どちらからともなく、リビングの方に移動した。 　相変わらずコーナーソファの角が好きな俺が腰掛けると、マグカップ片手にピタッと寄り添ってくる聖南。 　ごくごく自然に隣に来てピタリと密着され、サラッと肩を抱かれた俺はたったそれだけでキュンとした。 　常に目の届くところに居なきゃならないし、こうしてまどろんでる時はどこかが触れてないと気が済まない聖南に、俺も慣れちゃったもんな。 　まだシャワーはおろか部屋着にも着替えられてない聖南を気にしてる俺だけど、重要な話の腰を折るわけにも、大事なスキンシップの時間を取り上げるわけにもいかない。 「葉璃、事務所でアキラと会ったんだよな。何か言ってた？」 　俺の方を向きながら、聖南が長い足を組んだ。 　アキラさんなんて言ってたっけ……と昼間のことを思い返す俺は、天井でくるくる回るシーリングファンを見上げた。 「えっと……コンクレ側が満島あやに便宜を図ってるとしか思えない、事情が事情だから気になるのは分かるけど普通は拒否すべき、あとは……俺に励ましの言葉をいくつか」 「そうなんだ」 　事務所に用があったというアキラさんが、どうしてちょうどよくあそこにいたのかは分からないけど、事情を知って唖然とした俺を元気付けてくれたのは確かだ。 　しかも、俺からは言いにくいだろうって気を回して、アキラさんから聖南に話を通してくれた。 　少し強面だから怖がる人が多いけど、アキラさんはいつでも、俺にとっては優しいお兄さんだ。 「まぁ、今日のうちに情報入って良かったよ。葉璃も心づもりが出来るし、俺も葉璃のフォローが出来る。ドタキャン、しねぇんだろ？」 「絶対しません！！」 「あはは……っ！　おいで葉璃ちゃん。ぎゅーしよ」 「えっ、……はい」 　今ってハグする流れだったのかな。 　テーブルにマグカップを置いた聖南が両腕を広げたそこに、俺はいきなりで照れつつも収まりに行く。ぎゅっと抱きしめられて聖南の匂いに包まれた瞬間、幸せな気持ちと少しの緊張が湧き上がった。 　こうやって優しくぎゅーされるの、好きなんだけどな。 　いつまで経っても慣れない。 「葉璃、今の気持ちは？」 「い、今の気持ち……ですか？」 「そ。満島あやが見学とは名ばかりの牽制しに来るわけじゃん。ビビってる？」 「んー……」 　顔を覗き込まれて、薄茶色の瞳にドキッとする。 　ビビってるかどうかを聞かれてるのに、聖南から見つめられてる方が緊張するって言ったら、たぶんものすごく笑われちゃうんだろうな。 　だから俺はすごく真剣な表情で、真面目に答えた。 「あの……実は、皆さんが心配してくれるほどはそんなに……」 「あはは……っ、そうだと思ったよ」 「えっ？」 「俺がキレてんの見て引いてたから」 「ひ、引いてなんか……っ」 　昼間にその事が分かってからの俺がビビっちゃったのは、ほんの少しの間だけだった。 　あの場にはアキラさんが居て、恭也もルイさんも林さんも居た。撮影自体はやりづらいかもしれないし、最中も俺が満島さんの視線を意識しないわけはないんだけど、なんだかそこまで思い詰めるようなことでもないって思えちゃってる。 　ていうか俺は、これから聖南がコンクレに対してよりもっとプンプンしちゃいそうな話をしなきゃならないんだ。 　どちらかというと〝引いてた〟んじゃなく、〝これ以上の怒りを俺が抑えられるのか〟が不安だったりして。 「葉璃は土壇場に強えから大丈夫。恭也とルイは序盤からついててくれるらしいし、スタッフも成田さんも林も居て、俺らも夕方までには全員揃う。あぁ、社長も来るって言ってたな。周りは固めてやっから心配要らねえ」 　俺とのぎゅーっでご機嫌になった聖南は、ニッと八重歯を覗かせた。 「はい、……ていうかそれ、アキラさんも同じこと言ってました。それで俺、不安に思わなくなったんですよね。皆さんスケジュール動かしたって聞いたから申し訳ない気持ちでいっぱいなんですけど、その分がんばらなきゃって」 「なんだよチクショー……二番煎じかよ。でもま、その情報知ってすぐ俺に報告してくれたのはアキラだし、ここは花持たせとくか」 「……今の、もしかして心の声じゃないですか？　聖南さん全部言っちゃってましたけど……」 「悔しいんだよっ。