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 客席から歓声が上がる。バスドラムの重低音も響かなくなった。  五組目のアーティストさんが終わったって事は、ETOILEの出番まであと十分くらいしか無い。  聖南も同じことを思ってたみたいで、俺の体を軽々と抱き上げると「来た?」とパーテーションの向こう側に声を張る。 「はい」  返事の主は、さっき出て行ったはずの佐々木さんだ。真冬のこの時期に、しかも外はチラホラ雪が降ってるなか腕まくりをしていた。  今日は仕事じゃないからっていうのもあるのかもしれないけど、いつもピシッときまってる髪型も少し乱れてる。  春香が言ってたことを思い出した。  俺のために、大急ぎで色々と動いてくれたんだ。佐々木さんも、……俺がまだ把握してない人達も……。 「それでは、連れて行きますね」 「ああ、頼んだ。樹にはマジで世話になったしな。〝お姫様抱っこ〟許してやる」 「フッ……。礼にしては気前が良過ぎますね」 「念願だったろ」 「ええ、それはもう。……葉璃、行こうか」  俺の体は、聖南から佐々木さんに引き渡された。  それが無性にイヤで、寂しくて、思わず聖南に両腕を伸ばす。 「聖南さん……っ」 「葉璃、マジで……半年間お疲れ様。今日で片付けるからな。本番も、Lilyの件も、あとは俺に任せろ」 「……っ、聖南さん……っ」  伸ばした腕を取ることなく、俺のほっぺたを撫でて淡く微笑んだ聖南は、もう本番モードに切り替わっていた。  表情で分かる。  目付きが普段よりキリッとして、俺のことを恋人じゃなく後輩を見る目になる。 「樹、チャンネル間違えんなよ」 「間違えるはずがないでしょう」  そんな聖南に、俺もそれ以上は甘えられなかった。  熱があって体がツラいからなのかな……。  どうしよう。  ひどく聖南が恋しい。ほっぺたを撫でてくれた感触が忘れられない。もっと触ってもらいたかった。  聖南の手のひらはいつでも熱くて、優しくて、とても安心するんだ。 「軽いな、葉璃」 「あ、……あの、迷惑かけてすみません、佐々木さん……」 「謝罪はいいから早く治しなさい。こんなに体が熱くなって……喋るのも億劫だろうに。葉璃はいつでも元気に卑屈でないと」 「元気に卑屈って……」  佐々木さんの笑顔はレア中のレアだ。笑い返す余裕は無かったけど、俺の性格を知ってる人からの軽口に今だけは救われる。  横抱きされてるのが〝ハル〟だと気付いたスタッフさん達からの注目を集めつつ、通路を抜けて関係者出入り口を出た。  俺を抱いてても何のそのな佐々木さんは、少し歩いた先の道路に停車してあった真っ黒な車に一目散で向かう。  運転席にはあの怖そうなイケメン、助手席には春香が乗っていた。 「風助、野本総合病院までどれくらいかかる?」 「あ? ぶっ飛ばせば十五分」  佐々木さんと俺が後部座席に乗り込むと、すかさず「俺にもたれ掛かっていいよ」と言われてお言葉に甘える。  振り返ってきた春香から手を振られ、俺は右手を少しだけ上げた。  問われた強面さんはというと、眉間に皺を寄せているように見えた。……こわい顔するの、癖なのかな。  暗いし瞼が開かないしでよく見えないけど、間違っても〝強面さん〟なんて呼べない。 「誰がぶっ飛ばせって言った? 安全運転で頼む。あ、この車は走行中にテレビ観られるか?」 「観れるけど。てかテレビ観てぇなら後ろにもモニターある」 「さすが風助」  ほんとだ……。運転席と助手席のヘッドレストの後ろに、モニターが付いてる。  佐々木さんは強面さんから小さいリモコンみたいな物を受け取って、早速テレビを付けるとザッピングを始めた。 「葉璃、起きてられる?」 「はい……なんとか。頭痛いんで眠れそうにないので……」 「まったく……可哀想に」 「薬は飲んだのか?」 「は、はい、三十分くらい前に……!」  わ、ビックリした……!  何気なく見ていたルームミラー越しに、怖い人と目が合ってそう聞かれた。  体はだるくて億劫感しかないのに、肩がビクッと機敏に動いたのはたぶん反射的なもの。  何ていうか、すごく迫力がある人だ……。 「じゃあそろそろ効いてくんじゃね? 出番があるとか何とか言ってなかった? なんで病院に向かってんの?」 「あ……いえ、あの、……」 「そんな怖えツラで葉璃を見るな。風助のせいで怯えてんだろ」 「ツラは生まれ持ったもんなんだからしょうがねぇじゃん」  すぐに答えなきゃと思うと、もっと頭が混乱した。  佐々木さんと聖南の知り合いの……「風助さん」。きっと二度と忘れないと思うけど、覚えとこう……。 「出番が迫ってるからこそ、薬が効くの待ってられなかったんだよ、セナさんは」  風助さんの問いに、佐々木さんは時間差で答えた。 「へぇ?」 「葉璃に無茶してほしくなかったってのもあるんだろうけど、……セナさんは生放送の裏のシビアさを誰よりも知ってるからな」 「…………」  神妙に語った佐々木さんは、「都会のホワイトクリスマスはあんまり情緒が無い」なんて呟きながら、ふと窓から夜空を見上げた。  助手席の春香も同じように、しんしんと舞い降る雪を眺めてる。  薬が全然効いてる気がしない俺は、二人みたいに情景を楽しむ気持ちにはなれなかった。  俺の居場所を守るためにピンチヒッターを買って出てくれた聖南と、どういうわけかカバー曲を独りで歌うことになっても驚かなかった恭也の、緊張の瞬間がもうすぐだ。  ただひたすら心の中で繰り返すのは「ごめんなさい」。結局聖南に言えなかった言葉も、同時に悔やむ。  モニターには、六組目の男性アイドル達がキラキラな笑顔で歌って踊っている。  ついさっきまで、俺はあそこに居たのにな……。  揺れるサイリュームの光は色とりどり。バルコニー席、二階席で輝くそれは本物のお星様みたいに見える、まるで熱狂的なプラネタリウムみたいでとっても綺麗なんだ。  あの景色を前にすると、当然体は震えるし足も竦む。  でもイントロが流れ始めて会場が一体になると、歌いながら、踊りながらでもお星様の美しさを楽しむことが出来るようになる。  高揚感に胸が高鳴って、そこに立てている必然さが信じられなくて、いつまでもこの光景を見ていたいとさえ思う。  だけど今、俺はあの場所に居ない。  聖南が俺のピンチヒッターなんて豪華過ぎて、今後〝ハル〟は用無しになってしまうんじゃないかっておこがましい嫉妬じみたものを感じてしまっていても……〝ハル〟不在のETOILEのパフォーマンスを、しっかりと見届けなくちゃいけない。  神聖できらめくステージはまさに夢の場所なんだって事を再確認してほしいから、Lilyのみんなも絶対に、聖南と恭也のパフォーマンスを見るべきだ。  めいっぱい沸かせてやるぜ、とかっこよく豪語した、アイドルとしてステージに立つ聖南の背中を、俺も目に焼き付ける。  高熱のせいで肩で息をする俺は、今ごろ袖で待機している二人に思いを馳せた。

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