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第1話

 口元からこぼれた灰が、湿気ったアスファルトの上にできた水たまりに落ち、じっ……という音を立てて消えた。  梅雨の時期に差し掛かり、例年に違わず雨が降り続ける。日が暮れようやく雨の勢いが治まったとしても、梅雨独特の蒸し暑さは変わらない。それに加えて低気圧が原因で引き起こされる偏頭痛が、最近の彼の目下の悩みの種でもあった。  だが、そんな様子はおくびにも出さず、高崎真人は黒のスーツに身を包み、人気のない路地裏の壁に背を預けた。一部の隙も見せない洗練された立ち姿。無造作に後ろへ撫でつけられた髪型も、妙に彼には合っている。一見官僚のようにも思える容姿だが、高崎の目は昏く、誰をも寄せ付けない鋭さも持ち合わせていた。  自らの名を背負い、組を立ち上げてから早数ヶ月。小さな組とはいえ、高崎の名はその界隈では知れ渡っていた。血も涙もない冷酷非道な男。感情が抜け落ちたロボット。どんな悪どい仕事でも、眉一つ動かさず確実にこなす金の亡者。悪い言われようでもその噂が噂を呼び、高崎の評価を上げたのもまた事実である。  生きる為なら何でもやった。表で生きられなくなった自分を拾い、育ててくれたあの人のために。  その男は、名を神谷といった。杯こそ交わさなかったものの、神谷は高崎にとって何よりも大きな存在だった。  神谷の元から離れ、自分も彼と同じ立場になった今でも、高崎は彼の為に忠義を尽くした。 高崎がこの場所にいるのも、そんな神谷との約束だった。  左の袖から覗く時計で時刻を確認すると、既に夜の九時を回っていた。開店時間になっても店の明かりが点く様子はない。この調子だと、また酔いつぶれたのだろう。だがそんな不真面目なところも、高崎が彼を好いている要因のひとつでもあった。荒んでいた自分の若い頃よりも幾分マシだが、当時の自分によく似た彼を放ってはおけないのだ。  すっかり短くなった煙草を携帯灰皿に捨て、二本目に手を伸ばそうとしたその時、細い通路をびちゃびちゃと走る音が聞こえた。 「あれー? 真人さん、もう来てたんですか?」  急いで走ってきたのだろう、額に汗をかいて息を切らした様子の男は、Tシャツの襟元に手を掛け、パタパタと風を送った。 「ほんっとスイマセン! 何か奢りますんで、そんで勘弁してくださいよ」  へらへらと笑う彼は悪びれる様子もなく、ポケットから取り出した鍵を手に、店の入り口へと向かった。

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