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… … …
ただの意地悪というか、単にあれは聖南の趣味だったんじゃ……というプチお仕置きから一週間。
聖南はあの翌日からめまぐるしく忙しくなり、我慢をがんばるまでもなく俺とはすれ違い生活になっている。
レイチェルさんへの楽曲が完成して、レコーディング期間に入ったからだ。
朝は変わらず「行ってらっしゃい」のコミュニケーションをして俺を事務所に送ってくれるけど、日中はそれぞれの仕事があるから離ればなれ。
俺は遅くとも二十二時までには帰宅するのに対して、聖南は決まってテッペンを回ってからそ~っと帰ってくる。
ほんとは起きて待ってたいのに、ベッドに横になって聖南の匂いに包まるとあっという間に朝がきてる。
毎朝コーヒーのマグカップ片手に「はるー」って優しい声で起こしてくれる聖南は、自他共に認めるショートスリーパーだ。
『あー……これさ、他人が聞いたらまた惚気喧嘩ってやつになるんだろうな』
『ふふっ……。 ですね』
プチお仕置き意地悪エッチのあと、聖南とこうやって笑い合ったのがうんと昔の事みたい。
レイチェルさんのレコーディングは最低でも四日はかけると言ってたし、プロデューサーである聖南の仕事はそれだけじゃないから、音源が完成するまであとどれくらいかかるのか俺はまったく分からない。
その合間にもETOILEのオーディション、ETOILEとCROWNの曲創り、普段通りの仕事もこなさなくちゃいけない聖南は、たぶん今までにないぐらい忙しい毎日を送ってるはず。
二人とも家で過ごす時間がほとんどない今、コーヒーや紅茶を飲みながら大きなコーナーソファでゆっくり微睡む暇もない。
聖南と同じ世界に片足突っ込んでる俺だからこそ、この仕事の忙しさが分かる。
寂しくても何も言えないよ。 寝てる俺を抱き枕にしてる聖南の体温の高さが恋しい。
朝まで爆睡しちゃってるのはきっと、そのせいもあるんだろうな……。
「はぁ……」
目に付いた週刊誌片手に、誰も居ないのをいいことにおっきな溜め息を吐いた。
今日は今から……何だったっけ。
あ、そうそう。
明日から本格的に行われる、ETOILEの加入メンバー候補の人達のプロフィールを見返して、それぞれのダンスVTRを事務所でチェックするんだ。
一度、聖南が私物化してる事務所内の作詞部屋で恭也と林さんと三人で見た事があるけど、いよいよ選抜に入るって話らしい。
恭也はともかく、そんな大役は俺には向かないのにな……。
「俺のは見んでええからな」
俺をここまで送ってくれたルイさんが、飲み物を二つ持ってノックもナシに戻って来た。
事務所スタッフさんから応接間に通されてドキドキしてた俺を置いて、「喉が渇いた」と呟いてどこかへ行ってたルイさんも、今日俺がここで何をするのかは当然知っている。
「……ルイさん。 おかえりなさい」
「下の自販機にもアップルシナモンティー無かったわ」
「そんな珍しいもの、自販機には置いてないですよ」
「いま俺、アップルシナモンティーの気分なんやもん。 でもしゃあないから普通の紅茶買うてきた」
革張りの上等そうな二人がけソファに、並んで腰掛ける。
よっぽど喉が渇いてたみたいで、革の擦れる音を立てて座ったと同時に飲み始めた。 俺にも同じ紅茶を買ってきてくれたけど、これは喉がカラカラなルイさんにあげよう。
っていうか、聞いたことないよ。
自販機でアップルシナモンティーなんて。
「来る途中でコーヒーショップかカフェに寄れば良かったのに……」
「だーってハルポン、店ん中ついて来てくれんやん」
「……知らない人いっぱいなんで」
「出たな、人見知り」
そう言われても、店員さんとお客さんはみんな知らない人なんだよ。 "ハル" だから出歩きたくないわけじゃなくて、昔からこうなんだもん。
「そういや恭也と林さん、あと一時間はかかるらしいわ。 渋滞してんのやて」
「あぁ……そうなんですね」
「それまで二人っきりやな、ハルポン」
「えっ……」
恭也と会えるのはあと一時間後か……と項垂れた俺の顎を、クイと持ち上げてきた細い指。
紅茶で喉が潤ったルイさんの悪ふざけが始まった。
だって顔がニヤけてるもん。
隙あらばこうやって俺のことを揶揄うルイさんは、チャラい印象そのままの遊び人に見える。
「オロオロせんくなったな」と豪快に笑って離れていくルイさんに、先週から気になってた事を聞いてみた。
「俺の名前、……」
「ん?」
「ハルポン、で決まったんですか」
「そうや! 決定報告してなかったな」
「い、いえ報告は特にいらないですけど……」
「この二ヶ月間色んな名前を試させてもろた結果、俺が一番言いやすいハルポンに決定いたしました! それではハルポン、今のお気持ちを!」
「……特にないです」
「なんやそれ! ハルペーニョと迷ったんやけどな、ちょっと長いからな」
「長いっていうか、それは外で呼ばれるとちょっと恥ずかしい……」
「なんやとぉ?」
「あ、っ……待って待って待って! うわわわ……っ、ごめんなさい! こちょこちょするのは……っ」
さっきの顎クイで悪ふざけは終わったと油断していた。
伸びてきた両腕で俺の体は軽々と持ち上がり、ルイさんの膝の上に乗せられて脇の下をくすぐられる。
ダメなんだってば……っ、こちょこちょされるの弱いって何回も言ってるのに!
小さい子同士の戯れみたいな遊びも、ルイさんの太ももの上に居ることも恥ずかしいから降りようともがいてすぐ、急にイタズラが止んだ。
「……なぁハルポン。 腹の傷のこと、何回も聞いてごめんな? セナさんも恭也も知ってる感じやったけど、ハルポンは本気で話すの嫌がってたんやな」
あ……なんだ、その事か。 ルイさん、あのときの会話……気にしてたんだ。
お腹の傷痕のこと、話すのも思い出すのも嫌だとか、そんなに神経質になってるわけじゃない。
どちらかというと、葬った事件の内容についてまでを話さなきゃいけない事がネックなだけだ。
気にしなくていいのに。
「……いえ、そんな……大丈夫ですよ」
「もう聞かんから」
「はい、……」
なかなか降ろしてくれないルイさんを振り返ると、すごく近いところで目が合った。
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