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2❥⑩
「レイチェル」は、名前の通りまるで社長の姪っ子とは思えないほどアジア系の顔立ちではなかった。
だがしかし、日本語が非常にうまい。 幼い頃から日本で暮らし、両親や周囲の影響を多大に受けて育ったのだろうかと、聖南は足を組みながら反感をやめて思う。
金髪の美しい女性が難なくJ-POPを歌っているその画面を見詰めて、それからゆっくりと瞳を閉じた。
声楽を学んでいるらしいが、聖南には「巧い」としか分からない。
なんと言っても聖南の技量がほぼ独学で学んだようなもので、ボイストレーニングで培ったのは喉と腹筋の使い方のみである。
あとは探り探り、自身で見付けた。
高音を出したい時、音程を捉える時、喉を駆使して腹筋と耳を意識する。
CROWNではバラードらしいバラードが無いため、聖南にはこれほどしっとりと聴かせる歌い方をするレイチェルの「巧さ」を、客観的にしか捉えられない。
『……へぇ…これは……』
それでも、聖南には分かった。
社長の姪というコネが無くとも、オーディションを受けたりインディーズのライブ活動などで客を集めたりすれば、必ず「欲しい」と名乗り出る事務所があるはずだ。
この声の伸び、音域の幅はきちんと学んで会得したものであり、何より一番はレイチェル本人の類まれな才能が、軽めの声質に重厚感をプラスしている。
日本でCDを出したいがために猛練習したのか、滑らかで違和感のない日本語がとにかくうまかった。
聴いてみなければ分からないと言い訳のように言っていた聖南だったが、まさにそれが現実となった。
「………………」
曲終盤、泣いていた葉璃が何故かやや膨れて戻ってきた。
ノートパソコンから流れる歌声に気付いた葉璃は、そろりそろりと歩んで聖南の隣に腰掛ける。
歌声に聴き入っていたはずが、葉璃が戻ってきただけでそちらに意識が奪われる。
よくない、これでは仕事をしていないと判断されるかもと案じても、ふわりと香った聖南の移り香に優越感を覚えてしまい、ついニヤッと笑んでしまった。
その悦に浸ったままさり気なく大好きな人の手を握ろうとした聖南だが、さっきまでナチュラルに触らせてくれていた葉璃にスッと距離を置かれて「は?」となった。
『え、いま…俺のこと避けた…?』
途端に笑みを消し、なんだよ…と膨れる。
レイチェルの歌声についての感想を、今か今かと聞きたくてウズウズしている社長が目の前に居るから避けただけだと、無理やりこじつけた。
そうしなければ聖南はすぐにジメジメすると、もはや自覚している。
「どうだ? うまいもんだろう」
「…あ、…あぁ、そうだな」
「器量も申し分ないだろう?」
「あぁ、まぁ。 綺麗なんじゃない。 まるで日本人じゃねぇけど」
喋りつつ葉璃の方へ近寄ってみても、その分葉璃も遠退いて軽いショックを受けた。
「………葉璃?」
「はい?」
何か怒ってない?
肩を揺さぶって問い詰めたくても、社長の前で、しかも仕事の話を現在進行系でしている以上はそんな事も出来ない。
見上げてくる瞳が少しもうるうるしていなくて、どちらかというと怒りを滲ませているようで「ほんの数分の間に何があったんだ」である。
「では頼めるか?」
「………あぁ」
「おぉ! セナならそう言ってくれるだろうと思っていた! それでは早速、セナのスケジュールを成田に問い合わせて、打ち合わせの日取りを決めよう!」
「………あぁ」
「レイチェルは来週帰国する。 また連絡するからな、セナ」
「………あぁ」
「おいセナ、聞いてるか?」
「………あぁ。 じゃ、そういう事で」
連絡して、とだけ言い残し、葉璃の手を引いて愛車まで急いだ。
手を引かれている事でスタッフ等から注目を集めてしまい、葉璃は握っている手を離そうとしてきたが放してやらなかった。
助手席に乗せた葉璃にシートベルトを嵌めてやるフリで、冷たくされたと内心焦りまくっている聖南は、至近距離から可愛い瞳を射抜く。
「葉璃、何かぐるぐるしてんの」
「えっ? してないですよ?」
「嘘だ、してるだろ。 俺の事避けた。 なんで避けた? なんで怒ってる?」
「避けてないですよ…? あ、あの…社長の前だったから、……」
「………ほんとか? 嘘吐いてない?」
「はい…、ぐるぐるしてたら俺逃げるはずでしょ? 逃げてないですよ?」
「………そうだけど」
「ピアスのお話、聞けて良かったです」
問い詰めた聖南へ、美談に涙していた葉璃がふわっと笑い掛けた。
けれど聖南には分かる。
『無理して笑ってやんの…』
あまり問い詰め続けても塞ぎ込まれたら嫌なので、聖南は腹ごしらえに向かうためにハンドルを握った。
葉璃のお気に入りの店である和食料理屋へ到着し、個室へ通されるが葉璃はどことなく聖南と距離を置いていた。
空腹でイライラしている可能性もあると、聖南は淡々と十種類の一品料理と白飯の大をオーダーする。
きっと大を頼んでもすぐにおかわりが必要になるので、そっと呼び出しベルを手元に寄せた。
テーブルに並んだ料理達を見て「多いですよ…」と毎度呟く葉璃だが、これをぺろりと一人で食べ尽くす様が聖南は大好きだ。
大食いの葉璃は可愛い。
もぐもぐと咀嚼する顔は小動物のそれそのもので、動画を撮りたくても一度怒られた経験があるので脳の記憶におさめておくしか方法がなく、聖南は葉璃を食い入るように見詰めた。
いつもと同じペースで食べていて聖南もご満悦だったが、この日、葉璃は白飯のおかわりをしなかった。
終始どこか上の空な気がして、聖南の方がぐるぐるしそうだった。
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