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 地下駐車場の隅で、壁に頭向けて停めてある車からは遠くを見渡せはしない。  それなのにルイさんは、壁の向こう側まで見透かせているかのように遠い目をして、ハンドルにもたれ掛かった。 「先週ぐらいからまったく喋れんようになってな。 いつ行っても寝てるねん」 「…………そんな……」  ……聞いて、られない……。  俺には話を聞いてあげることしか、……それしか出来ないのに、それさえツラい。 「点滴で生かされてんのよ。 〝あと何日生きられるんやろ〟が、今はもう〝あと何時間生きてられるんやろ〟に変わってきた。 さすがにそんなとこを一週間以上見てると、俺もしんどなってきてる。 せめて苦しまんように逝かしたりたいって、じわじわ覚悟も生まれてきてん」 「……ルイ、さん……」  何気ない事みたいに語るルイさんの横顔が、お見舞いに付き添ったあの日より凛々しく見えた。  そんな覚悟、したくないよ。  誰だってそうだよ。  大切な家族の命に限界がきてる事なんか、信じたくなくて当然だよ。  苦しそうだったけど、あの日はまだおばあちゃんは自力で声を発してた。 目を開けて、暗がりのなかに立つルイさんに向かって「ぶっさいくなツラして」と悪態吐いてた。  そのあとの何分かの会話だけで、ルイさんとおばあちゃんの仲の良さが分かって……俺はあの時、蹲ったまま必死で涙を堪えてた。  もし、……もし、俺の大事な人の命が危ないと分かったら……こんな風に落ち着いて会話できるかなって。  いつ何時、その人がこの世から居なくなってしまうかもしれないという事を、毎日毎分毎秒考えながら生活する……俺にそんな勇気あるのかなって。  ルイさんは多分、これでもすごく我慢してると思う。  ツラいって言わないのはルイさんの優しさであり、強がりでもあり、さらには懐の深さをも表してる。  ……俺には無理だ。  ルイさんみたいに、今にも泣き叫びたいほどの寂しさを抱えて毎日を送る事は出来ない。 「そうかぁー、ハルポンにはバレてたんやなぁ」 「バレてるっていうか、ほんとにあの……、ルイさんが寂しそうに見えて……」 「寂しいで。 ばあちゃんが逝ってもうたら、俺には家族が一人も居らんようになる。 なんのために毎日頑張ればええんか、分からんようになるかもしらん。 ハルポンには言うてまうけど、……ばあちゃんが居らんようになったあとの事まで考える余裕は、まだ無いな」  フッと寂しそうに笑うルイさんに、頭をポンと撫でられる。  大きな手のひらはそのまま俺の頭の上にあって、それがすごく温かく感じてもっと切なくなった。  生きててほしいよね。  長くないって覚悟したつもりで居ても、信じていたいよね。  ルイさんが言ってた。 頭の中で都合の良いように現実を捉えようとしてしまうって。  その通りだよ。 ルイさんだけが思う事じゃない。  俺はまだ身近な人でそういう経験が無いから、本当の意味で気持ちを分かってあげられない事もツラい……。  話を聞いてるだけで泣いてしまう俺には、やっぱり何も出来ることはないのかな……。 「ルイさん、俺に何か出来ること……っ、ないですか? お、俺なんかじゃ何も頼りにならないし、うまく励ましてあげることも出来ないくせにって自分で分かってますけど、何か……何か……っ」  頭の上に乗った手のひらが、俺の髪をくしゃくしゃっとかき乱す。  「なんでハルポンが泣くねん」と笑ってくれるルイさんにだから、俺は何でもいいから力になりたいと思うんだよ。  ひとしきり俺の頭を撫でたあと、後部座席に腕を伸ばしたルイさんが手に取ったのはティッシュの箱。  無言で箱ごと持たされた俺は、涙と鼻水を拭いた。 「ステージで一緒に踊ろうや」 「え……?」 「……あ、いま俺めちゃめちゃ裏工作してんな。 ハルポンさん、加入メンバーに俺のこと選んでくださいよーって。 てか、オーディション当日に逢い引きの誘いなんかしたら、出来レース確定やと思われるやんか。 なに考えてんの、ハルポン」 「……!? ルイさん……っ」  そんな……っ、俺はそんなつもりじゃ……! ……って、またルイさんの策に引っ掛かるとこだった。  俺がルイさんに出来ることは、〝ステージで一緒に踊ること〟。  それってつまり、……。 「まぁそれは冗談やけど。 ハルポンにひっぱたかれんように、俺もちゃーんと練習しとるから実力で勝ち取ったる。 今日の歌もかなりの完成度やったやろ?」 「それはもちろん、そうですけど!」 「ハルポンがそう思ってくれとんのなら、それでええ。 あとな、……」 「えっ、えっ? ルイさん……っ?」  歌唱力も表現力もリズム感も群を抜いてたよ。 そう言おうとした俺を、ルイさんは肘置き越しに抱き締めてきた。  優しい匂いに包まれて、途端に目蓋が震える。 「〝俺なんか〟とか、自分下げるようなこと言うたらあかんで。 俺が正式に仲間になったら、その卑屈な性格叩き直したるわ」 「…………っっ!」  握ってたティッシュがポロッと手のひらから滑り落ちた。  もちろん、仲間になってほしい。  候補者の五人のうち選ばれるのは三人だけど、ルイさんはもう誰よりも実力を誇示してるし、周りもそれを認めてる。  俺も踊りたい。  ルイさんと踊りたいよ。  俺に出来ることがそれだけしかないのなら、みんなにはバレないように心の中でたくさん贔 屓する。 「ルイさん……頑張ってください。 ……俺は、ルイさんと仲間になりたいです。 ルイさんの気持ち、いつでも聞いてあげられる仲間になりたいです……っ」  肘置きが邪魔だったけど、俺は聖南と恭也にもよくやるように全体重をかけるつもりでルイさんを抱き締め返した。  ルイさんに俺の気持ちが伝わればいいと思ってたら、せっかく拭いた涙が次々と溢れてくる。   「ありがとなぁ。 感涙やわ。 ルイだけに」 「……もうっ!」 「あはは……っ」  こんな時にまで冗談を言うルイさんに、これまでも何回救われてきたか。  怒りながらも、俺は笑ってしまった。  話を聞いてあげようとした俺の方が、元気付けられてしまった。  ──ルイさん、仲間が居れば、寂しくないよ。  今もこの先も、たとえ本当の悲しみに襲われる日がきたとしても、支えてあげられる仲間が居ればきっと、ツラい毎日も乗り越えられるよ。  俺は間違いなく、ルイさんの味方……すでにもう、俺たちは仲間なんだよ。

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