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 レイチェルとの会話の九割はケイタが活躍した気の重い食事会は、一時間も経たずしてお開きとなった。  これ以上はムリ、とケイタが聖南に視線を寄越すと、アキラがすかさず手を打って終了を宣言したのである。  来た時同様にレイチェルのエスコートを買って出てくれたケイタと、聖南に話題を振られてもすべてアキラが受け答えするという二人の活躍によって、聖南の胸焼けは最小限に抑えられている。  支払いは聖南が持った。  客の出入りが無い隙を見計らってくれた店員に恭しく見送られ、事前にネット予約をしていたタクシーが高級居酒屋店前に在るのを確認してホッとする。 「セナさんにご馳走していただけるなんて、夢のようです。 ありがとうございました」 「タクシー呼んであるから。 お疲れ」  にべもなく追い返そうとするも、予想より遥かに短かった食事会に不満を残し気味のレイチェルはなかなかタクシーに乗り込まない。  タクシーと言っても、一応はそうそう乗車機会のないハイヤーを呼び、支払いも聖南が持つつもりで事務所名と本名まで運転手に言い伝えてある。 「それでは、セナさんもご一緒にいかがですか? 私は遠回りになっても構いませんが」 「いや俺は車で来てるし」 「えっ、あ……そうなのですね。 セナさんの、車……」  何を思ったか、レイチェルは聖南の一言で目を輝かせた。  上等なハイヤーよりも聖南の送迎を期待したのかもしれないが、まず聖南の愛車の助手席は葉璃専用なので無用な期待は迷惑だ。  近場のコインパーキングには、高級車が並んでいる。  視線でそれを探し始めたレイチェルに気付いたアキラとケイタが、それとなく聖南と彼女の間に割って入った。 「レイチェルさん! 気を付けて帰ってね!」 「お、もうタクシーきてんじゃん。 女性が出歩く時間じゃねぇし、早いとこ乗んな?」 「ホントだ! 運転手さん待たせちゃ悪いからさっ、ほら乗って乗って!」 「あ、でも私、セナさんに送っていただこうかなって……」 「運転手さーん! エスコート頼むよー!」 「いやもう俺が開けてやる。 ……ん、どうぞどうぞ」 「ま、まあ……ありがとう、……」  ケイタはレイチェルの背中を押し、運転手の降車が待ちきれなかったアキラは後部座席のドアを自ら開けた。  二人の剣幕に押され、上品な面持ちの紳士風な運転手のエスコートもありレイチェルは仕方なくシートに腰を落ち着ける。  バタンッとドアが閉まった音で平穏が戻ってきたとばかりに、三人は一斉に「ふぅ…」と少々大きめの溜め息を吐いた。  しかしその平穏は十秒と保たない。  三人の前で指紋一つ付着の無い窓が下がり、ブルーの瞳をカッと見開いたレイチェルが顔を覗かせる。 「あの、っ……セナさん……!」 「……っ、ん?」 「連絡、お待ちしています。 本当に、心から待っています」 「オッケー。 じゃな。 出して、今すぐ」  背中を丸め、運転手に「早く」と急かす際アイドルスマイルを口元に携えた。  ようやくの別れに、聖南はつい満面の笑顔を浮かべてしまっていた。  走り去るハイヤーの後部座席から、レイチェルが振り返って聖南達を凝視しているのが分かる。  曲がり角で車体が見えなくなるまで、何故か三人は微動だにしなかった。  聖南が手を焼くほどの相手とはどんな女性なのだろう。 葉璃にご執心な聖南にとって、モーションをかけてくる女性全員が鬱陶しい存在なだけ、なのではないか。  だがアキラとケイタは、この約一時間ほどの会話と視線の熱量に唖然としたに違いない。  聖南だけでなく二人も、呆然と見えなくなった車体の影を追い立ち竦んでいるからだ。 「……お前ら不自然過ぎ」  コインパーキングに停車している愛車へと歩き出す聖南を、アキラとケイタもハッとして追いかける。  苦笑を浮かべてしまうのは、彼女を邪魔者に認定し追い返した事実が、自身の弱さに繋がる気がしてさらに胸焼け案件であるから。  聖南も相当に精神的ダメージを食らっているので、罪悪感は覚えないけれど決して後味の良いものではない。 「だってセナが車で来たって分かった途端、送ってもらう気満々だったじゃん。 セナあんなに素っ気ないのに、アノ人よく心折れないね」 「それだけ本気なんだろ。 殿方に」 「やめてくれ、アキラ。 その単語だけで痒くなりそう」  せっかくの安堵の中、アレルギー症状と直結する単語は出さないでもらいたい。  三人はその短いやり取りに笑顔を零し合う。  今の今まで夢を見ており、ようやく日常が戻ってきたかのような大袈裟な胸中を三人ともが共有していた。  コインパーキングのロックを解除する庶民的な姿を目撃したCROWNに、通りを歩く一般人から黄色い声が飛んだ。  聖南ら三人は手を振るだけに留め、それぞれ自車へと向かう。 「てかマジで。 ありがとな、二人とも。 社長と一緒だっつー嘘まで吐いて乗り込んでくるとは思わなかった。 ダシに使われてた事含めて、社長にはよーーく言っとく」  胸焼けもアレルギーも最小限で済んだのは紛れもなく二人のおかげなので、車に乗り込む間際の二人に再度礼を言った。 「それがいい」 「うん。 ……アノ人は手強そうだから注意しなよ、セナ」 「あぁ。 てかマスコミ居ねぇよな? 樹から用心しろって言われてんだけど、全然見かけねぇ」 「今? 今は……」 「……居ねぇな」 「うんうん、居ないと思う。 俺らのマスコミレーダー侮れないもんねー」 「そっか。 ……まぁ気を付けるわ」  ふと思い出した事を二人に告げ、聖南も辺りを見回してみたがやはりそれらしき者の気配すらない。  芸歴の長い彼らも、その視線にはとても敏感である。  先に車を出して帰って行ったアキラとケイタがそう言うならばと、聖南はロック板の解除を目視して運転席に落ち着く。  そしてすかさずスマホを取り出した。 とりあえず車を出す前に、恋人へ連絡だ。  時刻は二十二時を過ぎている。  今現在までに欲しい名からの通知が一件も無くとも、アキラの助言もありおとなしくしていたけれど、さすがに十二時間以上も音信不通なのは見過ごせない。  これでも充分待った方だ。  発信中、葉璃の名前と葉璃のキョトン顔が聖南のスマホ画面に表示される。  しばらく発信音を聞いていた聖南だったが、プツと途切れ何者かが応答した。  それは当然、葉璃だと信じて疑わなかった。 「もしもしっ? 葉璃っ?」 『あ、セナさんっすか?』 「……えっ、はっ? ルイ? なんでルイが葉璃のスマホ……」 『ハルポン今寝てるんで、起きたら連絡するよう言っときますわ』  そんじゃ、と直ぐに通話を終了され、聖南のイヤホンからはツーツーと悲しい機械音だけが響いた。  未だ発進出来ていないコインパーキングの駐車場。 そろそろ買い替え時だと薄っすら思っている高級車の運転席で、エンジンをかけようとしていた手が止まったまま体が一時停止した。  そんな状況ではないと理解はしてやれるが、そうは言っても葉璃は聖南に一つも連絡を寄越してくれなかったのだ。  〝寝ているからそんじゃ〟では納得がいかない。

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