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二十九秒のイントロは静止。 その後Aメロから歌詞に沿った手話と歌唱が入る。
Aメロは葉璃、Bメロはケイタ、サビは二人で、二番も同様に歌唱を交代していくが間奏中の手話を含めて葉璃はすべてを一から覚えなくてはならなかった。
劇中は霧山美宇の視点が多く描かれている事から、葉璃の歌唱部分に限らず詞もそれに合わせて女性目線である。
『すげぇ……ほんとに体に入ってやがる……』
ケイタとまったく同じ振りを難無くこなしている葉璃は、すぐそばに居たルイに一つだけ頼み事をしていた。
練習していた動画を成田と同じタイミングでタブレット端末で流し、自分から見える位置でそれを持っていてほしい、と。
動画と、鏡越しのケイタの振りを目線で忙しなく追いながら、葉璃は丁寧に指先や手のひらを駆使する。
メロディーに乗せて手話をする葉璃が、聖南には異常に可愛く映った。 ドラマの中のストーリーを決して壊してはならないという、健気さが見えたからだろうか。
『俺の曲で歌わせたかったなぁ……』
葉璃のやや高めな歌声が大好きな聖南は、帰宅してからの歌唱特訓が楽しみでしょうがない。
しかしながら、葉璃には聖南が創ったものしか歌ってほしくないという、仕事においても猛烈な独占欲が湧いてしまう。
別の者が創作した、聖南が大苦戦しているミディアムテンポの王道バラードを、愛する葉璃が歌う事になろうとは何とももどかしい。
霧山の歌声が流れる中、葉璃は口パクをしている。
これが葉璃の歌声に代わり、ドーム中こだますると思うと今から興奮してしまいそうだが、言わずもがな聖南の創ったものではない。
自宅のパソコンに眠っているまだ未完成の聖南渾身の一曲は、出来る事なら葉璃に歌ってほしいと常々考えながらメロディーを練っていた。
複雑な思いを胸に腕を組んだ聖南の前で、葉璃とケイタが同時に動きを止める。
十八秒のアウトロの後、時が止まってしまったかのようにスタジオ内が静まり返った。
「……ハル君……っ」
「ど、どうでした? 訂正箇所、どこ……わっ」
じわりとケイタを見た葉璃を、感極まったケイタが人目も憚らず抱き締めた。
条件反射で止めにかかろうとした聖南だったが、代役と聞いて一番に葉璃を思い浮かべたケイタにとっては自身の窮地を救ってくれる存在なので、感情が爆発する気持ちも分からなくはない。
相手は、常日頃から聖南と葉璃の付き合いを大手を振って応援してくれているケイタだ。
まぁいいかと聖南は口を噤む。
「ハル君すごいよ! ありがとう! 本当にありがとう! どうして覚えちゃったんだよ! こんな無茶な依頼、断る事だって出来たのに!」
「だって……ケイタさん困ってました、社長も……。 それに俺、このドラマの大ファンなんです。 もし俺なんかで出来ることがあるなら、力になりたいって……く、苦しいっ! ケイタさん苦しいっ」
ケイタは周囲の人間、主に仏頂面で背後に迫る聖南の姿すら見えないほど感激し、「ごめん!」と言いながら葉璃の体を解放した。
そして華奢な両肩をがっしと掴むと、目を白黒させている葉璃に向かって彼氏面を始める。
「ハル君、俺決めた。 明日は何としてでもリハの入り時間前までに仕事終わらせて来る。 ハル君がこれだけ頑張ってくれたんだ。 俺も多少のリスクは負わないとね!」
「え、っ……いや、そんな……ケイタさんお仕事あるなら無理しないでください。 CROWNのリハの入り時間って十五時にドーム集合でしたよね?」
「そう! ドラマの収録入ってるけど、何としてでも十三時にはハル君に会いに帰って来るよ! ETOILEは十三時集合でしょ?」
「えぇ!? ダメですよっ。 俺に合わせなくていいです、ケイタさんはリスク負っちゃダメ。 ドラマのスタッフさんとか演者さんに迷惑かけちゃ……」
「ハル君……っ。 なんでそんなにいい子なの!? 俺の心配なんていいんだよ! まったくもうっ、食べちゃいたいくらい可愛いね!」
「───おい!!」
一人で盛り上がっていたケイタが再び葉璃を抱き締めたが、いよいよ我慢出来ずに急いで割って入った。
食べちゃいたい、などとは言い過ぎである。
ダンサー達が笑っているのがまだ救いで、アキラと恭也は苦笑を浮かべていた。
さすがに一言言わなければ気が済まないと、ケイタを窘めようとした聖南の耳に葉璃の場違いな呟きが届く。
「……あー……そういえばお腹空いたなぁ……」
ケイタの「食べちゃいたい」を誤変換した葉璃が、突然空腹を訴えている。
聖南はもちろん、その場に居た男性陣が一様に唖然とし、お腹を擦る小柄な葉璃に全視線が集中した。
頭が沸騰するほど集中し、エネルギーを大量消費した葉璃は思い出すとさらに空腹感が増してきたのか、ムッと口を尖らせて聖南を見た。
『聖南さん、お腹空いた』
視線がそう言っている。
お腹を満たさなければ何もしたくない。 そんな言葉まで聞こえてきそうなほど、葉璃の唇がアヒルのように尖る。
彼の夕食時の食欲を知る聖南は、見事に一切の気が抜けた。
「───これからメシ行ける奴、すぐそこの焼肉屋集合な。 俺の奢りだぞー」
「マジっすか!」
「やったー! 行きます行きます!」
「飲み放題っすか!?」
「当たり前じゃん。 食べ放題、飲み放題。 明後日の決起会みたいなもんだ。 遠慮はするな」
練習終わりで食べ盛りな腹ぺこ達は、聖南の提案に瞳を輝かせて大はしゃぎである。
事務所から徒歩で五分ほどのその店は、立地や店内の雰囲気も良く、芸能人御用達の高級焼肉店だ。
明日に備えて葉璃の歌唱練習もあるのでそれほど長居は出来ないが、こういう機会もあまりないために彼らの喜ぶ顔が見られて聖南も嬉しい。
「聖南さん、……お肉いっぱい食べていいですか」
「もちろん」
何より、人一倍よく食べる愛しの恋人がこう耳打ちしてきた事で、聖南は悶えそうなほど舞い上がった。
騒がしくスタジオをあとにするダンサー達に紛れて頬を撫で、
「頑張ったご褒美だ。 気の済むまで食え」
と言うと、とても大食漢には見えない葉璃は瞳を細めて可愛く笑った。
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