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35★7 ─恭也─
★ ★ ★
俺が宿泊するホテルに、ルイさんも部屋を取ったと聞いた時は驚いた。
ルイさんは寝る直前まで俺の部屋に居て、気遣いからか饒舌な彼らしく他愛もない世間話をしていたけれど、それで少し気が紛れたのは確かだ。
一人になって窓から夜景を眺めていると、どんどん目が冴えてきてあまり眠れそうな気はしなかった。
何しろ夜になっても葉璃が目覚めたという連絡が無く、俺は心配で心配でしょうがなくて。
ただただ葉璃の身に起きた事が許せなくて。
ファンの子達には申し訳ないけれど、もはや俺は出番が無くなるとか正直どうでもよかった。
ステージの上でのみ俺の手の届かない場所へいってしまう葉璃が、故意的にそれを無くされてしまうかもしれない事が本当に耐え難かった。
葉璃はその点だけは、卑屈でもネガティブでもなくなるから。
緊張しまくって震えながら、楽屋の隅でどんよりとした空気を纏ってイジイジはしているけれど、ステージまで連れて行ったらそこはもう葉璃の独壇場になる。
そういう話を、ルイさんともたくさんした。
葉璃には自分でも切り替えのタイミングが分からない〝やる気スイッチ〟があって、曲が流れたら不思議と震えが止まり、体が勝手に動く……。
そんな嘘みたいな話を信じざるを得ない現場に、俺達は何度も直面している。
だから尚さら許せないんだ。
輝ける葉璃の居場所を、無理やり奪おうとしているアイさん達の事が。
葉璃は何にも悪くないのに。
全然、何にも、悪くないのに。
──……〜〜♪
眠れずにぼんやりと夜景を眺めて一時間ほどが経った頃、ベッドの枕元に置いていたスマホが鳴った。
二十四時を過ぎて俺に連絡を寄越してくる人なんて居ない。
きっとセナさんだと思い慌ててスマホを手に取ってみるも、画面に表示された名前を見た瞬間、俺はサッと表情をなくした。
「……はい」
『おい恭也! 今日はマジでビビったんだからな! セナさんが来るなら言っとけよ! よく分かんねぇ事根掘り葉掘り聞かれるし!』
「……すみません」
葉璃の事で頭がいっぱいで、俺は水瀬さんの存在をすっかり忘れていた。
今日一日があまりにも長くて、そういえばそんな事もあったなというまるで他人事のような心境だった。
『なんで俺があんなに責められんだよ! アイが来なかっただけで!』
「それが問題、だったんですよ」
『はぁ!?』
水瀬さんは、あの場にセナさんが居た事、オフレコ話が筒抜けだった事の両方にかなり怒っていた。
悪かったとは思いつつ、おそらく何も知らない彼が何の役にも立たなかった事を俺は怒っている。
「アイさんは、なぜ、来なかったんですか? 来ない事を、水瀬さんは、知っていたんですか?」
『そ、そんなの知るわけねぇだろ。あの後パッタリ連絡つかなくなった』
キレられても動じず、逆に問い詰めた俺に怯んだのか水瀬さんの声が急に弱々しくなる。
あなたの元カノだか今カノだかは、俺の大切な人にとんでもない事をしてくれたんだよ。
彼女の関係者である水瀬さんにまでムカつくほど、俺の方こそキレている。事情を知らないからといって、あんな剣幕をぶつけられる謂れはない。
「そうですか。……アイさんは俺の事、別にファンでも何でも、ないと思いますよ」
『そんなの分かんねぇじゃん。今日来なかったのだって、都合悪くなっただけじゃねぇの?』
「道に迷って、遅刻していたのでは?」
『あ、そうだった。じゃあ何で来なかったんだよ』
「……それは水瀬さんが、聞いてみてはいかがですか」
『連絡つかねぇんだから聞きようがねぇもん』
「………………」
あぁ、そう。
それならもう何も話す事はないよ。
「……水瀬さん、ご協力、ありがとうございました」
『あっ? おいっ、話はまだおわって……』
これ以上の通話は無意味だと判断した俺は、終了アイコンをタップしてベッドにスマホを放った。
そのままゴロンと横になり、目を閉じる。
「はぁ……」
葉璃はまだ……目覚めないのかな。
考えるのはやっぱり、明日の出番云々よりも葉璃の安否。
薬を盛られたあげく気を失った状態で冷水を浴び続けた、なんて聞いたら心穏やかでいられない。
落ち着かず眠りも浅かったせいで、何度も寝て起きてを繰り返した。
カーテンの隙間から覗く空は、まだ暗い。
時刻は四時過ぎ。もう少し寝ておかないと……と思いながらも、ついつい意味もなくスマホに触れる。
すると、見逃しちゃいけないメッセージが一通届いていた。
「……あれ、セナさんからだ。……〝恭也が好きな歌教えて〟……?」
こんな時間にごめん、という一文と、状況にそぐわない文面に眉を顰めてしまう。
「……す、好きな歌……?」
それは一時間以上前に届いていて、葉璃が目覚めたかどうかを聞こうにもセナさんの意図が分からず困惑した。
でもとにかく、聞かれた事には答えないと。
「〝歌手名は忘れましたが、四年前くらいに発売された『絆』という曲が好きです〟……これでいいのかな?」
返信を送って三分後、さらにメッセージが届く。
〝それって歌詞見ないで歌える?〟
「〝はい〟、……と。どういう事なんだろう」
俺はすぐに返信したんだけど、この後からはパタリと音沙汰がなくなった。
……なんであんな事聞いてきたのかな。
葉璃と仲良くなってしばらくして発売された、現在に至るまでなかなか日の目を見ない当時新人だった歌手の『絆』という曲。
家族や友人、恋人、どの関係性であてはめてもいい心温まる歌詞にグッときて、俺は葉璃との友情を思い描きながら未だ飽きる事なく聴いている。
ボイスレッスンで選曲していたほど思い入れのある、歌い慣れた曲に違いないけれど……。
なぜ今セナさんが、そんな事を……?
「あ、もしかして……」
ふと浮かんだ、セナさんの思惑。
ETOILEの出番はキャンセルしないと名言していたけれど、葉璃の容態次第では本番がどうなるか本当に分からない。
という事は、……。
★ ★ ★
「──恭也、ペンディングって何?」
何やら密談をしていた様子のセナさん、アキラさん、ケイタさんの三人が、俺達のところまで揃ってやって来た。
そこで改めて、セナさんが今日のETOILEの出番はキャンセルしない方向で動いている事を話し始めた時、少し疲れた顔で葉璃が俺を見上げてきた。
「うーん……セナさんが使ってる意味だと、〝保留〟ってことかな。本番直前まで、決定は保留……そういう意味じゃない? 日常的には、あまり使わないよ」
「へぇ……」
俺と葉璃の会話に、セナさんの声が止まる。
キャンセルはしないけれど、葉璃の体調がどうなるか分からない以上は〝ペンディング状態〟だって。
その意味を俺に問うてきた葉璃は、どことなくまだ頬が赤い気がして、瞼も重そうだ。
可哀想に……。
なかなか目覚められなかったあげく、熱まで出ちゃうなんて。
それでも葉璃は、俺達の心配をよそに可愛い笑顔を見せていた。そして、いじらしいというか我慢強いというか、「葉璃らしいね」とつい頭を撫でてしまった言葉を平然と紡いだ。
ついさっき、葉璃は俺とルイさんの前でこう言ったんだ。
〝俺は何ともないよ。本番がんばりたいから、熱なんか出してられない。気張ってなくちゃ〟
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