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具体的にどうしたらいいかなんて分からないのに、「経験を積みたい」って言い方をしたのが悪かったのかなぁ。
パッチリ目を覚ました状態でも俺は同じように言ってたと思うから、寝ぼけてたっていうのは言い訳にならない気がしてきた。
「…………っ」
「…………」
その時、向かい合った俺と恭也がどちらからともなく丸めてた背中を正した。扉の向こうで、ここに向かって駆ける足音が聞こえたからだ。
「すみませーん! あと十分ほどお時間いただいてよろしいですか!?」
慌ただしい三回のノックのあと、ガチャッと扉を開けた編集部の女性がすまなそうに顔を出す。
俺と恭也は、「分かりました」と息ピッタリに声を合わせて返した。女性はそんな俺たちを見てクスッと笑い(なぜ?)、パタンと扉を閉じる。
込み入った話の最中だから、十分と言わず何分でも待ってられそうだ。そう思ったのは恭也も同じだったんじゃないかな。
女性の足音が遠のいてくと、恭也は背中を丸めてすぐに話を戻した。
「あのさ、葉璃。セナさんは、葉璃が浮気したいって言ってるんだと、誤解したんじゃない?」
「……そういうことだと思う……。めちゃめちゃキレてたから……」
「だよね。俺でも、そう思うもん」
「…………」
恭也は、昨日の聖南みたいに怒ってはいないけど、俺の失言に濃い苦笑を浮かべたまま諭すような言い方をした。
誰が聞いてもそう捉えられるってことに、聖南と恭也に咎められるまで気付かない俺っていったい……。
「俺も、ヤダよ。いろんな経験したいって、恋人から言われたら、〝俺で満足してないってこと?〟って、怒っちゃうかも」
「そ、そんなつもりじゃなかったんだけど……」
「葉璃はね、特に、そんなこと言っちゃダメ。すぐ叶っちゃうから」
「か、叶っちゃうって……」
そういえば聖南も、似たようなことを言ってたような。
恭也の苦い顔を見ながら、俺は昨夜仲直りしたあとの事を思い出した。
『葉璃、よそであんなこと絶対言うなよ』
『えっ……』
『えっ、じゃない。葉璃がそんなこと言った日には、次から次に誘いがくる』
『さ、誘い? 何の誘いですか? ……ごはん?』
『違う!! 夜の相手、つまりセックスだ!』
『えぇっ!? 俺男ですけど!』
『ンなの関係あるか! この俺が骨抜きにされてんだぞ! 葉璃は魅力的って言葉じゃ足んねぇ存在なんだ! 経験積みたいなら俺が相手してやる、とか何とか言って下心だけで近付いてきたと思ったら、結局どんな野郎も葉璃にメロメロになって一夜限りじゃ収まんなくなるんだ!』
『…………っっ!?』
聖南は、抱き枕にした俺をぎゅぎゅっと抱きしめて、『マジで心臓に悪い……』とぼやいてた。
俺が「経験を積みたい」って言うと、ごはんの誘いじゃなくて、エッチの誘いがくるらしい。
……って、言われても。どういう事? と首を傾げるから、俺は〝よそで言っちゃダメ〟なんだ。
「すぐに叶っちゃうよ、葉璃は。いろんなことを教えてくれる人、いっぱい出てくる。葉璃なら、今日にでも見つかっちゃう」
「えぇっ? なんで?」
聖南にも言ったけど、俺はれっきとした男だ。
ちょっと女顔してて、チビで、線が細くて、〝とても男には見えない〟とたまに悪口言われたりするから、世間的に見たら男っぽくはないかもしれないけどさ。
世の中にはどれだけ美人な女性がいると思ってるの。タイプは違えどみんな綺麗で、自分に自信を持ってて、好きな人のために綺麗であろうとする可愛い人たち。
対して俺なんか、石ころだよ。水辺に落ちてる、すでに磨きようが無いつるんとした丸い石ころ。
……ね、比べものにもなんないよ。
「葉璃。本当に、分からない?」
「えぇ……分かんないよ、そんなの」
俺が顔を顰めると、おもむろに恭也が立ち上がった。
なになに、と見上げた俺に、恭也の顔がズイっと迫る。そしてドラマのワンシーンみたいに、耳元でこう囁かれた。
「葉璃が魅力的だから、だよ」
「えっ……」
「分からないって、それ本気で言ってるの? そういうこと言うのも、やめた方がいいよ? 敵が増えちゃうからね?」
「…………っ!?」
待って、どういう事? ほんとにどういう事?
狼狽える俺の首筋を、恭也がなぞった。
くすぐったさにゾクゾクっと体を震わせると、フッと笑われてさらに意味が分からない。
「ちょっ、恭也……っ!?」
「遊ぶにしても、知らない人はダメだからね。経験積むなら、俺にしてね。二番手は、俺でしょ?」
「はっ? えっ? んっ!?」
饒舌すぎる恭也が、俺の知らない顔をしていた。
ホントに何かのワンシーンを演じてるみたいに、俺を惑わせるセリフを言った恭也が突如「プッ」と吹き出す。
肩を揺らしながら着席して、頭のテッペンから湯気が出ていた俺の鼻先をツンと押した恭也は、続けて「これだもんなぁ」と笑った。
「ふふっ……冗談だよ。相手が俺でも、そんな顔、してくれるんだもん。セナさんは、すごく心配だと思うよ。あんまり、セナさんに心配かけちゃダメだよ、葉璃?」
「…………」
いつもの恭也に戻ってくれて、ホッとした。
たった今目の前に居たのは、去年恭也が出演した映画の中のチャラい間男だったから……緊張しちゃったじゃん。
恭也のイメージに無いその役が、演技力も相まって見事にハマってた。おかげで恭也は俳優としての名を揚げたんだけど、その人がいきなり現れるとは思わなかった。
……あ、……そうか。
こういうシチュエーションにも慣れてない俺が「経験を積みたい」なんて、偉そうなこと言うなって、そういうことか……。
チャラい間男になりきってそれを教えてくれたんだ、恭也は。
すごい。さすが恭也。
これで恭也は聖南寄りの考えだってことがハッキリしちゃったけど、バカな失言をちゃんと注意してくれる貴重な存在に、俺も素直にならざるを得なかった。
「うん。そうだよね。俺が経験を積みたいだなんて、そんなの百億万年早いってことが分かった」
「……え?」
うんうん。そうだよ。
やっぱりもう一度聖南にも謝らなくちゃ。
石ころのくせに、俺は身の程知らず発言を連発してたんだもん。
そりゃあ怒るよね。
恭也が「違う、どうしよう、葉璃全然分かってない」と険しい顔で呟いてたけど、大丈夫。
ばっちり思いは受け止めたよ。
話を聞いてくれてありがとね、恭也。
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