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 腹ぺこな葉璃は、油断するとすぐに唇がアヒルになって困る。   "今日" が終わってしまうまであと二時間強しか無いので、ひとまず聖南は空腹の葉璃を宥め、Lilyと幹部が集合しているであろうSHDエンターテイメントの事務所前に車を停車させた。  入り口に常駐している警備員に愛車の見張りを頼み、葉璃を連れ立って自動ドアをくぐる。  するとすぐに、聖南に気付いた白髪交じりの年配の男と冴えない中年の男が駆け寄ってきた。 「お疲れのところ、ご足労いただいて申し訳ございません!」 「わたくし副社長の牧田で……」 「あぁ、あぁ、お疲れさん。 堅苦しい挨拶は抜きだ。 Lilyはどこ?」 「は、はい! 上の会議室に全員……!」 「オッケー。 幹部も集まってる?」 「はい! わたくしを含む五名全員が……」  ん、と短く挨拶をした聖南は、チラと葉璃に視線を送って二人の後ろをついて行く。  エレベーターで三階まで上がり案内されたのは、お世辞にも広いとは言えない中会議室であった。  肩を落としてしゅんとなったLilyのメンバーと、スーツ姿の畏まった男が五名、Lilyのマネージャーらしき二十代ほどの男が緊張の面持ちで起立している。  聖南はここに、自分と葉璃以外は誰もついて来るなと言い伝えていた。  成田と林は立場的にも同席を求めていたが、この場に大塚芸能事務所の社員が居ては聖南の発言力が弱くなる。  彼女らに謝罪をした意味も薄れてしまうため、芸能事務所に所属する一タレントとして、聖南はここへやって来た。 「───で、話は聞いた?」 「は、はぁ……その件は足立と、ルイ君から電話にて……」 「ルイ? なんでルイ?」 「私共、ルイ君とは数年前からちょっとした知り合いでして」 「へぇ、どんな? ……あ、いや、今はそっちじゃねぇや。 俺が出向いたのは話をしたくてな」 「は、はい、事情は伺っております」 「そこまでの事をうちの葉璃がされたから、なんだけど」 「はい……それはもう、……」  眼鏡を外しながら、早くも本題へと入った聖南に全員が苦い顔になる。  到着前に、聖南が来所する経緯を一通り皆が把握している状況のようだ。  大塚のような大手事務所ではないからか、聖南が乗り込んで来た時点で「何もかも終わった」と諦めているような幹部連中に、少しの温情をかける。 「あのな、言っとくけど俺は、ここに怒鳴り込みに来たわけじゃねぇ」 「えっ……?」 「それはどういう……」 「大塚社長からも、覚悟しておけと……」  聖南は思わず、眉を顰めた。  乗り込みはするが事を荒立てるつもりはないと、聖南本人の口からもその意思を社長には伝えていたはずだ。  ここに居る者達の尋常ではない緊張感の理由が判明し、そんな前振りをされていては話しにくいではないかと肩を竦める。  どうしても時計を気にしてしまう聖南は、背後で人形のように固まった葉璃の気配を感じていた。 「何が覚悟だっつの。 考えてもみろよ。 SHDサイドはこんな無茶苦茶な任務押し付けといて、俺の大事な大事な後輩を傷付けた。 こいつらを野放しにしやがってる事務所の野郎どもは一体何してたんだ、……なんて、俺が言うと思う?」 「………………」 「………………」  すべて言ってしまったが、それだけで聖南がここに乗り込んだ意図を察したのだろう。  幹部連中の沈黙と同時に、ハッと息を呑んだのはLilyの面々だった。 「今までの露骨な態度も許せねぇけど、今日のはマジでアウトだ。 あのまま本番に穴開けてたら、スポンサーからも局からも大目玉食らうって事は分かってるか? それだけじゃない。 お前らは解散すれば責任取った事になるって思ってんのかもしんねぇけど、それじゃ何も解決しねぇんだよ。 ……この責任をどう取るんだっつー怖え取り立て屋みたいなのも居るからな、この世界には」 「………………」 「………………」  聖南がぐるりと彼女達を見回し腕を組むと、心当たりのある者達の視線がウロウロし始める。 「さっき楽屋で俺が謝った意味って伝わってる?」 「……私達の出番ギリギリでしたし、収めようとしてくださったんじゃ……?」  問い掛けに応じたのは、見るからにしっかり者な雰囲気の女性だ。  この者が恐らく、葉璃の唯一の味方だというミナミである事に間違いない。  無表情のまま小さく首を振った聖南は、話が通じそうなミナミをジッと見た。 しかしすぐに視線を逸らされてしまう。 「違う。 俺は、お前らの気持ちも分かるから謝ったんだ。 なんでそこまで腐る前にマネージャーと話し合わなかったのか、考えた。 事務所も、マネージャーも、こいつらの意見なんて何一つ聞いてやんなかったんだろ。 そんなこと話せる雰囲気も交流もロクに無いのに、不満なんか言えるはずねぇよな」 「それは……っ」 「し、しかしですね……」 「こいつらがここのレッスン生だったんなら尚更だ。 メンバーみんな、お前ら事務所にとって都合のいい、金の成る駒だとでも思ってんの? こいつらにだって発言権あってもいいんじゃねぇの?」 「……セナさん……」  ミナミは感極まり、右手で顔を隠したかと思うと声を押し殺して涙した。  Lilyは崩壊寸前。 何故こんな事になってしまったのか、発端は分かりきっている。  だが誰も、何も出来なかった。  ここに居る全員が、聖南の謝罪と来所の目的をようやく知る事となる。  Lilyにも当然、非はある。  葉璃を何度も傷付けた事実は、どう良いように考えたとて許せない。  しかし聖南は、葉璃の "先輩" だ。  この背中を目標にして日々奮闘する "後輩" のためにも、若い彼女らの今後の夢のためにも中立の立場を貫き、独りよがりな公私混同はすべきではなかった。

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