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悪魔の囁きに頷く気持ちがこれっぽっちも無かった俺は、絞り出すようにそう告げた。
すると聖南は、怒るでもなく拗ねるでもなく何ともあっけらかんと首を傾げた。
「なんで?」
な、なんでって……。
俺が逃げたいって言ったのは事実だし、ほんとにもう、あの楽屋に戻る事も、本番でメンバー達と踊る事も無理だって投げ出したくなったのも本心だ。
でも、でも───。
「いま逃げたら、CROWNのセナに顔向け出来ない。 俺は弱いまんま、今日逃げた事をずっと後悔してぐるぐるします。 ……ETOILEも、続けられない。 こんな俺なんかがって思うと、また、逃げたいって……。 聖南さん頼って逃げればいいやって、そんな事考えちゃいそうで……」
弱くて卑屈な俺は、誰からも求められていない、受け入れてもらえないと分かったらすぐにこうやって自分の殻に閉じこもる。
聖南と出会う前、俺はこんな風に傷付いたり荒々しい言葉の横行を聞きたくないから、ロクに友達も作らないで一人で居たんだ。
やっぱり、世界が広がると怖い事だらけだって思った。
嫌な事も、ツラい事も、いっぱいだって。
だからってそう簡単には逃げ出せないところに俺は居る。
不思議な導きと縁で、必然的に聖南と出会って、俺はここに居る。
逃げて解決するなら、俺はこんなに悩まない。
悔しいと思わない。
どうして受け入れてくれないの、なんて悲しくならない。
それは俺が、どこかで自身の成長を望んでるからだ。
だって……今まで関わったすべてを投げ出してまで得られるものって何……?
「頼れ」と言われたからって聖南に頼って、分厚い殻で守ってもらって、この先ずっと聖南に守られて生きていく……そんな俺に、何が残るの……?
聖南はきっと、一生守ってくれる。
暗く湿ってジメジメした俺が、神々しいまでの光を放つ聖南をこれからも支えていけるなんて到底思えない。
『俺もがんばるから、聖南さんもがんばって』
こんな風に、些細だけど俺から聖南の背中を押す事も出来なくなる。
俺はそんなの望んでない。 嫌だ。 絶対に。
本当は、聖南の背中を追い掛けていたいんだよ。
聖南の隣に居て卑屈にならないくらい、俺自身が輝けるようになりたいんだよ。
その道標を、聖南は作ってくれてるのに。
ううん、聖南だけじゃない。
今まで俺に関わってくれたみんなが、段々から「こっちだよ」って手招きしてくれてるのに。
「──葉璃は強い。 周りが頑張れって言わなくても頑張ろうとすんじゃん。 俺にだけは愚痴れ、弱音吐け、頼れっていくら言ってもシカトするし」
「そ、そんなつもりは……っ」
「俺の立場考えてLilyの奴らとの事は言わない方がいいって気回したんなら、それは大きな間違いだからな。 俺には全部話せって言ったろ? 俺に壁作るなって」
「………………はい……」
聖南は言いながら、俺の体をくるっと反転させて、後ろからぎゅっと抱き締めてくれた。
俺は前にやって来た聖南の腕をちょっとだけ握る。
シワにならないように、ちょっとだけ。
「葉璃ちゃんはいっつもひとりで抱え込むからいけねぇの。 人間なんだから愚痴くらい言っていいだろ。 不満は口に出していい。 理不尽な不満なら尚更な。 俺もぐるぐるし始めたらよく葉璃に愚痴ってんだろ? 葉璃は黙って聞いてくれるし、怒ってくれたり慰めてくれたりケツ叩いてくれたりするじゃん。 恋人ってそういうもんじゃねぇの?」
「……う、うぅ……」
やっと渇いてきた目の前がまた滲んできた。
聖南が優しい。 いっつも優しいけど、今日の聖南の言葉は心が熱くなる。
なんで今まで打ち明けなかったんだろっていう、後悔の涙がボロボロと頬を伝った。
───頑張らなきゃ。
俺にはこんなにも心強い恋人がついてるんだから。
弱音も、愚痴も、吐いていいって言ってくれた。
恋人ってそういうもの。
……そういう、もの……。
「どうする? 逃げるなら本番始まる前に話つけねぇと。 決断は葉璃に任せる。 どんな選択しても、俺は絶対的に葉璃の味方だ。 動けっつーなら今すぐ動くし、動くなって言うなら動かない」
ウィッグを被った俺の頭に顎を乗せて、腕の力をさらに込めてきた聖南の台詞に小さく首を振る。
聖南にたっぷり勇気を貰った俺は、いっぱい泣いていっぱい考えた。
都会に賑やかしく建つビルを見詰めて、階下の環境音を遠くに聞きながら、自分の置かれた立場を改めて振り返る。
「……俺、……逃げるのやめます」
「……いいの? マジで言ってる? 俺にそこまでする力無えだろって思ってる?」
「思ってないですよっ。 聖南さんに頼めば、今この場で俺はヒナタから解放されるって分かってます。 でも、逃げられないです。 逃げたらぜんぶ終わりになる。 ……ぜんぶです」
「そんな事にはさせねぇけど」
「ううん、これは俺の気持ちの問題なんです。 ヒナタも、ETOILEのハルも、俺の「仕事」で、やるべき事なんです。 知られちゃったからには、聖南さんにはこれからいっぱい愚痴っちゃうかもしれないけど……それでも良ければ……」
甘えてばっかりだという自覚はある。
あんまりたくさん愚痴ったら、怒り狂った聖南がSHDに殴り込みに行ってしまうかもしれない。
それでも、気持ちを溜め込む方がよくない事だって聖南は言ってくれたから。
聖南も俺にだけはすべてを吐き出してほしいと思ってる俺自身が、弱いところを見せないで我慢するっていうのはフェアじゃないから。
「いいに決まってんだろ。 どんな選択しても、俺は絶対的に葉璃の味方。 葉璃の恋人は俺だけ」
「………………聖南さん……っ」
だから、「頼れ」。
行動を起こしてやるという意味ではない事くらい、俺にも分かった。
恋人同士が精神的な面で支え合わないでどうするんだ。
そういう意味でしょ、……聖南。
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