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 カッと頭に血が上ったのは一瞬だけで、憤りを遥かに凌いだのが歯痒さだった。  聖南は近頃、精神的に打ちのめされる事が多い。  自宅で葉璃が待っていてくれるおかげで安定していられるが、ここまで長期に渡って何度も気持ちが地を這うと、さすがに心身が疲弊する。  項垂れていた聖南はゆっくりと顔を上げ、社長を見詰めた。 「俺の言う事は信じらんねぇか」 「……五分五分だと言っている」 「俺にはとても、社長が中立な立場でものを言ってるようには見えねぇよ」 「セナ、分かってくれ。 どちらもまったく違う意見を言うから私は……」 「レイチェルは俺に聞けって言ってたんだろ?」 「そうだ。 しかしな、嬉しそうだったんだよ……お前に想いが通じたとでも言わんばかりにな」 『声だけで判断したって事? そんなのアリかよ……っ』  直接そう言われたわけでもないのに、なぜそれを彼女の意見として呑むのだ。  聖南は昔の恩もあり、社長には何もかも包み隠さず打ち明けてきた。 聖南に絶大な信頼を寄せる社長も、そうしてくれていた。  姪が可愛いのは分かる。 多少の無茶も社長のためならと、聖南は多忙を極める身の上だが聞き入れた。  やり方はどうあれ本当に、本当に、社長に報いたい気持ちがあったからこそ今まで身を粉にしてきた。  生かしてくれた恩は、絶対に返さなくてはいけないと思っていたからだ。  聖南は何も隠していない。 無論、嘘を吐いてもいない。  社長は五分五分だと言うが、きっとそれは分かってくれていると思う。  となると、何故そんなにも煮え切らない表情を浮かべているのか──理由は一つしか思い当たらない。 「……社長はどうしてほしいんだよ。 いや、どうなってほしいんだ」 「………………」  核心を突いた聖南と目が合った社長は、何とも不自然に視線を逸らした。  聖南の考えは恐らく当たっている。  直後、握った拳が震えるほど頭にきた。  勢いよく立ち上がり、たちまち沸騰し煮え滾る心中を一気に吐き出すかの如く怒声を上げる。 「マジかよ……っ。 あのな、俺はこんなのばら撒かれたら困んの! これが広まりでもしたら、スキャンダルよりヤバい事になるだろ!」 「……というと?」 「俺の恋人宣言の相手がレイチェルだって事になっちまうんだよ! それがどういう事だか、どういう事態になんのか、社長は分かってんだろーが!」 「………………」  聖南の怒声は、扉を二つ隔てた廊下にまで届いていたかもしれない。  しばらくぶりにここまでキレた。  社長の表情一つで、六秒程しか持続しないと言われる怒りのピークが何度も繰り返される。  一歩、二歩とデスクまで歩み、深呼吸さえ震えた聖南はとうとう、努めて冷静にではあるが怒りを顕にした。 「──言ったはずだよな。 俺から葉璃を取ったら何もなくなるって。 葉璃が傷付く事になるなら、全部ぶち撒けて引退しても構わねぇって」 「セナ、……」 「俺は所詮、大塚芸能事務所に所属する一アーティストだ。 血の繋がりには勝てねぇよ。 何言ったって信じてもらえねぇのも、社長が何を望んでるのかも分かってるけど……俺はレイチェルの想いに応えるつもりは無い」 「………………」 「今はとにかく、差出人を特定してくれ。 その写真が流出したと同時に俺は引退するからな」 「セナ……っ、何もそこまで言い切らずとも……!」 「それだけの写真なんだよ、ソレは」 「……セナ!」  言いたくもない事までぶち撒けてしまいそうになり、社長の制止も聞かず聖南は早足で社長室を後にした。  続く秘書室は無人で、そこで一度立ち止まる。 「……クソッ……」  悪態をつく聖南の指先は、まだ微かに震えていた。  無性に葉璃に会いたくなるも、彼は今遠方のスタジオで撮影中だ。 連絡してみても空振りに終わる。  当然のように信じてもらえると思っていた相手が、まるで人が変わったかのように聖南の言葉を話半分でしか聞き入れてくれなかった。  父親のように慕い、彼もまた聖南を息子同然だと言って様々助言してくれていたからこそ、血の繋がりと世間体を優先させた事が悲しくてならない。  社長は、聖南とレイチェルの恋仲を望んでいる。  写真が広まり、ひた隠しにしてきた聖南の恋人の正体を大々的に公表する事で、姪の知名度を上げたかったのかは定かでない。  一つ言えるとすれば社長は今、姪っ子の恋を応援しているただの叔父だという事。  聖南と葉璃の関係を知っていて尚、その展望を描いた社長に手のひらを返され、裏切られた気持ちにもなった。  悲しい。 そして悔しい。  こんな事があっていいのかと、悔し涙まで出そうである。  おもむろにサングラスを掛けた聖南は、何度かその場で深呼吸をした後に秘書室の扉に開けた。 「おぉ、ビビった。 恭也か」 「セナさん、ちょっと」 「ん?」  扉を開けてすぐ目の前に朝出くわしたばかりの恭也が立ち竦んでいて、聖南はいつもの調子で声を掛けた。  しかし恭也はひどく表情を強張らせ、聖南に同行を促した。

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