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25★10

 まるで授業参観にやって来た親……もしくは葉璃のお兄ちゃんになったような気分で、三宅講師に言われた通り、俺はLilyのレッスン風景を磨りガラス越しに廊下から見ていた。  俺がバッチリ見学出来ているという事は、当然中からも俺が見えてるって事で。  結局メンバーの子達に会釈程度の挨拶だけはする羽目になるも、会話らしい会話を求められる事は無くてホッとした。  今日見た限りでは、レッスン中は俺も経験してきたその光景とさほど変わらない。  ただし、葉璃から〝ピリピリしてる〟と聞いてたからなのか、合間合間のメンバー間の会話が極端に少ないようには見えた。  どの人か分からないけれど、Lilyのリーダーであるミナミっていう子だけが葉璃の味方らしい。 他九名はサポートメンバーそのものに否定的で、必然的に葉璃へのあたりも強くなっている、というのはその通りみたい。  それに輪をかけて、おそらく彼女達には伝わっているはずのアイさんの音信不通。  これでは雰囲気も悪くなる一方だ。  終始俺にまったく近付いて来なかった彼女達は、レッスンが終わるとそそくさと更衣室に向かい、不自然なほどバラバラに帰宅して行った。  葉璃がつい愚痴を溢してしまうくらいには、見るからにピリピリしたムードが立ち込めるレッスン。 あれは憂鬱以外の何ものでもないと思う。  今に始まった事ではない孤立状態を、ひとりで戦っていたんだ……葉璃は。  セナさんに言われるまで誰にも愚痴一つ溢さず、耐えていた。  〝これも俺の仕事だから〟、〝俺にしか出来ない任務だから〟と。  俺には到底真似できない。  本番に強い葉璃は、不安心を跳ね除けて仕事上では一度たりともミスをしていないんだよ。  〝怪我をしたアイさんの代わりに入ったサポートメンバー〟として、堂々とステージに立っていた。  メディアから不審がられるどころかその実力を買われ、幾つもの事務所が〝ヒナタ〟にラブコールを送っているという話まで出ている。  我慢しきりの裏側を、葉璃─ヒナタ─は少しも滲ませる事なく。  着替えを済ませた葉璃と、スタジオから歩いて五分ほどのコーヒーショップで林さんの迎えを待つ事にした。  葉璃の大好きなチョコリスタがある店だ。  入店と同時にちょっと騒がれてしまって、俺と葉璃は長居出来ないと知るや二人ともが自然と隅っこに固まり、臨戦態勢で立ちっぱなし。  座ってコーヒーを飲む事も出来ない……ほんの二年前には考えられなかった有名税だけれど、これはありがたい日常の変化として捉えるべき事。 「ねぇ恭也、……」 「うん?」  甘いチョコリスタが目一杯入った大きなカップを両手で握った葉璃が、会話を周囲に聞かれるのを避けようと俺に密着してくる。  俺は葉璃の声をよく聞くために屈んだ。 そうすると、遠巻きに俺達を見ていたギャラリーから黄色い声が上がる。  ……また色んなところで、俺達の関係を取り沙汰されそうだ。 「もしかして事務所の人に何か言ってくれた?」 「え?」 「俺の更衣室、二階に用意されてたんだよ」 「えっ! そうなの?」 「うん……。 トイレで着替えようとしたら、三宅講師が案内してくれて。 次からここ使いなさいって」  へぇ……朝 直談判したばかりなのに、もう対応してくれたんだ。  事情を知らなかったらしい三宅講師が、それはあり得ない事だとすぐに動いてくれたのか。 「そっか……。 良かった」 「俺ね、着替えられればどこでもいいやって思ってて、そんなに苦じゃなかったんだけど……一人の空間はやっぱりいいね。 ……ありがとう、恭也」 「そんな……。 また俺、余計な事したかもって、ちょっと焦った」 「余計な事なんかじゃないよ! さっきの話だって、俺も聞いといて良かったと思ってるし……。 恭也が知らない間にどんどん逞しくなってて、なんか……」 「なんか、?」 「……なんて言ったらいいのか分かんないけど、……置いてかないでね? 俺のこと」  声を潜めた葉璃から、至近距離で上目遣いを食らう。  いやいや……何言ってるの。 ついさっき、改めて俺は劣等感に駆られてた。  どんどん逞しくなってるのは、葉璃の方だよ。 「その言葉、葉璃にお返しします」 「えっ、なんで!? 返さないでよっ」 「葉璃も、俺のこと、置いてかないで。 同じペースで、進んでほしい。 愚痴も、弱音も、俺にはたくさん、吐いてほしい。 セナさんに頼るほどじゃない事は、俺が何とか、してあげたい。 俺はいつだって、葉璃の力になりたいし、味方でいたい」 「……恭也……っ」  葉璃のカップを持つ手が、プルプルっと震えた。 上目遣いで俺を見てくる大きな瞳も、もの言いたげに濡れている。  これはいつも思っている事。 いつも言っている事。  誰にも見付からず、普通にコーヒーを楽しめなくなった俺達は紛れもなく、いつまでも親友であり戦友なんだ。  少しだけアブノーマルな、異常な友情が根底にあるけれど。 「ここだと、ハグ出来ないね」 「…………うん」  それを示すかのように、俺と葉璃は思いを共有していた。  照れくさそうに俯いた葉璃に、俺もこっそり笑いかける。 傍目にはイチャついてるようにしか見えないのか、周囲からの黄色い声が止まない。  葉璃の背中をそっと押し、「外行こうか」と促した。  頷いた葉璃と通りに出ると、ちょうど林さんの運転する社用車が横付けされる。 「あ、林さん、お疲れさまです」 「お疲れさまです」 「……林さん?」  いそいそと後部座席に乗り込んだ俺達の言葉が、スルーされた。 というより、何だか林さんの様子がヘンだ。  ハンドルを握り締めて、遠い目をして前方を睨んでいる。  俺と葉璃は、一定のリズムを刻むハザードの音が車内に響く中、顔を見合わせた。  バックミラー越しに林さんの表情を窺うと突然、力無い声で「大変だよ」と呟かれた。 「…………?」 「林さん、どうしたんですか?」 「……大変なことになった」 「え?」 「え?」  その日、葉璃は午後一から遠方で雑誌の撮影が入っていた。  けれど俺の映画の撮影は午後三時からで、移動時間まで事務所で一度待機する事になっていたんだけど……。  そのせいで俺は、林さんの呟きと遠い目の理由を誰よりも先に知る事となる。

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