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 社長室から眺めた夜空は、とても美しいと形容できるようなものではなかった。  よくよく目を凝らすと、儚い粉雪が舞い始めている。深夜から雪の予報である事は知っていたが、今日は午前中のうちから葉璃の不運を暗示するような空模様だった。 「降り出したな」 「……雪か」 「あぁ。積もりはしねぇだろうけど」  どうりで寒いはずだよな、と苦笑いを浮かべる聖南に、社長も頷いた。  街はクリスマスイルミネーションで彩られ、寒さなどなんのそのといったカップル達が寄り添い歩いている。  聖南は、そんなカップル達を羨ましく思った。  自分にはこの業界しか生きていく術が無い。  葉璃と出会った幸運を必然だと捉え、日々穏やかで温かな気持ちを忘れずに生きていられているが、聖南と同職となった葉璃は果たして幸せなのだろうか。  聖南と居る限り、葉璃はこの先もずっと、普通の人生を送れないに等しい。  ゴシップ写真を送り付けてきたアイのように、真実を知る者達が増えていくに従い、明るみに出る事を恐れる葉璃はどんどん生きにくくなるのではないかと思うと、切なくてたまらなくなる。  聖南が〝セナ〟で居て輝き続ける限り、こういったトラブルが二度と起こらないとは言い切れない。  葉璃はどんな気持ちで意識を失っていったのだろう。  黒い感情渦巻くこの世界、そして肝心な時にそばに居なかった聖南に、ほとほと愛想が尽きたのではないか。  胃洗浄の必要も無く、容態が安定している葉璃がなかなか目覚めないのは、〝目覚めたくない〟からなのではないか。  ──いや……葉璃に限ってそんな事はない。   不安を打ち消すように、自身に言い聞かせる。  熱気と興奮渦巻くステージからの光景を「綺麗」と言った葉璃には、それこそ汚い感情に触れさせたくなかった。  どこへ行っても、どんな人物と接しても、今回の経験が先入観を意識付ける可能性が高いからだ。  素直で卑屈な葉璃に、そんなものを植え付けた彼女らが憎い。  そんな彼女らを野放しにし、聖南の助言も話半分でしか受け取らなかった上辺だけの事務所幹部達も憎い。  葉璃がどれだけ我慢していたと思っているのだ。  聖南にも多くは語らず、一度は折れかけた心を持ち直した葉璃は「元々根暗で気配消すの得意なんで、大丈夫です」などと開き直って笑っていた。  強くなるのは良い事だ。表面上では華々しく見える業界の裏を知るのも、悪い事ではない。  けれど、ここまで葉璃を傷付けた罪は重い。  二度三度とナメられた聖南への冒涜も、業界全体への愚弄も、何もかも許せない。  沸々と怒りを滾らせていた聖南が、突然「あっ」と声を上げデスクを下りた。  社長も「なんだ」と即座に応える。 「SHDに連絡しとかねぇと」 「それなら私がしておこう」 「今?」 「もちろんだ」  言うが早いか、社長はすぐさま二つ折りの携帯電話を取り出し、SHDエンターテイメントの幹部と思しき者と会話を始めた。  ソファの方へ移動しながら、聖南は黙って傾聴する。 「……大塚だが。……あぁ、明日な。例の契約は明日で終了だが、うちのハルが世話になったと伝えたくてな。……そうだ。諸々、互いに秘密を抱えた間柄なのだからこれからもよろしく頼むぞ。……どうなっても、恨みっこナシだ」  ──うーわ、社長も言う時は言うんだな。  ゆったりとした口調ながら、彼は矢継ぎ早だった。相手が相槌しか打てないよう、声色で牽制までかけていた。  少なくとも存在する事務所の強弱の前者があんなにも高圧的で良いのかと思う反面、聖南の台詞を真似、皮肉たっぷりの社長の言葉こそ覿面に恐怖を与えられたに違いない。  僅かに胸がすいた。 「フッ……、煽るなよ」 「セナの言葉を真似ただけだ。他意は無い」 「他意と皮肉だらけだったじゃん」  冷静に返され、聖南は微かに微笑んだ。  今日の事が耳に入っていたのかは分からないが、少なくともこれまでの葉璃への所業と、アイからの挑戦状とも言うべき聖南のゴシップ写真については、SHDからは未だきちんとした謝罪をもらっていない。  とはいえ、何から何まで筋の通らない事務所とLilyへの制裁よりも、聖南にとっては明日の葉璃の出番をどうするかの方が重要で、怒りも顕に事務所へ乗り込むという選択が浮かばなかったのは正解だった。 「……なぁ、大塚が負けるとかねぇよな?」  今回の事が発端で事務所間の争いにでもなってしまえば、葉璃がまた自分のせいだと思い悩んでしまう。  許すつもりのない聖南は持てる力をすべて使ってでも対抗する気満々だが、事務所間となると世間を騒がす一大事になる。  葉璃は絶対に、そんな事は望まない。  ベテラン刑事のような風貌の社長は、窺った聖南にしたり顔を見せた。 「あるもんか。私が現場でのセナを信頼したように、セナも私を信じていなさい。詫びの気持ちを形で示そうじゃないか」 「それはもういいって」 「よくない。私は、大切な息子とその大事な者を傷付けたのだ。気が済まんのだよ」  ──もういいって言ってんのに……この頑固親父……。  贖罪の気持ちを示すと言われ、聖南は何やら複雑な思いに駆られた。  聖南に両親と呼べる者は居ないはず。  だが今日は、血の繋がらない父親と母親から続けざまに愛情を受け、照れくさくなった。 「……はいはい」  やたらと鼻の奥がツンとなる忙しない一日に、必須となったサングラスを掛けた聖南は照れ隠しにそんな返事をすると、社長室をあとにした。  明日万全の体制で臨めるようスタイリストとヘアメイクの者へ連絡を入れ、愛車へと乗り込む。  しかしすぐに自宅へ帰る気にはなれなかった。  エンジンも掛けず、だんだんと冷えていく車内で、スマホに保存している葉璃の写真をしばらくスクロールし眺める。 「……葉璃……」  ──葉璃、予報通り雪が降り出したよ。  水、冷たかったろ。  寒かったろ。  心細かったろ。  〝なんでこんな事されなきゃなんないの〟  〝なんで聖南さん助けに来てくれないの〟 ……って、ムカついたろ。  ごめんな。  俺は教養のないバカだからさ。  葉璃を守ろうとして、まんまに罠にかかっちまったよ。  でもな、今度は俺達の番だ。  温けぇみんな巻き込んで、俺達が罠を仕掛けてやろうじゃん。    

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