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 過去に何度も似たような経験を繰り返しているからか、聖南を心配するあまりぐるぐるしても、咄嗟に逃げなくなった葉璃の成長が見えた。  離れるべきかどうか、それが正解か否か、二人で話し合う余地をくれたのはとても大きな進歩だ。  短いキスでは足りず、舌を入れて味わおうとしたのだがアヒル口は頑として開かなかった。 「聖南さんっ」 「んー?」  華奢な肩を抱いたまま素知らぬ顔でカップを手にした聖南の胸元に、可愛い猫パンチが一発飛んできた。  こぼれるよ、と笑う聖南は悠長なものだ。  葉璃と離れて過ごすのは我慢ならない。 それが解消されただけでも、僅かながら不安材料は減った。  世間に二人の関係を取り沙汰される事を懸念した提案になど、頷けるはずがない。  社長はリスクヘッジを考えていると話していたが、父親の指摘通り、それは結局事務所の体面を鑑みての提案としか思えなかった。  結果的には、聖南と葉璃を守るという使命は果たせるのだろうが……。  別居となると、ものの二日で聖南の精神が崩壊する。 地方に泊まる仕事で数日家を空けるのとは訳が違うのだ。 聖南はそこまで割り切れない。  それが得体の知れない他者による妨害が原因なのだから、尚さら苛立ちさえ募る。  葉璃不足で屍と化さず、この腕に大好きな人を抱けている幸せは、今回ばかりは父親が加担してくれたおかげと言えた。  アップルティーは温くなる手前で一口目を飲んでほしいと、おもむろに葉璃にカップを手渡す。  ぷ、と頬は膨らんでいたが、葉璃は素直に受け取ってくれた。 「……でも、……聖南さんと社長さんが仲直りできたのは、……良かったです」  薄紅色の唇がカップに口付けられていく様をまじまじと見ていると、チラと上目遣いを寄越されてドキッとする。  不意打ちにいつもやられる聖南は、吸い寄せられるように顔を近付け、葉璃の美しい素肌に頬擦りした。 そのまま甘えるように細い首筋へキスを落とし、「うーん」と悩ましい声を上げる。  葉璃が安堵しているので否定したくはないのだけれど、謝罪は受け取ったがまだ正直なところ信じきれない、というのが本心だった。 「仲直りっつーのかなぁ。 ぶっちゃけ微妙なとこなんだよな」 「……そう簡単に許せない、ですよね……。 俺がいくら仲直りしてくださいって言っても、聖南さんの気持ち考えたら……」 「あーいや、そうじゃなくて。 証拠集めてるとかもったいぶんねぇで、さっさと犯人教えろよって思っただけ。 そいつが分かれば俺らも対策出来るわけじゃん。 なのに言わねぇって何なの」 「それはまぁ……」  その点は葉璃も疑問に思っていたらしく、深く頷いてふわふわクッションを抱いた。  社長が握る情報すべてを聖南にさえ明かさなかったという事は、〝言わない〟のではなく〝言えない〟のだと推測している。  電話越しに説明を聞いていた父親にも、犯人の名前は明かされていない。 不審がる父親が『それは一体どこのどいつなんだよ~』と聖南の台詞を代弁してくれたのだが、頑として口を割らなかったくらいだ。  よほど予想外の人物か、あるいは……。 「明らかに神崎が怪しいから、ガチ証拠掴むまで隠してたいのかもな」 「あぁ……俺達が神崎さんを疑ってるの、社長さんは知らないんですよね?」 「知らねぇだろうな。 神崎が恭也の前で写真落としたってのが、わざとなのかどうか……これが重要になってくる」 「そうですね。 わざとだとしたら意味が分からないし、わざとじゃなくても意味が……って、俺何も分かんないですね。 ……もう黙っときます」 「あはは……っ、自己完結かわいーな。 てか考えたところで俺も何がなんだか全然分かんねぇよ。 こんな事初めてだからさ」  ゴシップを掴まれるのはこの業界に居る者であれば多々ある事で、今さら驚きもしない。 だが葉璃を陥れるために聖南のゴシップを使おうとするとは、回りくどい上に陰湿である。  秘書の神崎が嘘を吐いている点も総合すると、スキャンダル慣れした聖南にも解決の糸口すら掴めない。  単なる世間へのネタ提供とは思えないのだ。  調べを進めているという社長の証拠集めがキーとなるため、聖南と葉璃は一日でも早い解決を願うしかない。  そこでふと、葉璃が聖南を見上げた。 「あ、……そういえば恭也の言ってた俳優さんの件、あれどうなったんでしょうね」 「あ!! 忘れてた! 弁護士から連絡入ってたんだった!」 「えっ!?」  いつもの癖でキッチンに置きっぱなしにしていたスマホめがけ、聖南は大股で歩む。 「うわ、もう十時か。 ……明日かけ直そ」 「……ですね」  社長との対面が憂鬱のあまり、すっかり忘れていた。  二日前には連絡が入っていたのだが、着信を残し残されのすれ違いだった。  恭也も気を揉んでいるだろうし、今日こそはとスマホを肌見放さず持ち歩いていたところに、成田から連絡がきてしまい今に至る。  顧問弁護士にもプライベートがあるので、そこまで親しくない人物への非常識を嫌う聖南は、仕方なく〝明日こそは〟に気持ちを切り替えた。  カップの中のアップルティーを飲み干した聖南が、キッチンに立ったついでにコーヒーを一杯マグカップへと注ぐ。  クッションを抱いている葉璃におかわりを問うと、聖南を振り返り首を振った。 いつでもどこでも何をしても可愛らしい恋人に、ついつい破顔する。  聖南はマグカップに口を付けながら葉璃のもとへ戻り、背後から焦げ茶色のやわらかな髪を撫でた。 「なぁ、葉璃。 何回もしつこく言うけど、俺から離れないでよ。 どんな事があっても、その選択は絶対にするな。 いい?」 「……はい。 でも俺は、……っ」 「〝でも〟も〝しかし〟も聞かねぇ。 分かったら〝うん〟でいいの」 「…………うん」 「あはは……っ、葉璃がセックスの時以外で俺にタメ口きくの、めちゃめちゃ嬉しい」 「なっ……!? からかわないでください!」 「あー、もう敬語じゃん。 そろそろマジでタメ口でいいのに」 「そんなの無理ですよっ」 「じゃあセックスの最中はどういうつもりなんだよ? 初っ端から敬語じゃなかったけどな? ん? どうなの、葉璃ちゃん?」 「~~っ、聖南さんっ!」  拗ねた葉璃は、背後に居る聖南に牙を剥こうとソファの上に乗り上がり、目尻を吊り上げた。  けれど長身の聖南にとっては、その方が好都合だ。  そばに居られる喜びを噛み締めている最中にどんな表情をされても、どんな言葉をかけられても、すべてが甘くなるに決まっている。  頬の膨らんだ葉璃を宥める事さえ楽しく、幸福だと思うのだ。  二人の間に一喜一憂など日常茶飯事なのである。 「うわわわ……っ、せ、聖南さん!」 「さーて、歯磨きして今日は早めにねんねしましょー」  右手にマグカップを持っていた聖南は、左腕だけで葉璃を一度抱き締めると、抱え上げて左肩に乗せた。  事態の解決まで一体どれほどの期間がかかるのか、さらには葉璃に危険が及ぶかもしれないと分かった状況なだけに、本当は聖南も呑気にはしていられない。  洗面所へ移動中、左後方から二つ折りになった葉璃に「聖南さん!」と叫ばれて、ニヤけている場合ではないのである。

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