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洗面所まで付いてくる聖南が何気なく放った台詞に、歯磨きをしていた手が止まる。
「帰りが遅くなる……? 新しい仕事が入ったとかですか?」
「いや、……レイチェルの曲が上がった」
「え!? そうなんですか! ついになんですね! おめでとうございます!」
「ありがと。 でもまだ喜べねぇんだ。 レコーディング前にレイチェルの意見聞かなきゃなんねぇし」
「そっか……そうですよね……」
先月からたくさん頭を悩ませていた曲が、ついに完成したらしい。
聖南は異例中の異例だって苦笑いしてたくらい、超特急で仕上げなきゃと焦りまくって言ってたんだけど……あんまり嬉しそうじゃない。
レイチェルさんからの発注が「王道バラード」だったから、ほんとに聖南は頭を抱えていた。
CROWNはもちろんETOILEもLilyに楽曲提供したものも王道バラードとは程遠くて、創った事のないジャンルだって言いながら、電子ピアノの前でらしくなく固まってた日を思い出す。
歯磨きを終えてキッチンに水を飲みに行くのも、聖南はついて来た。
長身の聖南が俺について歩いていると、まるで警護する人とされてる人みたいだ。
とは言っても、聖南の場合はすぐに俺と手を繋ぎたがるから、警護っていうより大きな甘えん坊の子どもだ。
「俺もちょーだい」って、俺が口に含んだ水をそのまま奪っていく。
……うん、聖南は今日も変わらない。
「……なぁ葉璃、事務所行く前に聴いてくんねぇ?」
「えっ、いいんですか!」
「大筋は聴かせた事あるから知ってると思うけど、あれに俺の声入れたんだ」
「えぇぇ……っ、聴きたいです! 聖南さんの歌声好き! ていうかいつの間に!」
「ついさっき」
聴かせてくれるの!とテンションの上がった俺は、聖南の手を引いて書斎に急いだ。
まだ出掛ける時間には少し余裕がある。
聖南渾身の王道バラード、じっくり聴かせてもらいたい。 大好きな人の大好きな歌声が朝から聞けるなんて、嬉し過ぎる。
こうしてお家で俺に甘えてくる姿を見てると『CROWNのセナ』である事もつい忘れがちになっちゃうけど、よくよく考えたら贅沢な事この上ない。
「あのさ、これはデモだから本意気で歌ってねぇ。 レイチェルからOK出たら改めて仮録りする予定なんだ、だから……」
「分かってます。 朝だから喉開いてないって言うんでしょ?」
「……さすが。 恋人が同業者だと理解が早くて助かる」
へへ、と照れ笑いをすると、寝癖でくしゃくしゃな髪をさらに乱される。
言い訳のように言い募ろうとした聖南が可愛くて、しかも俺の読みが当たってた。
朝一の聖南の声も全然いいと思ったんだけど、本人は納得してなさそうだからあえて言わなかったのに。
至って真剣な聖南はパソコンを起動させて、音源データの入ったファイルを開く。 アイコンをクリックして一秒後、聖南が弾くピアノの旋律が書斎の四方に設置されたスピーカーから流れ始めた。
「…………わぁ……っ」
イントロのメロディーを聴いただけで、『セナ』が創ったと分かる。
独創的でどこか懐かしい聖南の王道バラードは、うんうん唸りながら苦戦して出来たものとは到底思えない出来栄えだった。
───この曲……俺が歌いたい。
そんな生意気な事を思ってしまうくらい、レイチェルさんのために創られたこの曲は聖南の朝一の歌声含めて素晴らしかった。
これならレイチェルさんも納得するよ。
聖南がいよいよ創作に煮詰まっていた時、「バラードは悲恋じゃなきゃだめなんですか」って何気なく吐いた無知な俺の台詞が、大きな突破口になったらしい。
感謝してる、と頭を撫でられたのが先週はじめの事だ。
週末の生放送に向けての練習もあった中で、聖南はたった一週間でこの曲を仕上げたなんて常人には出来ない仕事だと思う。
「わぁ……わぁ……! 聖南さん、こ、これを朝一で……?」
「あぁ。 ……どう?」
腕を組んで俺を振り返る聖南は、やっぱり自信無さ気だった。
これだけ最高のものを生み出しておいて、どうしてそんなにしょぼんとしてるんだろ。
俺は羨ましいと思ったよ。
この曲を歌えるレイチェルさんが、心底羨ましいって。
「最高です! レイチェルさんの歌声に絶対に合うと思います! 聖南さんの声でこんなに素敵なんですよ!? 女性目線の詞が切なさいっぱいで、……あ、このCメロと大サビの歌詞ちょっと変えましたよねっ? 聖南さん独特のメロディーも、バラードなのに期待感に溢れてて切ないだけじゃない甘酸っぱさもあって……!」
聖南の瞳が驚きで見開かれるくらい、普段こんなに喋る事のない俺が大興奮して捲し立てていた。
そんな顔する事ない。
自信が無いなんて言わせない。
もっと、いつもの聖南みたいに「どうよ、最高だろ?」とふんぞり返っていい。
素人に毛が生えた程度の俺がどれだけ言っても、聖南の自信には繋げられないかもしれないけど……と、俺がハッと我にかえって聖南を見上げると、何故か手のひらで口元を隠して吹き出された。
「ぷっ……!」
「え、ちょっ……なんで笑うんですかっ」
「ハルベロスがあんまり必死なもんだからつい」
「聖南さんはハルベロスなんて呼ばないでくださいよ!」
笑顔になってくれたのは嬉しい。 でもこんなはずじゃなかった。
ルイさんの妙ちくりんなあだ名で揶揄われた俺は、パソコンの電源を落としてUSBメモリを引き抜く聖南を見詰める。
「葉璃が大絶賛してくれたから自信持てたわ」
「い、いや、俺なんかの意見はそんな大層なものじゃ……」
「あ、約束破ったな」
「やっ? 約束……?」
「俺 "なんか" って言うの禁止だっつったろ」
「そ、そうでした……」
いつそんな約束したかは思い出せないけど、何度となく注意されている卑屈な言葉。
言わないように心掛けてはいるのに、ふとした時にポロッと出ちゃうほど馴染み深いこれをやめるのは、俺にはかなり難しかったりする。
眼鏡を外した聖南が、俺にほっぺたを向けて屈んだ。
約束の日も覚えてなければ、このお仕置き?もいつの間にやら制定されていた。
「ん、どーぞ」
「…………っ」
ほっぺたをツンツンと指差されたそこに、俺はいっぱい背伸びしてちゅっと唇を押し当てる。
これ毎回、何だか俺も聖南も照れちゃうんだよね……。
「フッ……かわいーよな、このお仕置き」
「普通にちゅーするより恥ずかしいかもです……」
「そなの?」
「…………はい」
「さっきの勢いどこ行ったよ」
「今ので冷静になれました」
「あはは……っ、葉璃かわいー」
今やっと、聖南の目元を細めたヤンチャな笑顔を見る事が出来た。
諸々の思いを抱いていた聖南は、実はすごく緊張していたのかもしれない。
ぎゅっと抱き付いて甘える大きな子どもに戻った聖南の背中を擦ってあげると、また耳元で「ありがと」と囁かれた。
俺は何もしてないよ。
……聖南の隣に、そばに、居ただけだよ。
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