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第18話【僕の演技】
足音は、ゆっくりと僕に近付いて来る。きっと、約束をしていた見知らぬ誰かだ。それなのに、僕は顔を上げられない。
――だって……それどころじゃないんだから。
初めて父親に間違えられた時、僕は深く傷付いた。愕然として、驚愕で、ビックリして……父親を見た後に、一太郎君を見たんだ。
一太郎君は、泣き出しそうな僕の顔を見て、驚いていた。あの顔は、そういう意味の表情。
それから、間違えられる事や『どっちでもいい』と言われる事が増えて……その度に自己を見失っていたのは、僕だ。
ヒステリックに泣き叫んで、嫌だ嫌だと喚き散らし、一太郎君と僕、双方の事を『僕』と呼び始めたのも、全部全部僕だった。
その度に、一太郎君は胸を痛めていたに違いない。自己を見失わないでと、僕を説得していた筈だ。
一太郎君は、優しい人。中でもとびきり、僕には優しかった。
――だから、一太郎君は狂人のフリを始めたんだ。
情緒不安定だったのは僕で、優しくあやしてくれたのは一太郎君だった。
それなのに、いつからか立場が逆転していて……情緒不安定な一太郎君と、冷静な僕に変わっていた筈。……その事に、どうして気付かなかったのだろう。
――それはきっと……一太郎君の、優しさ。
どちらかがジョーカーを持っていないと、ゲームが成立しないのと同じ。不安定という名のジョーカーを、僕の代わりに一太郎君が持ってくれていた。ジョーカーを持っている人に感謝してプレイするゲームなんて、あるだろうか? 僕等の世界も、そういうもの。
毎朝、お寝坊さんな一太郎君にのしかかって、僕は何度も『起きて』と言っていた。起きてくれないから、どうにか起こそうと首を絞めたりもしたさ。そうしたら、一太郎君はすぐに起きてくれるんだ。寝たフリなんて、酷いよね? あの時の僕は、本当に必死だったのにさ。
それがいつからか、逆になっていた。一太郎君は僕より早く起きるようになって、僕にのしかかって、首を絞めてでも起こそうとしてきて……。
初めのうちは、困惑した。何が何だか分からなくて、少しだけ怖いと思ってしまったのも事実。
だけど、相手は一太郎君だ。何も怖い事なんて無い。だから、すぐに受け入れる事が出来た。
僕みたいに泣き出すから、僕が慰めてあげないと。それから間違えられる度、僕よりも先に一太郎君が傷付いてくれた。だから、僕が慰める側に徹していたんだ。
傷付いて、悲しんで、可哀想な一太郎君を守れるのは……僕だけ。そうする事で、僕は傷付かなくなった筈だった。
だけど、間違えられる事にはいつまでも敏感で……だからこそ、一太郎君を守る為に選んだ死だけれど、今更になって踏み止まろうとしている。
――だって、一太郎君は傷付いたフリをしていただけで……本心は、違う。
一太郎君に、謝らなくちゃいけないのに……約束の人は、目の前に立っている。
恐る恐る、顔を上げた。性別も歳も何も知らない相手なのに、こんなにも怖い。
目の前に立つ人を、ゆっくりと見上げる。
――そこで生まれたのは、妙な既視感だ。
「『悲しむ人はいないの』って……何度も、訊いたよね?」
誰よりも聴いたその声に、僕は言葉を失った。
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