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 聖南のおかげで、腹は決まった。  卑屈野郎全開にしててもそれも打ち砕かれてしまったから、もはや開き直って割り切るしかない。  いつかに俺は、同じ事を聖南に言った。 どれだけ嫌でも、やらなきゃならない仕事だと思って割り切ってがんばってほしいって。  聖南が渋ってた雑誌の記事を見たら、情けない事に発破かけた俺の方がかなり動揺しちゃって……まるで説得力が無くなっちゃったんだけど。  冷静になってきて、ふと気付いた。  今の状況はあの時と立場が真逆だ。 これは俺自身が選んだやるべき仕事だ。 仕事なんだ。  「仕事をしない葉璃なんか嫌い」なんて、聖南が俺に向かってそんな事は絶対に言わないだろうけど、だからって甘えてしまってたら俺はほんとにダメな奴のレッテルを自分で貼る羽目になってた。  この決断で良かったと思えるように、聖南からの深い愛を糧に頑張るんだ。  もう、メンバー間のギスギスした雰囲気に圧倒されたりしない。  冷たい視線は見ないようにして、嘲笑うかのような言葉は聞き流す。  悪意をまともに受け取るから悲しいとか悔しいとか感情を揺さぶられるんであって、俺が自分の仕事を全うしてるだけだって意識を強く持ってれば、平静を保っていられるような気がした。  そもそも、一人で頑張ろうとしてた今までが無謀だったんだ。  誰よりも俺の気持ちを分かってくれる聖南を頼らずに肩肘張ってた俺は、ただの意地っ張りな頑固者だった。 「……あ」  夕方の空が薄暗くなり始めてるのに今さら気が付いて、何分も何分も黙って抱き締めていてくれる聖南の左腕を取る。  手首に嵌った高そうな腕時計を見た俺は、目を見開いた。 「やばっ……! 聖南さん、本番が……!」 「ところで、ルイとどこで会った」 「…………っっ!」  すでに本番まで一時間を切っていた。  慌てて振り向いた俺に、聖南がようやくさっきの仏頂面を見せている。  ここで問われるとは思わなかったチャラ男の件を持ち出されて、本番前だという焦りも手伝い聖南の腕からささっと逃れて狼狽えた。 「今日が初めてじゃねぇだろ。 しかも何だ? ヒナタ惚れられてんじゃん」 「───えっ!? いや、それは知らな……っ」 「楽屋でも「名前知りたい、連絡先ゲットしたい」ってうるせぇんだけど。 どういう事?」 「…………っっ」  そんなに騒いでたの、あのチャラ男……!  絶対に不審がってる聖南に順を追って説明するため、帰り着くまでに話す内容を熟考しようと思ってたのに今その質問がくるとは思わなかった。  俺も聖南さんも、もうすぐ本番なんだよ。  いっぱい泣いたせいで、たぶん俺のヒナタメイクはぐっちゃぐちゃだから、こっそりメイクさんに直してもらってから楽屋に戻りたいんだけど、な……。 「聖南さん、そのお話は帰ってからしよ? 俺もちゃんと説明したいし、ていうか説明するほどの事でもないけど、聖南さんもお家でゆっくり話した方がいいよね?」  チャラ男がヒナタに惚れてるっていう新情報まで入ったから、差し迫る現状では落ち着いて話が出来る気がしない。  聖南の淡いクリーム色の衣装の袖口を摘んで、今ここでそんなに問い詰めないでと匂わせる。  俺の上目遣いに弱いらしい聖南が、仏頂面をさらに歪めて唇を尖らせた。 「……ここで敬語使わねぇのは卑怯だぞ、葉璃ちゃん」  ───良かった。 この苦笑を見るからに、この場での追及を諦めてくれたみたいだ。  俺の事が大好きな聖南は、俺に甘い。  甘過ぎるくらい、甘い。  悪魔の囁きで俺を一生守ってくれようとした聖南の愛情が、今更ながらに愛おしくなる。 「ふふっ……聖南さん、ありがとう。 大好き」 「だっ、!? ちょっ、おい! それが卑怯だっつってんだろ! 畜生、可愛いな! 俺も大好き! 愛してる! ああーッこんなにチューしてぇのに何もできねぇとか拷問なんだけど!」  俺の両肩を持って揺さぶってくる聖南が、大声で取り乱し始めた。  鍛えられた腹筋から出るその声は階下やビル内にまで響きわたっていそうで、聖南の口元を手のひらで押さえた俺は笑いを堪えきれない。  大好きだって気持ちが溢れてくる。  与えてもらうばかりだったそれが、俺の中にもとめどなく湧いてくる。  そしていつからか、目に見える愛情を示してくれる聖南が望む事は、往々にして俺の望みでもある事が多くなった。 「……聖南さん、俺のヒナタメイクってボロボロになってますよね?」 「あ? あぁ、まぁ……かなり」 「それなら……チューくらいしちゃってもいい気がしません?」 「え……!」 「どのみち直してもらわなきゃいけないなら、チュー……したい」 「えぇぇ……♡ いいっ? オッケー出たっ?」  こく、と頷く。  自分で言っときながら恥ずかしくなってきて俯くも、この上なく上機嫌になった聖南にすかさず両頬をとられる。 「───じゃ遠慮なく♡」 「…………ん、っ」 「葉璃ちゃん舌出して」 「……っんん……っ」  もはや色味のなくなった唇を塞がれ、聖南の常套句が耳に入ると考える間もなく俺は舌を差し出す。  これまで何十回、何百回と触れ合った熱っぽい舌同士は、今となっては阿吽の呼吸が身に染み付いていた。 「……んっ……」  俺の体を抱き寄せた聖南は、唾液の交換までする事はなくあっさりと唇を離した。  え、もう終わり……?  現金な俺はそんな不満が表情に出ちゃってたらしくて、背中を撫でてくれながら聖南は笑った。 「……おしまい。 あんまやるとここで犯したくなるからな」 「お、犯すって……っ」 「この続きはベッドの上じゃなきゃ落ち着かねぇって俺の恋人が言うんだよ」 「聖南さんっ、それ俺の事でしょ!」 「他に誰が居んの?」 「〜〜〜〜っっ」  聖南の方こそ卑怯だよ。  ニコ、と八重歯を見せて笑う細まった瞳がヤンチャそのもので、俺の物足りなさを感じ取った上でキスをやめたんだ。  いつものしつこいくらいのキスを期待してたなんて、……俺だけがチューしたかったみたいじゃん……。

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