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34❥3 ─聖南─

❥ ❥ ❥  林の運転で、一昨年の事件の際に聖南が世話になった病院へと急いでいた。  車中が暖かくなってから、可能な限り慎重に葉璃に衣服を着せてやる。いくら向かう先が病院だとしても、到着時に全裸だったと聞けばそれを後々知った葉璃はきっと恥ずかしがると思ったからだ。  濡れたタオルは足元にまとめ、聖南はその身で温めるべくずっと葉璃の体を横抱きにして人肌を与えている。  着替えの間も、葉璃はまったく目を覚ます気配がなかった。  盛られた薬というものがどんなものか分からないので、葉璃の体内でその成分が眠気以外の悪さでもしているのではないかと思うと、そこはかとなく怖い。  聖南の心は、一分一秒毎にどんどんと小さくなっている。  葉璃が可哀想で、申し訳なくて、心底不甲斐ない自分に嫌気が差して……油断するとすぐに視界が滲む。 「……はい、はい。よろしくお願いします。……誠に申し訳ございません。では失礼いたします」  運転中の林が、ワイヤレスイヤホンを使って手短に通話をしていた。 「今のって……葉璃ママ?」 「はい。これからすぐに、春香さんと病院に向かうとの事です。お父様は出張中だそうです」 「……そっか。連絡ありがとう」 「いえ、……そんな」  冷静に聖南の指示に従ってくれた林も、かなり心配そうだ。  社長と葉璃の母親に連絡をしがてら、時折ルームミラー越しに聖南の腕の中に居る葉璃を見ていた。 「ハルくん、なんでそんなに……起きないんですか?」  聖南が着替えをしていた最中、カクンと顎を仰け反らせて寝入っている葉璃を目撃してしまったらしい。  シャワーにあたりながら気を失っていたという事だけを把握し、連絡した二人にもそう説明していた林は何が何だか分かっておらず、信号待ちにはとうとうひどく心配げに振り返ってきた。 「薬盛られたらしい」 「えっ!? く、薬……ですか!?」 「あぁ。精神安定剤って言ってた」 「なっ……!?」 「んなもん、不必要な人間に飲ませていいもんじゃねぇだろ。覿面だったんだろうな、葉璃には」 「そんな……!」  横抱きにした葉璃の濡れた髪を梳き、冷たい頬を撫でる。  時間が経つごとに腫れているたんこぶと傷が気になり、しかも寝ているだけにしては随分睡眠が深い。冷水を浴び続けても、聖南が呼びかけても、反応すらしなかった。  このまま目を覚まさなかったらどうしようと最悪な事まで考えてしまい、聖南は何度も葉璃の呼吸を確認しては胸を詰まらせた。 「……クソッ……」  苦々しく舌打ちをし、乾いたタオルで髪の水気を取るも当然すぐには乾かない。日頃から乾かすのを面倒くさがる葉璃がよぎり、心が締め付けられた。  ……情けない。  本当に、情けない。  すべてはアイの罠にかかった聖南の落ち度だ。  相手は自身の手を汚さぬ卑怯なやり口で、葉璃を陥れようとする。何度もその片鱗を見ていたのに、結局は葉璃を守る事が出来なかった。  本番での葉璃の出演を妨害して溜飲を下げ、周囲の反応や葉璃本人の気の毒な様を見て嘲笑いたいのだと、聖南はそんな風に憶測を立てていた。  メンバー内に協力者が居ると分かっても、妨害すべきアイの目的は本番である明日。それがまさか今日に狙いを定められるとは、完全に裏をかかれてしまった。 「あ、マズい……」 「どうしました?」  何のためにここに居たのかという後悔をしていた聖南は、ふと思い出した。  変更の我儘を聞いてもらった年始のバラエティー特番の打ち合わせ時間が、間もなく迫っている。  腕時計で時刻を確認するも、すでに十分前にも関わらずポケットの中のスマホは静かだった。 「ヤバッ……成田に連絡しないと」 「あ、それなら僕が入れておきました」 「マジで? 成田にも連絡入れてくれたのか?」 「はい、何しろこれは緊急事態です。ハルくんがこんな状態の時に、セナさんが仕事に向かうのは無理かと……僕が勝手に判断しました」  なぜそこで申し訳なさそうに「すみません」と謝るのか。  一時でも仕事を忘れてしまっていた自分が、さらに情けなくなる。正直そこまで頭が回らなかった。  林が〝勝手に〟気を利かせてくれていた事に聖南は驚きつつ、素直に感謝を伝えた。 「ありがとう。……マジでありがとな、林。後から俺も成田とスタッフに連絡入れとく」 「はい、そうしていただけると助かります」  謙虚にも、林はそう言ってまた「すみません」と謝ってきた。  葉璃がこの林に心を開くのが早かった理由が分かる。  デビュー前からの付き合いだとはいえ、当初から腰の低かった林に葉璃は親近感を抱いていて、早くから信頼を寄せていた。  仕事ぶりも真面目で、聖南と葉璃の関係を知っても何一つ偏見を持たず、むしろ積極的に協力しようという姿勢が見える。  本当に、ありがたいと思った。  ミナミに逃げられては元も子もないと、ドームを出る際に恭也とルイに向かって咄嗟に指示を出した聖南だったが、二人なら聖南が言わずとも葉璃のために動いてくれていただろう。  連絡を受けた成田も、訳が分からないと溢しながらスタッフへ日時変更のためにきっと頭を下げている。  聖南と葉璃は恵まれていると日々思ってはいるが、こういう非常事態の時に改めてつくづくそう感じる。  二人は決して、万人から好意的に見てもらえるような間柄ではない。  そんな事は百も承知で、聖南は葉璃の家族から葉璃を奪った。  俺が必ず葉璃を守ります。  今回のような事は二度と起きません。  昨年の夏、聖南は葉璃の母親へそう大見得を切った。  あの時の聖南は、何としてでも葉璃との同棲に漕ぎつけたかったのだ。過信ではないが、不確かな自信だけはあった。  不甲斐ない聖南を許してくれた葉璃に、存分に甘えていたとも言える。  ──葉璃ママに謝んねぇと……。  あってはならない二度目が起こった以上、聖南だけがツラい思いをしていると盲目になってはいけない。  聖南の腕には、二度目の被害者となった恋人がとても被害を被ったようには見えない安らかな顔で眠っているけれど、何の非もないはずの葉璃は事実、こうして目を覚まさないでいる。  同棲を快く許してくれた葉璃の親には、感謝してもしきれない恩があるのだ。  葉璃のみならず、そんな理解ある家族まで巻き込んで悲しい思いをさせてしまう罪悪感が、ほんの少しだけ冷静さを取り戻してきた聖南の脳裏にぐるぐると渦巻いていた。

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