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明日の撮影に、コンクレの広告塔である満島あやさんが見学に来る── この知らせをアキラさんから聞いたという聖南は、深夜に帰ってくるなりカンカンに怒っていた。
その怒りはもちろん、俺にじゃなくて── 。
「マジで何してくれてんだ、コンクレは!!」
玄関まで出迎えに行った俺を抱きしめてくる強さが、尋常じゃなかった。
「ふぎゅっ」と変な声を上げると離してくれたけど、聖南がめちゃめちゃ怒ってるのは吊り上がった目で嫌ってほど分かった。
「せ、聖南さん、落ち着いて……!」
新妻よろしく聖南が脱いだコートを預かって、一緒に洗面所に向かう。聖南はプンスカ怒りながらも、帰宅後のうがいと手洗いは忘れない。
その間に、俺は聖南のコートを衣装部屋にしまいに行く。そこは開けた瞬間に聖南愛用の香水の匂いがして、「仕事に行かなきゃ」と気持ちが急ぐのと同時に不覚にも毎回うっとりしてしまう。
「へへっ……いつ来てもいい匂い……」
スンスンと鼻を鳴らして聖南の匂いを堪能する。ただ、聖南が居ない時だと寂しくなっちゃうから、俺がここに入るのは絶対に聖南がお家に居る時だけって決めてる。
家の中でも俺の姿を探す甘えん坊な恋人は、それをあんまり良しとはしないんだけど。
「……ちゃーん、葉璃ちゃんどこ行ったー?」
あ、聖南が俺を呼んでる。
苦いうがい薬でガラガラうがいをした聖南が、いい声で俺の名前を呼びながら家の中を探し回ってる。
「ここですよ」
寂しがりで甘えん坊な大きなワンちゃんをイメージしながら、俺は衣装部屋からヒョコっと顔を出した。
すると寝室の扉を開けようとしてた聖南が振り返ってきて、「そこに居たの」と目尻を下げた。
迷わず近寄ってきた聖南に押されるようにして、俺は衣装部屋に舞い戻る。
「聖南さん。夜中なんですから、そんなに大きい声出しちゃダメですよ」
「俺がうがいしてる間に勝手に居なくなった葉璃が悪い」
「聖南さんのコートをしまってたんですよ」
「……それはありがと」
「ふふっ……」
さりげなく俺の腰を抱いて、いじけた表情で見下ろしてくる聖南は今日もカッコよくて可愛い。
帰ってきた瞬間、俺に飛びついてきてプンスカ怒ってたからどうなる事かと思ったけど……少しは気が逸れたかな?
言いにくいことを抱えてる俺は、聖南の前に回って意味深に見上げてみる。あんまり日常的には使いたくない最終兵器で、機嫌を窺うように聖南の瞳を覗き込んだ。
うっ……カッコいい……!
勝手に見つめたくせに、聖南に熱い視線を向けられた俺は秒で撃沈しそうになった。
深夜まで続いた仕事終わりでも、聖南は疲れてる様子をあんまり見せない。心にダメージを受けた日だけはゲッソリしてるけど、大体はこんな風に〝あと二徹はいけるよ!〟って平気で言っちゃいそうなくらい元気。
「……葉璃ちゃん。俺単純だからさ、そんなにかわいー瞳で見つめられたら勃っちまうよ」
「えっ……!?」
軽口なのか本音なのか、感情が分かりにくい無表情の聖南が俺の腰を引き寄せた。
身を縮ませて心臓をドキッとさせた俺を見て、聖南は喉の奥でククッと笑う。
むぅ……また揶揄われた。こうやって軽率に、しかも不意打ちでドキドキさせてくるのホントにやめてほしい。
レイチェルさんのことを伝えた時、ちょっとでも怒りのボルテージを下げておかないと俺じゃ聖南を止められないかもしれない、って心配だったから機嫌がよくなったのはいい事だけどさ。
明日のことですでにこんなにプンプンされてちゃ、話すタイミングを間違えたらとんでもない事になりそうなんだもん。
「ま、それは冗談として。……葉璃、大丈夫か?」
「え?」
俺の髪を、聖南がふわっとかき上げる。
声に優しさが戻って来た。
聖南はただ俺を心配してくれてるんだって、ちゃんと分かってる。
満島あやさんが見学に来ると聞かされた時、俺はたしかに戸惑ってしまった。
