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第2話

 見世物にされた苛立たしさに顔を歪めた時、クスリと押し殺した笑い声が聞こえた。 「そんな顔をするくらいなら、舞わなければよいではないか」  薄暗い闇の中から姿を現したのは幸永よりも二つ三つほど年上の青年だった。良い家柄の子息なのだろう、纏っている絹の束帯は簡易的ではあるが一目で高価なものだと、物事に疎い幸永にもわかる。端正な顔は貴公子然としていて、スラリとした長身に穏やかな物腰の彼は、きっと数々の姫君を虜にしてきたことだろう。 「お前と違って俺は上には逆らえない」  公の場では猫を被っている幸永ではあるが、この青年の前だと素が現れ、口調も不躾なものに変わってしまう。パッと見ただけで青年の方が明らかに身分が上であろうに、神出鬼没でなぜかいつも幸永の側にいる彼に遠慮をするという思考がいつの間にか抜け落ち、彼もまたそれを咎めようとはしなかった。今もまた、彼はクスリクスリと笑うだけだ。 「そんな仏頂面を隠して、よくあれだけ美しく舞えたものだ」  ゆっくりと幸永に近づいてきた彼は、そっと幸永の手に握られていた扇子を抜き取った。 「あれだけ美しい舞であったのに、私が贈った扇子を使ってくれぬとは、幸永は存外寂しいことをする」  クルクルと掌で扇子を弄ぶ彼に幸永は嘆息した。 「扇子だけ上等な物を持っても不自然さと滑稽さが目立つだけだ。お前がくれた扇子にふさわしい衣装など持ち合わせていない」  藤色の美しい扇子だった。一目で高価とわかるそれは目の前の青年が持てばさぞ映えるだろうが、幸永が持っても扇子ばかりが分不相応に輝くだけだ。 「ならば似合う衣装を贈ろうか?」  こともなげに言う。否、正確な身分を聞いたことはないが、それでも彼の身形を見るに扇子に似合う衣装を用意することなど、彼にとっては何ほどの事でもないのだろう。しかしそれが幸永の癇に障るのだ。自然と冷たい視線を送ってしまう。 「必要ない。俺は物を贈ってもらうような姫君ではない。あの扇子とて、お前に返したいくらいだ。扇子も衣装も俺などに贈らず、意中の姫君に贈ればいい」 「意中の姫君ねぇ――」  静かに開いていた扇子を彼はパチンッと音を立てて閉じる。ひらりと掌で扇子を一回転させて、彼は幸永の狩衣に差し込んだ。 「淑やかな姫も、教養のある姫も、美しい姫も違う。手を伸ばしたい相手ではないな」  急に少し彼の纏う雰囲気が変わったような気がして、優雅に踵を返して背中を向けた彼に幸永は戸惑う。 「清史(きよふみ)?」  彼――清史は頭だけで振り返り、感情の読めない笑みを見せた。再び歩き出す清史に幸永は首を傾げる。  清史とはもう長い付き合いになる。それこそお互いが元服する前からの知人だ。だから元服後の男性は親兄弟でない限り役職や位の名で呼ばれるのが通例であるのに、未だ幸永と清史は名前で呼び合う。身形からして高貴な家の出であるのだろう清史の名を敬称すら付けずに呼ぶのは不敬なのかもしれない。だが清史は役職名を頑なに教えてはくれず、ならば名前に敬称を付けようとすれば、絶対零度の微笑みを向けられてしまった。  やはり彼はよくわからない。そう思って幸永は静かに歩き出す。どうせ幸永に恥をかかせるためだけに連れてこられた宴だ。これ以上長居する必要はないし、幸永の為に牛車が用意されているはずもない。ならば誰にも見られぬうちに歩いて帰宅するのが賢明だろう。

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