同じ意見なのに最初に言ったアキラの方がカッコいいと思ってんだろ、どうせっ」 「聖南さん〜！　いじけないでくださいよーっ」 　普段は前向きでポジティブな聖南なのに、俺のことに関してはネガティブになっちゃうの何なんだろう。 　二番煎じ、だなんて。 　聖南がアキラさんと同じ意見だからこそ、俺はもっともっと明日への勇気が湧いてくるのに。 「葉璃ちゃん、もっとぎゅーしろ」 「ふふっ……。はい、ぎゅー」 「まだ。全然だめ。もっとだ」 「ぎゅーっ！」 「まだまだ。このくらいやってくんなきゃ」 「むぐっ！！？　ぐ、ぐるひぃでふっ、聖南はんっ！！」 　容赦ない広い背中を、俺も遠慮無くバシバシ叩いて抵抗した。 　ヤバイ……力加減を知らないいじけた聖南から、締め殺されるところだった。 　筋力と体格の差を考えてほしい。 　俺のお尻がソファから浮いちゃうくらい抱きしめて、そこで初めて聖南は満足するらしいけど……熱烈なハグは俺の命が危うくなるんだよ。 　ドキドキするし、心臓がキュッて痛くもなるし、リアルに呼吸が出来なくなって一瞬気を失いかけるし。 　今はキスを迫られなかっただけ、まだ良かった。 　唇が触れ合っちゃうと、聖南はあっという間に毛並みのいい大きなワンちゃんからネコ科の獰猛な獣に変身してしまう。 　── あ、マズイ……。 　俺が呼吸を整えてる隙に、マグカップのコーヒーを飲み干した聖南がペロッと舌なめずりした。 　明日は撮影だから〝しない〟は、聖南にはきっと通用しない。 「あ、あのっ、聖南さん！　お風呂どうぞ！」 　ギラついた目が向けられる前に、俺はスッと立ち上がってバスルームを指差した。突然の行動に、聖南が俺を見上げて「ん？」と小さく首を傾げる。 　やらしい雰囲気になると、俺はほぼ確実に流されちゃうもん。 　聖南風に言うと、〝先手を打った〟だけだ。 「なんだ急に。……って、もしかしてお誘い？　えっ、いいのか？　明日撮影あんのにっ？」 「えぇ！？　いや、違います！」 　あぁ、しまった！　そういう意味でお風呂をすすめたわけじゃないのに！ 　勘違いした聖南の、このとびっきりの笑顔。 　俺からエッチを誘われたと無邪気に喜んでる聖南の背後に、大きく左右に激しく揺れるフサフサの尻尾が見えた気がした。 「葉璃ちゃんから誘われんの慣れねぇ〜！　いつ何時でもドキドキすんなぁ♡」 「ご、ごめんなさいっ！　そうじゃないんです、今日は！　今日はダメです！　えっと……っ」 「ん……？　今日はだめ？」 「ダメです！　エッチはしません！」 「しませんって……そうキッパリ断られると凹む……」 「えっ！？　あぁっ、いや、ごめんなさい！」 　待って待って！　勘違いで大喜びさせちゃったのは悪いと思ってるけど、そんなに凹まなくても……！ 　聖南のニッコリ笑顔が、途端にいじけ顔になった。そしてしまいには項垂れて、ガックリ肩を落としてしまった。 「聖南さん、ごめんねっ？　俺ホントにそういうつもりじゃなくて、あの……大事な話っていうかすごく重要な話があって……とにかくゆっくりお話したくて……っ」 「大事で重要な話？　何？　そこまで言われると気になるよ」 　はぁ、としょんぼりなため息を吐いた聖南が、ゆっくり立ち上がる。 　俺の二十センチ上から不満タラタラな視線が降ってくるけど、俺は負けない。 　ぬか喜びでガッカリさせたついでに、この勢いで意地を通させてもらう。 「あとで話します！　俺は先にベッドに行って待ってるので！」 「ベッドに行って待ってるって……誘われてるようにしか聞こえねぇんだけどなー」 「ごめんなさい、今日はホントに違います！」 「なっ……分かったからキッパリ拒否るな！　聖南さん傷付いた！」 　そう言い捨てた聖南は、俺をじっとり睨んでリビングを出て行った。 「あ、……」 　いつもだったら飲んだらすぐに洗うマグカップが、テーブルにそのまま置いてある。 　聖南、俺からのエッチのお誘いじゃなかったのがよっぽどショックだったんだ。 　でも、六つも年上の、しかもトップアイドル様があんないじけた表情しちゃいけないと思うんだけどな。 「ふふっ……」 　まったくもう……俺のアイドル様ってば、つくづく可愛い人だよ。