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トン、トン、と鉄骨階段を上がってくる音が、ゆっくり近付いてくる。
咄嗟に隠れようと立ち上がったここは先がないてっぺんで、逃げようにも逃げられない。
……誰……?
手すりを握り締めて、バクバクし始めた胸元のリボンをきゅっと握る。
「こんなとこで何してんの? ヒナタちゃん」
現れたのは、薄いクリーム色の衣装を身に纏ったCROWNのセナだった。
「……っ聖南、さん? ……なんで……?」
踊り場まで上ってきた聖南は、まるでここに俺が居る事が分かってたみたいに飄々としていて、不自然なくらい落ち着いている。
「リハお疲れ」
「……聖南さんも、お疲れ様です」
俺のほっぺたを摘んだ聖南が、フッと小さく笑った。
そして、じわ…と優しく抱き締めてくれる。
何分も、何分も、ただ黙って六月の温い風を浴びながら、抱き締めていてくれた。
なんで聖南は、俺が居る場所が分かったんだろう。
さっきまで怒った顔してたのに、どうして今はこんなに優しく抱き締めてくれてるんだろう。
俺が聖南に助けを求めた事を、どうやって感じ取ってくれたんだろう。
いつもいつも、欲しいと言う前に温かい笑顔をくれる聖南は、俺だけの超能力者みたいだ。
衣装にメイクが移ったら悪いから、聖南の胸を押して離れがたい腕から逃れた。
すると聖南は、離れたと同時に静かに口を開く。
「なぁ葉璃。 いつになったら俺を頼ってくれんの?」
「………………!」
「こんなとこでメソメソぐるぐるするくらいの事、あんじゃないの?」
顔を覗き込まれた俺は、やっぱり聖南は超能力者なんじゃ……と疑った。
何も言ってないのに、今まで匂わせもしなかったのに、俺のメソメソの理由を前から知ってたような口振りに思考が止まる。
聖南には大見得切って頑張るって言っちゃったし、Lilyのメンバーの子達に笑われたんだって子どもみたいに告げ口するのも違うと思った。
でも聖南は、多分もう分かってる。
俺が言わない事も、言わない理由も。
「……ありますけど、……ないです」
「…………はぁ……」
それでも自分の口からはとても話せなくて、分かりやすく濁した。
俺の瞳を見詰めていた聖南は、大きな溜め息を吐いた後、腕を組んで遠くの景色を睨んだ。
こうして並んでると、俺とは二十センチ以上も差がある聖南の背の高さが羨ましく思える。
きっと聖南は、俺が見てる目の前に広がるゴチャゴチャした街並みよりも美しい、遥か遠くの山々を眺めている。
キラキラしたアイドル様の姿で、いつでもその瞳に映るのは輝かしい光だ。
「──俺さ、葉璃が居てくれたから、作曲にも前向きになったんだよ。 「俺も頑張るから、聖南さんも頑張って」ってケツ叩いてくれただろ」
生温い風が、爽やかに聖南の髪を揺らした。
見上げた先のその横顔はとても穏やかで、凛としていて、俺には勿体無いと常に凹んじゃうくらいの美丈夫。
「………………」
「俺はCROWNのセナである前に、葉璃の恋人の日向聖南だ。 ぐるぐるすんのは俺の前でだけにしろって言ったよな? 何ひとりで抱え込んじゃってんの」
「……いえ、ほんとに俺は……」
「大丈夫って言いたいのか? 本番前にこんなとこでひとりで黄昏れてたのに、それを俺が信じると思う?」
「………………」
……思わないよ。
どうやって俺の居場所を知ったのかは分からないけど、聖南は確信を持ってここに居る。
林さんにも口止めしたLilyとの初対面の印象は、同じ音楽シーンを歩むアーティスト同士だから絶対に聖南には言うべきじゃないと思った。
でももしかしたら、聖南はそれにさえ気付いてるのかもしれない。
俺の拙い激励で奮起してくれた聖南は最近、睡眠時間を削り、俺とのエッチも我慢して夜な夜な書斎にこもってる。
心から頑張ってほしいと言った俺の気持ちを、聖南は裏切るまいとしてるんだ。
聖南には何でも話さなきゃいけない。
聖南ならどんな事を言っても受け止めてくれる。
俺がぐるぐるしてたらすぐに気付いて問い詰めてきて、話を聞いてくれて、励ましてくれる。
……ここまできて言わなかったら、聖南はきっと不安になって「俺じゃ頼りないか」と嘆くよね。
俺も多分、逆の立場だったらそうなるから──。
「…………逃げたい、……です」
「……ん?」
少し前にチャラ男の言葉に打ちのめされて白状させられた、あの時すでにどさくさに紛れて言いたかった台詞を絞り出す。
『言ってもいい。 もっと吐き出せ。 言いたいことはそれだけじゃないだろ?』
俺を見下ろす聖南の視線が、全部曝け出してくれとでも言うように柔らかかった。
ヤンチャで、一見怖そうな俺の大好きな聖南の顔が近付いてくる。
舌出して、と耳元で囁かれて、言われた通り少しだけ舌を出してみせると器用にその舌先を舐められた。
「……っ……!」
唇を合わせない、妙な舌先だけのキスは初めてだった。
何秒間かくるくると交わらせて離れた聖南に、「続けて」と真顔で言われたんだけど……右手を上げてちょっと待っての合図をする。
打ち明けようとした直後に舌を舐められるとは思わなかったから、ドキドキがなかなか鎮まらなかった。
こんなキスをするのは恋人だからだ。
その恋人には何もかもを話すべきだよなって、俺の背中を押すように聖南の舌先が語っていた。
「……聖南さん、俺……逃げたいです……。 もう、何もかもやだ……」
聖南に肩を抱かれて先を促すようにほっぺたを撫でられると、どういうわけかするすると本音が言えた。
遠くを見てたら視界が歪んで、目頭が熱くなってくる。
ダメ、泣いちゃダメって言い聞かせても、聖南の視線が尊いほどに優し過ぎて、我慢できなかった。
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