどこかに消し去られていた。  タンッと足を鳴らして扇子を翻し静止する。美しい舞が終了した合図だった。あちこちから感嘆のため息が零れ落ちる。それに見向きもせず、幸永は一礼して奥へと下がった。本来であればすぐに下がらず酌の一つや二つするべきなのであろうし、皆がそれを望んでいるのもわかっていたが、幸永はそんなことをする気はさらさらなかった。引き留められるのも煩わしいと、足早に宴席を去る。人影のない、薄暗い庭にまでたどり着き、漸く息を吐き出す。また誰かが舞でも舞っているのだろうか、再び宴の席から楽曲が奏でられる音が微かに聞こえた。  噂では人気の白拍子が招かれているという。もしかしたら今まさにその白拍子が舞っているのかもしれない。ならば最初から幸永などに舞わせたりせず、その白拍子に舞ってもらえば良いものを。

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