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病院になんて戻りたくない。
どんなに諭されても、納得したくなかった。
──負けた気がするから。
でも〝ヒナタ〟の最後のパフォーマンスを振り返ると、自分ではとても「頑張った」と言えないクオリティーだった。
そこを指摘されて、自力で立つ事もままならない今、〝ハル〟はステージで全力を出し切れるはずがない。
聖南は見破っていた。
俺の頑固さも悔しさも承知したフリで、ほんとは全然納得してない事も。
「社長、例の衣装は持って来てくれた?」
俺の頭を優しく撫でてパーテーションの向こう側へ行ってしまった聖南の声は、姿が見えなくてもよく通る。
言うなり、シュルシュルシュル……とネクタイを外す音がした。続けて、スーツのジャケットを脱ぐ音も聞こえた。
……衣装……? 聖南、そんなものまで用意してたの?
「ああ。……しかしあれはどうなんだ。今日はせっかくクリスマス特番なのだし、どうせなら時節を合わせた方が良かったんじゃないか。衣装ならいくらでも……」
「いいんだよ。俺を信じろ。……〝ハル〟不在のETOILEの出番、めいっぱい沸かせてやるぜ」
「頼もしい事だな」
聖南……すごくかっこいいこと言ってるけど……俺は少し複雑だよ。
だって、まるで俺が出られないことをはじめから分かってたみたいな用意周到さだ。
横向きになってジッと話を聞いてた俺と同じく、ケイタさんも疑問に思ったらしい。
「ねぇセナ、衣装って何? 急遽だしそのまま出るのかと思った」
「そんなわけねぇじゃん」
そ、そ、即答だ。
やっぱり、聖南がETOILEの出番をキャンセルしなかったのは、いざという時のために準備してたからなんだ。
この分だと、番組側にも話が通ってそうだし……。
で、でも、聖南は良かれと思ったんだ。
ネガティブの渦に飲み込まれそうだった俺は、バスドラムが響く床からの振動でさらに朦朧となりながら、考え直す。
聖南は、俺に何も言わなかった。
そんな話聞いたら、頑固な俺は意地でも出演しようとするもん……。聖南と恭也に迷惑かけられないって……。
俺が出演出来る状態だったら、これは話さなくていいこと。隠してていい秘密だった。
「本番までsilentの振り練習しといた方がいんじゃねぇの」
アキラさんの声に、少しだけトーンを落とした聖南が答える。
「やるよ、衣装に着替えたら」
「てか振り覚えてるの?」
「ツアーで踊ったの一年以上前だぞ?」
「しかも一回きりだし?」
「大丈夫なのか?」
「……なんだよ、お前ら。少しは俺を信用しろよ。silentの振りは一回体に入れてっから大丈夫だ。忘れてねぇ」
うぅ……かっこいい。悔しいけど、ほんとにほんとにかっこいいよ、聖南……。
俺みたいな新人にも〝尊敬する〟、〝すげぇ〟と素直に言っちゃえる人だ。それがたとえお世辞だとしても、プライドが高くて鼻が伸びきっちゃった人はそんなこと絶対に言えない。
芸歴とか才能を過信していいのは、聖南の方だよ。
「……聖南さん……」
……俺、聖南に「ごめんなさい」じゃなくてもっと言わなきゃならない事がある。
出演出来ないからって、くだらない意地を張ってたのが恥ずかしい。
聖南が決めた事に間違いはないのに。
きっと色んな人に話を通したはずだもん。それがどんなに大変なことか、俺には想像も出来ないよ。
そういえば、聖南はホテルに着いてからずっと誰かと電話してた。
あれはもしかして……。
「聖南、さん……っ」
たまらなくなった俺は、パーテーションの向こうに届くかも分からない掠れた声で、聖南を呼んだ。
「ん?」
五組目のバンド演奏は、離れた楽屋にもその振動や熱気が伝わっていた。
けれど聖南には俺の声が届いていて、「呼んだ?」と心配気な表情でそばに寄ってくる。
白のカッターシャツとスラックスだけになった聖南もとびきりかっこいい。対して俺はひどい顔をしてるんだろうなと卑屈になりながら、弱々しく腕を伸ばす。
「あの……聖南さん。もしかして、俺がこうなるって……分かってたんですか?」
「いや、万が一を想定してただけ」
「そう、ですか……」
「今俺に出来ることを全力でやるんだ。葉璃の居場所、守りてぇから」
「…………」
伸ばした腕を温かい手のひらで擦られて、何だか泣きそうな気持ちになった。
ちょっとだけ疎外感を抱いてしまったネガティブな自分が、すごく嫌だ。聖南はそこが好きだって言ってくれたけど、どう考えても短所でしかないよ。
出番が迫ってる。Lilyとアイさんがどうなったのかも気になる。
でも俺は、温かくて大きな聖南に「何もかもほっぽってそばにいて」と言ってしまいそうになった。
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