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第1章 卯月 

    第1章 卯月  車窓の風景が薄紅色に染まりはじめた。  三枝智也(さえぐさともや)は吊り革を押しやるふうに肘を曲げると、乗客の肩越しに美景を眺めやった。  ひなた台高等学校経由くらかけ車庫行。表示板にそうある通勤・通学バスが、全長一キロに亘って沿道を彩る桜並木に差しかかった。  花という(おろも)をまとった枝々が(けん)を競っているような幻想美にあふれて、視界いっぱいに広がる。凄艶さに魅了される反面、この世のもの、ならざるものと遭遇したような空恐ろしさに皮膚が粟立つ。  ──桜の樹の下には死体が埋まっている。  ひらひらと花びらが舞うさまに見惚れていると、かの有名な一節が頭に浮かんだ。三枝は涼やかな目許に笑みをにじませて、ネクタイの結び目をとんとんと叩いた。  戯れに考える。おれなら桜の樹の根元に何を葬るだろう。たとえば……思春期のころにつけていた日記? 駄目だ、誰かが掘り起こして読みはじめたら、中二病全開の内容に笑い死にする。  つと、青春の残滓と呟いて、懐メロの歌詞みたいだ、と苦笑を洩らした。華奢なデザインの眼鏡を押しあげて、そのときバスが停留所で停まった。  弾みでよろけた女子高生の一団が、きゃあきゃあと悲鳴をあげる。数名の乗客が降りたものの、それ以上の人数が乗ってきたために、人いきれでむんむんする。  鮨詰めの車内で少しでもパーソナルスペースを確保しようと、通路を埋め尽くす乗客が押し合いへし合いしているさなか、 「年寄り扱いしなさんな!」  怒声が響き渡り、車内の空気が凍りついた。  このバスの乗車口は車体の中央にあり、ステップをあがるさいに整理券を取る仕組みだ。トラブルが発生したのは発券機のそばで、なりゆきを危ぶむ視線がそちらに集中する。  そこには高齢の男性がいて、発券機のかたわらに設置されたポールにしがみついているのだが、足下がおぼつかない。バスが走りだすのにともなって車体が揺れた。とたんに老爺(ろうや)がバランスを崩し、ステップに転げ落ちそうになった。

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