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第2話

 ひとりの男子高校生が素早く手を差し伸べ、老爺を支えた。ところが老爺は感謝するどころか、疎ましげに手を払い落とす。  ポールに接するひとり掛けの席が空いている。その席に座っていた男子高校生が、そこを老爺に譲ろうとしたさいに、ちょっと言葉の行き違いがあった。それが、いざこざの原因だった。 「事故防止のため、走行中はステップの上にお立ちにならないでください」  折も折、火に油をそそぐに等しいアナウンスが流れた。ありがた迷惑だ、見てのとおり矍鑠(かくしゃく)している、と老爺がわめき散らす。  男子高校生は耳まで赤くして立ち尽くし、他の乗客は見て見ぬふりに徹する。  三枝は通路のいちばん後方にいた。そして、やきもきしながら様子を窺っていた。仲裁に入りたいのは山々だが、会社員風のふたりの女性に挟まれていて、下手に動くと痴漢という濡れ衣を着せられかねない状況にあるために、思うに任せない。  老爺は興奮する一方で、目を吊りあげてなおも怒鳴る。こちらの乗客は舌打ちをし、あちらの乗客はうんざり顔でスマートフォンをいじるなか、 「でしゃばって失礼しました!」  男子高校生が腰をかっきり九十度に折った。  涼風(すずかぜ)が、腐臭を吹き払ったようだった。潔いふるまいに三枝は目を瞠った。  十代後半といえば承認欲求が激しいのがふつうで、繊細な年頃の子が、善意を踏みにじられたばかりか人前で罵倒された。クソジジイ、と罵り返しても不思議ではない場面で、自分に落ち度があるように(へりくだ)って収拾を図るとは大したものだ。  ただし心の中では怒り狂っているのか、それとも恥ずかしがっているのか。拳に握った手がわななく。  次の停留所で停まる旨を示すブザーが鳴った。それで憑き物が落ちたように、老爺がようやく口をつぐんだ。  キレずに、よく我慢した。三枝はせめて目顔で男子高校生を称賛したいと思い、発券機のほうに頭を振り向けた。  すると当の本人がちょうどこちらを向き、ドンマイと仕種で励ますと、彼はぴょこんとお辞儀をしてみせた。

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