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「……え、……え? なに、え……っ?」  聖南を押し退けたケイタさんが、俺の両手を握って顔を近付けてきた。  思考が停止した俺は呆然と、ハの字になった眉を見たあとメロドラマにひっぱりだこな理由が分かる少し垂れ目の二重の瞳を見詰めた。  ケイタさんとこんなに見詰め合ったのは初めてで、まじまじとこの甘い顔立ちを見たのも初めてだ。 「霧山さんの代役はハル君しか居ない。 ハル君しか……」 「……あ、あの、……俺は、俺は……っ」 「俺とドラマと番組と制作陣を助けると思って! お願いっ! この通り!」 「………………っっ」  そ、そんな事言われても……!  絶句した俺を、ケイタさんは尚も見詰めてくる。 眉を下げて、熱心な告白でもしてるみたいに俺の両手を握って、「お願いっ」と懇願しながらその手にさらに力を込めた。  そんな……俺しか居ないって、本気で言ってるの……?  あの手話の振りと歌を、明日のリハまでに完璧に覚えるなんて不可能に近いよ……?  俺はただでさえ、ヒナタの任務とETOILEの出番の事だけで頭がいっぱいなんだよ……?  もう一つこんな大役の任務が増えたりしたら、ついに頭が沸騰しててっぺんから湯気が出ちゃうよ……?  この件に関して、俺は「嫌だ」じゃなくて「無理」だった。  ケイタさんだけじゃなく、ここに居る全員の視線が集まってる中で俺が即答で断る事も出来ずに、ただただ狼狽える。 「お、俺、俺なんかじゃとても……っ」  出たのはこんなしどろもどろなネガティブさだけで、断られると感じたケイタさんの力が緩んでいく。  そうだよね、こんな事突然言われても困っちゃうよね、……とケイタさんの目元が無理して笑う様が簡単に想像出来た。 「ケイタ、葉璃と話してきていい?」 「……うん。 頼むよ」 「社長も、少し待ってろ。 十分で戻る」 「……あぁ、分かった」  ついて来て、と言われた聖南の背中を、俺はみんなの視線から逃げるようにして小走りで追い掛けた。  同じ階にある見知った聖南の作詞部屋に入ると、鮮やかに連れ出してくれた聖南から手を握られる。  その馴染み深い温かな手のひらを握り返した瞬間、真っ白になりかけてた頭の中に色が戻ってきた。 「せ、聖南さん……! お、お、俺、どうしたら……っ」 「葉璃、落ち着け。 ぶっちゃけ俺は例の挿入歌の全部を知らねぇんだ。 歌もそうだし、全パート手話ってのもさっき知った。 葉璃はどう思ってんの」 「あ、あの曲を明日までに覚えるなんて無理ですよ! 確かに俺は振り覚えが早いって言われますけど、手話を習った事がないからまずそこからで……っ」 「とりあえず観てみるか。 動画サイトに上がってるかな」 「たぶん上がってると思います……!」  ジャージのポケットからスマホを取り出した聖南は、早速検索して神妙な顔付きで件の動画を観始めた。  ……髪型と髪色が変わった聖南に見惚れるのは何度目かな。  神々しい横顔をこっそり拝みつつ、俺もよく知る二人の姿を観た。  うん……歌と手話で二人の世界を物語るそれは……やっぱり代役なんかじゃその素晴らしさを伝える事なんか出来ないと改めて思う。  一度だけの再生でスマホをしまった聖南は、無言のまま腕を組んで床を見詰めた。  ───これは無理だろ。  無表情の聖南が、そう言って俺の肩を持ってくれそうな気配に期待感を持つ。 「……今でさえ葉璃はLilyの任務もやってんじゃん。 さらにこの霧山美宇の代役なんて、葉璃を圧迫するだけだよな」  静かで穏やかな口調だった。  俺には出来ない。 ケイタさんを助けてあげたいけど、出来ない。 自信が無い。  聖南が後ろ盾になってくれたら、俺の考えをもっとちゃんとした言葉で伝えてくれる。  あの場に戻って、ケイタさんや大塚社長の落胆した声や困り顔を見届けるのはすごく心苦しいけど、無理なものは無理だ。 「そ、そうです……! 俺もさっき、頭から湯気が出そうだなって思ってて……!」 「だよなぁ。 ……でも葉璃。 本当に不可能か?」 「……え、……っ?」  あれ、……聖南……? 味方になってくれそうな空気だったのに……違ったの?  雲行きが怪しくなってきた聖南の口振りに、俺は別の意味で聖南に見惚れた。 「俺さ、土壇場の急務に強え奴を知ってるんだけど。 誰だったっけなぁ? 二年前くらいに居たんだよな。 初めてのテレビ出演、しかも生で、怪我した姉貴の身代わりになった子」 「………………!」 「その子めちゃくちゃあがり症なくせに、たった二時間で振りとフォーメーションを完璧に覚えて生放送をやりきったんだ。 凄くねぇ?」 「……聖南さん、……っ」 「並大抵じゃないんだよ。 根暗だネガティブだって豪語するわりには、ポテンシャルは人一倍あってな。 そのギャップがまたいいんだけど」  それ俺の事じゃん……。  雲行きが怪しくなったどころじゃなく、聖南は俺の説得にかかり始めた。  ルイさんにはバカにされたけど、本番での俺の "やらなきゃスイッチ" を知る聖南が「不可能じゃないだろ」と言外に伝えようとしてる。  実際に動画を観た聖南が、俺なら出来ると判断したって事だ。  誰よりも俺を甘やかして、誰よりも俺に優しくて、誰よりも俺を守ってくれて、誰よりも俺の本質を理解してくれている人が、そう判断した───。 「……聖南さんの言いたいこと、分かりました」 「あはは……っ。 マジで?」 「はい。 がんばれって事でしょ」 「すげぇ端折ってるけど、まぁそんなとこ」  他の誰からの言葉でも、絶対に俺の狼狽を立ち消えさせる事は出来ない。  聖南の言葉だから、心が揺れた。  できるかもしれない……聖南がそう言うのなら、俺にも望みはあるのかもしれないって。  頭の中はまだぐちゃぐちゃで、ほんとに出来るの?とグラついて油断してたら湯気が出そうだ。  でも、聖南は笑った。  俺の手のひらをにぎにぎしながら、「葉璃なら出来るよ」って思いを滲ませて目の前で美しく笑っていた。 「いいか、手話だと思わずに振付けだと思い込んで体に入れちまうんだよ。 口ずさみながら踊る葉璃なら歌も自然と入るしな」 「……手話だと、思わずに……」 「歌は帰ってから家で特訓だ。 仕上がるまで俺が徹夜で付き合う」 「えっ!? そ、それほんとですか!?」 「あぁ。 ケイタのピンチを救ってくれるのが葉璃なんだぞ。 俺も全面的に協力するに決まってんじゃん。 この任務、絶対に成功させてやる」 「聖南さん……っ」  聖南の言葉と表情は、狼狽する俺にありったけの勇気をくれた。  本当に不可能かどうかは、やってみなきゃ分からない。  こんなに頼もしい人が全面的に協力するって言ってくれたんだ。  いくらでも、頭のてっぺんから湯気出してやる。

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