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 指定されたのは、社長との食事の席でよく使う老舗料亭だった。  聖南とケイタが下ネタに花を咲かせ、その場に居られないとばかりにアキラと葉璃が散歩に出掛けた際、週刊誌の記者から写真を撮られてしまったあの料亭だ。  あれ以来しばらく来ていなかったが、時節によって庭園の緑の濃さが違う事にすんなりと気付けた聖南は、まだこの時は余裕だった。  今日は遅くなるかもしれないと葉璃にメッセージを送り、撮影中らしい彼からの返事は待たずに愛車から降り立つ。  板挟みとなった聖南と、想い続けたところで叶わない恋をしているレイチェル。  両者にとって、それらが長期化するのは決して正しい事ではない。  自らの立場と事務所、そして葉璃の事を思えば結論を急ぎ過ぎであるという考えに変わりはない。  人の想いを断ち切るのは簡単ではないのかもしれないが、アキラとケイタから背中を押してもらえた事で意を決した聖南の足取りは、この悩んできた一ヶ月を思えばわりあい軽い。  しかし───。 「……ん、っ? レイチェル、今何と……」  到着した聖南が靴を脱いで襖を開けた途端に聞こえてきた、社長の戸惑いの声。  マジかよ、と心の中で舌打ちした聖南はさっそく、薄紫色のノースリーブワンピースを着たレイチェルと目が合った。 「ですから、私はセナさんの事が好きだと言ったの。 セナさんをお慕い申しております」 「………………」 「お、おっ? お慕いとな……っ?」  絶句する社長を尻目に、隣同士で腰掛けている二人の前に聖南は黙って着席した。  「こんばんは」と声を掛けられても、「あぁ」としか返せなかった繕えない自分が情けない。  まさかこんなにも早い段階で、かつ聖南の居ぬ間にこれほどストレートに社長に打ち明けるとは、ケイタが言っていた「包囲網」説がより濃厚となった。 『一体何を考えてんだ』  斜め向かいから、綺麗なブルーの瞳で熱心な視線をこれでもかと向けてくるそれに、聖南はなかなか返す事が出来ない。  胡座を組み、見た目にも鮮やかな和食料理たちをひたすら視界に収める。  さぁどう返そうか。  今にもひっくり返らんばかりに驚愕の面持ちで、聖南とレイチェルを交互に見やる大塚社長の動揺は凄まじかった。  挨拶もそこそこに、何分も沈黙の時が流れた。  恋人の存在を知りながら、好きでいてもいいですかと悪びれなかった彼女への明確な拒絶は、事務所の稼ぎ頭としての責任を慮るとどうしても二の足を踏む。  聖南と葉璃の関係を知る社長だからこそ、これほど驚いているのだ。  レイチェルがいくら好意を持とうが、聖南は応えない。 応えられない。  するとレイチェルの気持ちはどうなるのか。 気丈に振る舞うよりも、デビューどころではないと崩れ落ちる可能性の方が高い。  唐突な好意を打ち明けられた社長の脳裏にも、瞬時にこのような予想が立ったはずである。  聖南はもっと自分のタイミングで顛末を社長に打ち明けたかった。 レイチェルからの再三の好意をこの場で貰う前に、終始自らのペースで進めようとしていた聖南の余裕と画策が台無しになった。  聖南はチラと社長を窺う。  社長も、聖南を恐る恐る見てきた。  無言の時が流れて数分後、おもむろにレイチェルが立ち上がる。 「二人でお話をしたいような空気を感じたので、お手洗いに行って参りますね。 セナさん」 「あぁ、……」 『なんで俺に言うんだよ。 どうぞあとは二人で深いお話を、って?』  そこで気を使えるのなら、もっともっと別の場所で見せてくれるべき重要な気遣いがある。  どこか抜けているレイチェルの後ろ姿を見やり、張り詰めていた緊張を長い溜め息と共に外側へ放った。  遠退くヒールの足音を確認し、凝った湯呑みに適量入った煎茶をじわりと口に含む。  目の前で、社長も聖南と同じ動きをした。 「セナ……その様子じゃ、お前はもうレイチェルの気持ちに気付いていたんだな? だから連絡もロクに返してやらなかったんだな?」 「…………そうだ」  苦々しく聖南が頷くと、今度は社長が長い溜め息を吐く番であった。 「なぜ私に一言相談しなかった。 お前は昔から、重要な事を独りで抱え込むクセがあるよな。 そんなに私は頼りにならないか?」 「そうじゃねぇよ。 俺の事務所での立場と葉璃の事を考えたら、簡単な問題では無ぇじゃん」 「レイチェルはお前に恋人が居る事を……」 「知ってる。 知ってて告ってきたんだよ。 それでも好きでいいかって」 「……それはまた……」  レイチェルだけを悪者にはしたくないが、聖南のほとほと困り果てた表情で社長も理解してくれている。  なぜ聖南は、早々に打ち明けなかったのか───これが色恋だけの話ならば、葉璃以外は見えないと豪語する聖南はにべもなく直球で断っていた。  真剣な告白にたじろいだのも本当ではあるが、返事は一つしかないというのに先延ばしにしている理由など、それこそたった一つしかない。 「諦めてもらうにしても、決定打を与えてデビューの話が頓挫したら事務所も痛手だろうが。 ちなみに葉璃にはまだこの事話してない。 余計な波風立てたくないんだよ。 やっと仕事に慣れてきてんのに」 「………………」

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