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 聖南が……怒ってる。  社長さんの二の句が聖南の逆鱗に触れたら、あっという間に最悪の事態を招きそうなくらい、その静かな怒りはいつ放出されてもおかしくない。  俺は、〝どうしよう〟と助けを求めるようにルイさんに視線をやった。するとパチッと目が合って、俺にだけ見えるように手のひらを小さく上下に動かされる。  ──〝大丈夫や〟。  今にもイライラを爆発させてしまいそうな恋人の隣で縮こまってた俺には、なんの根拠もないそれがとても頼もしく見えた。  俺は今日まで、ルイさんに特大の嘘を吐いてたのに……別にそんなの平気だとでも言いたげに平然としてる。  社長さんと聖南がルイさんへの説明を後回しにして、どんどん話を進めようとしてるから俺は何も言い出せない。  だって聖南は、他でもない俺のために憤ってるのが分かるから……。 「──話はやや逸れるが、あの日セナが帰ってしまった後……アキラとケイタに事実確認をした。写真が存在する以上、セナの話の整合性を取らなければレイチェルにも強く言えんかったからだ。……私がレイチェルを贔屓目で見ていた部分は確かにある。だが、だからといってセナを百%疑いたかったわけではない。傷付けるつもりは真に無かった。……すまない」 「…………」  社長さんは信頼を取り戻すため、俺とルイさんが居る前にも関わらずその場で聖南に頭を下げた。  聖南はそれを、感情の読み取れない冷めた真顔でジッと見ていた。  何日か前にも、二人にはこういう場が設けられてたはずだ。  こんなにも立場ある人が、一所属アーティストに何度も詫びるなんて普通じゃない。素人に毛が生えた程度の俺にもそれくらいは分かる。  社長さんは聖南の事を〝息子同然に思っている〟と公に語っていて、それは何年も前から業界に浸透してるほどだ。  聖南の態度も、本当のお父さんに対するものみたいだった。見ていてヒヤヒヤするくらい、横柄というか堂々とし過ぎてるというか。  それもこれも、寂しかった聖南が唯一気を許していた大人が社長さんだったからだ。  いたたまれない空気が、社長室内に何度も訪れる。  俺も何か発言した方がいいのかもしれないけど、この険悪なムードの中で発するにはどんな言葉が正しいのか……そんなの分からない。  聖南の横顔を見てるのもツラくなってきて俯くと、こういう場でも狼狽えないルイさんが静かに口を開いた。 「セナさん、すんません。社長の肩を持つわけやないけど、ワーワー泣いてたのはほんまです。セナさんを信じてやらんかったいうて、一時間以上くだを巻いてはりました。いっぺん言うてもうた事は取り返しつかんけど、社長もセナさんを信じたくて裏で動いてたんと思います」 「……ルイ、庇わなくていい。私はそれだけの事をしてしまったのだ。アイが犯人だと明かさなかった理由は、証拠を集めるためだと以前話した通りなんだよ。あの時点では、アイが単独で動いているのか協力者が居るのか曖昧な部分があった。せめてハルをあちらに向かわせないようにするしか、……」  ルイさんのフォローに、社長さんは首を振った。  でも、ルイさんのおかげでピリピリと張り詰めた空気が和らいだのは間違いない。  今しかない、と俺は聖南の袖口をツンッと引っ張った。 「……聖南さん」 「ん?」 「秘書の神崎さんのことは……」  俺の方を向いた聖南の瞳はそんなに冷たくなくて、ビクつかなくて済んだ。  犯人がアイさんなのは事実だとしても、神崎さんがなぜ写真を持ってたのか、それをどうするつもりだったのか、誰から受け取ったのかが不明なままだとちょっと……いや、かなり怖い。  聖南は思い出したように「あぁ、そういえば」と呟いて、社長さんを見る。 「一つ聞きたいんだけど、神崎さんはこの件とは無関係?」 「……神崎が無関係か、と? 何故だ」 「あれが送り付けられた日、神崎さんと恭也がすれ違った時に例の写真を落としたらしいんだよ。写真は社長室にあったじゃん。なんで神崎さんも持ってたんだよ。社長が全部受け取ってたわけじゃねぇの?」 「……疑わしいのであれば、彼女もここへ呼ぼう」 「そうしてくれ」 「えっ……」  思わぬ展開に声が漏れてしまう。  聖南に頷かれた社長さんは早速、退勤後に呼び付ける事を詫びつつ神崎さんに連絡を取った。 「二十分ほどで来るそうだ。ちなみにだが、例の写真は二枚送られてきていた。私がセナと話をしている間に、神崎にはもう一枚を持って弁護士のもとへ行くようにと伝えていたのだ。その時にヘマをしてしまった事は神崎から謝罪をもらっている。相手が恭也であった事が救いだった」  な、なんだ……そういう事だったの。  絶対にヘマしちゃいけないネタではあるんだけど、社長さんのこの様子からして神崎さんは相当お叱りを受けてそうだ。  たった二十分でここに来るって話だし、俺と聖南が神崎さんを疑ってたのは取り越し苦労だったのかも。  逆に、それならその方が良かった。  何年も社長秘書を務めてる神崎さんが、まさか本当に事務所を裏切るような行為をしてたらヤバかったんだよ。  なんたって彼女は、事務所の内情すべてを知ってると言っていい。それは大塚芸能事務所内の機密事項から、聖南と俺の関係まですべてだ。  一度もまともに話した事はないし、バレてる素振りをされた事もないけど、社長室内での聖南は家と変わらない調子で俺にベタベタしてくるから、何度もその現場を見られた神崎さんには絶対に気付かれてる。 「あとな、怪しいと思った理由がもう一つあんだよ」 「なんだ」 「普通、郵便物は受付が受け取って事務室行きだろ。でもあの日は警備員も受付も社長宛ての郵便物を受け取ってないらしいじゃん。だとしたら、神崎さんはどうやってあれを手に入れたんだよ。元々誰からも受け取ってねぇか、犯人側と繋がってるかのどっちかだろ。怪しいって」 「……なるほど。それで神崎を疑ったのか」

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