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19♣9
まだ頭ん中が真っ白け。
社用車で局まで来てたからどのみち車を返さないかんくて、事務所までハルポン乗っけて行ったもののどうやって辿り着いたか覚えてへん。
事務所に着いて、結果を聞くために来てた憎たらしい男の顔も見てたはずなんやけど、俺はそれどころやなかったから普通の顔してるんで精一杯やった。
十七時過ぎ、スーツ五人組と恭也、ハルポン、候補者十人が沈黙の中セナさんを待ってると、慌てて会議室に走り込んできてみんなに謝ってたが……それからのこともこれまた覚えてへん。
解散まで、俺はずっと時計を気にしてた。
ICU病棟は時間厳守。 これまでみたいにばあちゃんが寝てる頃合いを見計らって、看護師さんに無理を聞いてもらうことも出来ん。
ばあちゃんは大丈夫なんやろか。
連絡をさせんようにしてたんに、俺にそれがきたって事はいよいよヤバいんやろか……。
大事な場面で、また気もそぞろ。
意欲燃やしたそばから不甲斐ないよな。
「……ルイさん、タクシーで行きませんか?」
セナさんと話をしてたハルポンを置いて一階のロビーに降り立ったすぐあと、非常階段に続く扉が勢い良く開いてそう言われた。
なんでエレベーター使わんのやろ、この子。
「……そうするわ」
今日は俺よりしっかりしてるハルポンが、タクシーの手配から何から全部してくれた。
しかも自分で言うだけあって気配消すんがマジでうまい。 まだ早いってのに、タクシーに乗り込んでしばらくしてから少しずつ存在感を消していったハルポンは、憎いほど健気や。
病院に到着したんは、十九時少し前。
一分一秒が遅いようでいて早い。
今この時にもどんな状態になってるか分からんから、会いたいのに会うのが怖くてたまらんという初めての感情と闘ってた。
「ハルポンの手を握っててええか」と聞くと、静かに頷いてくれたハルポンが居ったから、まだ俺は取り乱さんで済んでる。
ナースステーションに行って看護師さんに声を掛けると、俺を見たその瞬間顔を強張らせたんで、それはもう動揺するやろ。
案内の合間、病室の中は身内しかダメや言われても、足がすんなり前に進まん俺が一人で歩けるわけないやん。
そやから俺は、駄々こねた。
規則やって分かってるからこそ申し訳無いと詫びながら、ハルポンの手を離せんかった。
「お願いやからハルポンもここにおって」
「い、いや、でも決まりが……!」
「看護師さん、ええですよね? この子、俺の大事な友達なんよ。 俺ばあちゃんの他に家族がおらんから……この子おらな、いま俺、立ってられんのよ……」
「お、お、俺からもお願いします、俺気配消せます、邪魔にはなりません」
ハルポンも看護師さんを見上げて後押ししてくれたおかげで、"今日だけ" の条件付きではあったがハルポンも入室を許された。
いやもし許されんかったら、俺は今日ばあちゃんに会うことは出来んかったと思う。
「…………っ」
「………………」
なんや分からん機械が、ばあちゃんが寝てるベッドの周りに三つも四つもあった。
点滴は右腕から左腕に付け替えられてて、人口呼吸器なるもんを装着され、前回からたった何日かしか空いてないはずやのにさらにまた痩せこけたような気がする寝顔が、もう……たまらんかった。
ハルポンの見てる前で、ハルポンの手を握ったまま、俺は泣いてしもた。
生きてるのに、ちゃんと息してんのに、なんて生気がないんやろう。
寝てるから電気も消されて暗い部屋で、ひとりぽっちで寝てたんか、ばあちゃん。
あと何日……あと何日こうしてられるん?
まさか二度と話せんままいきよるつもりやないやろな。
許さんで、そんなん……まだボケてもないんやから……。
「……ルイ、……?」
「…………ッ、ばあちゃんっ!?」
ハルポンを抱いてわんわん泣いてた俺の耳に、二度と話せんかもしれんと絶望してたばあちゃんの弱々しい声が届いた。
すると空気を読んだハルポンは急いでその場にしゃがんで、気配を消した。
……人口呼吸器を付けてるから、声がこもってる。
でも嬉しかった。
生きてるって、分かったから。
「ばあちゃん喋れるんか!? あ、あぁ、ええよ、無理して喋ろうとせんでくれ」
「……ブッサイクなツラして……」
「うっさいわ! 誰のせいやねん!」
あぁ……こんな弱っててもばあちゃんはばあちゃんやな。
ここにはばあちゃんしか居らん部屋やけど、とても大声でツッコむ事は出来ずに泣き笑いした。
「連絡、きたんか……?」
「あぁ……きたで。 ……脅かしよって」
「するな、言うてたのにな……」
「病院の規則とかあるんちゃうの。 看護師さんようしてくれてんから、怒ったらあかんよ」
「大塚さんとこは……うまくいきそう、なんか? そろそろ、発表やろ」
「……なんでオーディションの日程知ってんの?」
「………………」
「最終選考、残ったで」
「……そうかぁ……」
「コネやとか出来レースやとか言われんよう、俺なりに頑張ってみるわ」
「お前にはその道しか、ないんやからな、……腐ったらあかんで。 絶対、負けたら、あかんで……」
「……分かってるよ」
「そこに隠れてんのは、彼女か……?」
「彼女? ……え、あ、あぁ、バレててんか」
ギクッとハルポンの髪と肩が揺れた。
そろそろと見上げてきた、強い眼力と目が合ったから手を出すと、恐る恐る握ってきて立ち上がる。
暗がりで、薄目しか開けてないばあちゃんにはあんまり見えんかったんやろな。
背格好とか体の線がハルポンはまるで女やし、ペコッと頭を下げるに留めて声を発さん人見知りやから誤解されてもしゃあない。
ばあちゃんはそんなハルポンと俺を眩しそうに見て、舌打ちした。
「ここまで、連れて来るやなんて……お前ほんま……女心の分からん奴やな……」
「はぁっ? なんでやねんっ」
「知ってたら、ばあちゃん、もっとキレイにしてたんに……」
「……いやでも、この子は、……」
「お前には家族が、必要やからな……信頼できる人、見つけたんなら、もう安心やわ……」
「なっ、ちょっ……! ばあちゃん! 気弱なこと言わんといてや! あかんて! 俺がどんな気持ちでここに来たと思てるん! まだ逝かれたら困んねん! なぁ、ばあちゃん……っ!」
「うるさいなぁ。 ……喋んの、疲れただけや。 眠たいねん、……寝る」
「もう安心やわ」なんて言いながらスーッと目閉じられてみ。
ベッドを取り囲む機械が一斉にヤバい音立てて、俺の血の気も一気に引くとこやったで。
脅かさんといてくれ……頼むから……。
「なんや……」
「……ほなな。 帰り」
「……毎日来るからな。 面会拒否なんかしたらそこの廊下で暴れたるからな」
「………………」
「じゃな、ばあちゃん。 また明日」
「………………」
俺の "彼女" の前では綺麗でいたかったらしい夜の蝶は、この期に及んでへそを曲げた。
周りの機械は一切何ともない。
ここは言う通りにせんと、明日から見舞いに来させてもらえんくなる。
不安そうに見上げてくるハルポンの背中を押して、ソーッと病室を出た。
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