でも来ちゃうもんはしょうがないし、アキラさんが「気負わなくていい」って言ってくれたし、何より勢揃いするらしい心強い味方の存在があれば乗り切れると思う。
だって俺は、本番前はいろんなことにビクビクして、いつも通り隅っこでイジイジしてるかもしれないけど、本番になったら周りが見えなくなっちゃうから……。
「なぁ葉璃。そんな不安そうな顔するくらいなら、明日ドタキャンしてもいいよ? 後処理なら聖南さんが何とかするよ?」
「えぇっ!? ドタキャンなんてしませんよ! そんなの絶対ダメです!」
「いやマジでそのレベルなんだって」
衣装部屋から俺を連れ出した聖南が、キッチンでコーヒーを淹れ始めた。
こんな事、毎日の日課になった帰宅後のブレイクタイムにするような話じゃない。おまけに聖南は、その立場を利用して俺を悪の道(?)にそそのかしてくる。
「葉璃の性格を理解した上でオファーしたって言ってたんだぞ? 商品キャッチコピー、葉璃も聞いたろ?」
「はい、えっと……〝僕を、私を、大胆にさせる〟……ですよね」
「そう! 舞台裏では緊張しぃな葉璃が、ステージの上ではそんなの一切見せないで舞うように踊るところが美しいと思った、そのどっちも〝ハル〟の素なんだとしたら、まさに商品イメージと合致する……向こうのオファー理由が明確だったから俺はOK出したのに」
淹れたてのコーヒーに口をつけながら、〝セナ〟の顔で不満を口にする聖南の口調は落ち着いていた。
「葉璃も飲む?」と問われて、首を振る。その代わりに俺は、冷蔵庫からお水を出して飲んだ。
「気になるんじゃないですか? 俺みたいなのが起用されて、「なんで私じゃないの」って。そう思うのも仕方がないと……」
「その問題提起なら俺が事前にしてる。満島あやが不満訴えてきたらどうするんだって」
「えっ、そうなんですか?」
「当たり前じゃん! 葉璃はよーーく知ってると思うけど、この世界は嫉妬の感情で溢れてる。仕事を取るか取られるか、戦々恐々としながら業界で生き残る術を見出そうとしてる奴らばっかだ。葉璃はオールラウンダーだからそういう感情を抱かれやすい。せっかくLilyの一件が片付いたのに、また問題発生して葉璃が傷付くのはゴメンだったんだよ」
そ、そうだったんだ……。そんなの全然知らなかった。
他人事みたいに、俺は無意識に「さすが聖南さん……」と呟いていた。
聖南は、俺がCMに抜擢された事で満島さんサイドが不満を感じるかもしれないって、オファーが来た時点でこういう事態を想定してたんだ。
まだたった二年ぽっちの芸歴の俺ですら、この業界に渦巻く嫉妬の感情は何度も見てきた。
俺を心配して策を講じる前に、聖南は事前に話をして、納得したうえでオファーを受けた。
それなのにコンクレ側が満島さんの見学を許したから、聖南はあんなにプンプン怒ってたんだ。
「コンクレはなんて言ってたんですか……?」
「うまくこちらで対処しますって。それじゃ曖昧だから、ハッキリここでどう対処すんのか教えろって言った」
「……それで?」
「不満を抱かれないよう、次の仕事の約束をするんだと。満島あやには、契約を二年延長してコンクレの広告塔としてまだまだやっていってもらう……そう言ってた」
「…………」
「それでも抑えらんなかったって事なんだろうけどさぁ……見学ってなんだよ。まんまと騙されやがって……」
〝見学とは名ばかりの牽制じゃん〟
この話を知ったみんなと同じことを、聖南も溢した。飲み慣れたお気に入りのコーヒーを、とっても苦い顔で不味そうに飲んでる。
「あの……アキラさんも言ってたんですけど、やっぱりこういう事は異例なんですか?」
「異例も異例。こんな話聞いたことが無え」
「そっか……そうなんですね……」
聖南もアキラさんも、今回ばかりは俺に気を遣ってるようには見えなかった。
実際はよくある話で、俺が萎縮しちゃわないように反感を生ませて乗り切らせようっていうお兄さんたちの魂胆かと思ったら……どうやら違うみたいだ。
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