聖南も葉璃も、それぞれ打ち明けてきた人物から口止めされている。 　尚且つ触れてはならないデリケートな内容だけに、この件についてを当人差し置いて二人で話し合うのは良心がとがめる。 　下手な嘘を吐いた葉璃はきっと、ルイの現状に心を痛め、聖南に隠し事をしている罪悪感にも見舞われているのだ。 　間もなく最終選考が始まろうというのに、葉璃の頭の中はその二点で占められているので、毎夜クッションを抱き締めて悩ましげな溜め息を吐く。 　九月も目まぐるしく過ぎていき、熱帯夜を抜け出した時節の心地よい夜風を浴びながら、現在葉璃はベランダから都会の夜景を眺めている。 　聖南と共に帰宅し、例によって別々にシャワーを浴びたあとずっとだ。 「………………」 　声を掛けるのを躊躇うほど、後ろ姿が切ない。 　事情を知ってしまった聖南には、〝他の奴のことは考えるな〟とむくれられなかった。 　とはいえ、何も知らない聖南の前でそんな姿を見せていては、勘付かれてしまうかもしれないという考えに及ばないものだろうか。 　マルチタスクが出来ない葉璃の不器用さがとても愛おしいと思う反面、少々の嫉妬心が湧いてしまうのは致し方ない。 　だがそれら以上に、どんな理由であろうと葉璃が毎日しょんぼりしている姿は聖南も見ていてツラい。 「……葉璃ー」 「………………」 「聖南さん寝るぞー」 　いつもより華奢に見える背中に声を掛けたが、反応が無かった。 　日に日に耳垂れ度が増してゆく葉璃は、回数の激減したセックスの最中もやや上の空である。 　ここは歳上の恋人として支えてやりたいのは山々なのだが、やはり自宅に居る時くらい聖南に集中してほしい。 　心優しい葉璃の罪悪感を増長させてしまうかもしれないけれど、聖南はいつだって葉璃の一番で居たいのだ。 「俺が寝るって事は葉璃も寝るんだ。　おいで」 「あ、っ……はい、すみません」 　腕を伸ばし、反応のない葉璃の腕を掴んで室内に引き寄せる。 　そこでようやく、振り返った葉璃と目が合った。 「なんで謝んの」 「いえ、なんでも……！　すみませんっ」 「また謝ってる」 「あっ、すみま、……っ」 「〝すみません〟の数だけほっぺにちゅーな」 「…………っ」 　この罰のキーワードが増えた。 　聖南は背中を丸め、指を三本立てて戸惑う葉璃に頬を差し出す。　すると背伸びした葉璃から、おずおずと頬に三回甘い唇の感触を貰いニヤけた。 　毎日日替わりで着てもらっている、聖南のパーカーの裾を握り締めて照れた葉璃は宇宙一可愛い。 　小さな頭を撫でて葉璃と手を繋ぐと、聖南は窓を閉めて濃いグレーのカーテンを引き、リビングの灯りを消してしまう。 「水飲む？」 「……今日、……」 「今日はしない」 「あ、じゃあ……飲みます」 「フッ……。　二本持ってくか」 　冷蔵庫からペットボトルを二本取り出す時も、葉璃の手は離さなかった。 　セックスは昨日したので、次に求めるのは明日か明後日。 　行為が始まると互いの唾液で喉が潤うと言い出した葉璃の瞳が、ほんの少しだけ残念そうに揺れたのは見間違いだろうか。 　仲良く手を繋いだままベッドに腰掛けて、聖南はミネラルウォーターを口に含んだ。　油断していた葉璃の両頬を取り、唇を重ねる。 「んくっ……」 　ペットボトルが二本あろうが、この家での葉璃の水分補給は聖南からの口移しである。 　これは禁欲中でも変わらない。 　過去の教訓から、葉璃は聖南からの口移しが無ければ不安に陥り、聖南が居ない隙を狙って自慰行為に走るためだ。 　葉璃が一人でしている光景は魅力的ではあるものの、それは是非とも聖南の見ている前でしてもらいたい。　加えて、性欲の強い恋人が居ながら一人でさせるという事が我慢ならない、というのもある。 「……聖南さん、……」 「んー？」 「いえ……なんでもないです」 　聖南に背中を向けて横になった葉璃を後ろから抱き締めて足を絡ませると、意味深に名を呼ばれ、その後は小さく首を振る。 　これがほぼ毎晩である。 　ルイの現状を打ち明けようとしてやめているのだろうと、その声のトーンで分かってしまう聖南にはそれ以上の追及は出来ない。 「あ、そういえば。　ヒナタが業界関係者ん中で取り合いになってるってよ」 「え！？　なんでですか！？」 「実力と、スタイルと、あとは……この顔」 「んむっっ」 「あははっ、かわいー」 「へなはんっ」 　驚いて聖南の方を向いた葉璃の両頬を、片手でムニッと押す。 　突き出た唇にちゅっとキスを落とし、意図的に彼の頭の中を渦巻く不安要素から気を逸らさせた。 　仕方がないけれど、可哀想で見ていられないのでしょんぼりしていてほしくない。　せめて家に居る間だけはやはり……〝俺の事だけ考えていろ〟と思ってしまう。 「メイクしたら別人に化けんじゃん？　そもそも素材がいいからそれだけ注目されんだよな」 「えー……？」 「ヒナタの時に声掛けてくる奴が居るかもしんねぇから気を付けろよ」 「分かりました。　でもLilyの次の仕事って十一月の歌番スペシャルなので、それまではレッスンだけなんですよね」 「あぁ、そうか。　俺らも出るやつな」 「そうです、そうです」 「せっかくCROWNとETOILEがセットで呼ばれてるし、何か面白いことやりてぇなぁ」 「……面白いこと？」 　目前の柔らかな髪を梳きながら、聖南は壁際に置かれている空気清浄機を見詰めて黙り込む。 　薄手の毛布の中で、絡み合った足をモゾモゾさせている葉璃の静かな呼吸音より、それはうるさい。 「あ、決めた」 「えっ？　もうですかっ？」 　沈黙すること二分。 　名案が浮かんだ聖南はニヤッとほくそ笑んだ。 　演者である自分達も、観ている視聴者も楽しめる、事務所の先輩後輩だからこそ出来ることがあった。 「明日早速スタッフに電話しとこ」 「えぇっ？　そ、それ、俺にだけコッソリ教えてもらえたり……」 「ダメダメ。　本決まりになったら全員と同じタイミングで葉璃ちゃんにも話す」 「えぇ……！　いつもは公私混同するのにこんな時だけ……っ」 「んー？　何か言ったかな？　葉璃ちゃん？」 「い、いえっ！　何にも言ってないです！　あっ、聖南さんダメ……っ、くすぐらないで……！」 「葉璃が俺のこと、公私混同イケメンアイドル彼氏って名付けるからさぁ」 「えぇっ？　それ聖南さんが勝手に言って……あはは……っ、やめ、……くすぐったい……っ」 　聖南は薄い横腹に乗り上げ、気が済むまで葉璃の脇腹をくすぐった。 　楽しげな笑い声と涙を滲ませた瞳に間違いなく欲情はしたが、心の中で『我慢、我慢だ俺』と念じ続け堪える。 　愛すべき聖南の恋人は、前言撤回をあまり良しとしない。 　聖南が深いキスを望んだところで、「したくなっても知りませんよ」と淡く微笑んでもてあそばれるだけなのだ。 　無理やり作らせた笑顔ではあったが、その夜の葉璃の寝顔はここ最近で一番穏やかだったかもしれない。