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二人は先輩後輩なのかな。
口振りからして背の高いポニーテールの女の人が先輩で、ショートボブの小柄な女の人が後輩……。って、今はそんな事どうでもよくて。
満島さんが時間より早く来ちゃったなら、尚さら早くスタジオに向かわなきゃ。
「あ、あの、……」
気まずい会話をしてる最中だったけど、俺は意を決してカーテンの隙間からチラッと二人を覗いた。
その気配を感じたのか、すぐに先輩社員さんと後輩社員さんが気付いてくれる。
「あっ! ごめんなさいね、ハルさん。満島さんがいらっしゃる事、知らなかったんじゃない?」
「やりづらいですよね」
「い、いえ……」
俺が気まずそうな表情してたのは、そういう事じゃないんだけどな……。
満島さんが来てることより、それを許可した会社の部下が不満そうだってのは、身近に似たような話がつい最近あって何だかより気まずい。
「満島さんが見学に来ることは、昨日のうちに聞いてましたから……別に、あの……」
「そうなの。本当に、私たちにも寝耳に水な話でね。急遽決まったことだったんですよ」
「まさか本当に来るとは思わなかったですよね」
「……急遽決まった……?」
試着室から一歩出ただけの俺の身なりを、両サイドの先輩後輩さんが整えてくれている。
それはいいとして、ちょっとだけ不満そうな二人が俺を会話に巻き込み始めた。
納得いかないと聖南がプンプンしてた件だったから、俺はつい、その話題にまんまと釣られてしまう。
「満島さんたっての希望だったらしいんだけど、普通はお断りするのが筋じゃないですか。でもうちの広報部のトップが満島さんと知り合いだか何だからしくて、断れなかったらしいんです」
「コンクレのCM起用もコネだって噂なんですよ、満島さん」
「ちょっ、あ、あの……っ、あんまりそういう事は、俺に言っちゃダメな気が……!」
釣られといて何だけど! そこまで教えてくれなくていいのに!
わわわ……っ、俺絶対よくない事聞いちゃったよね……!
コンクレの広報部のトップが満島さんと知り合い、CM起用もコネかもしれない、だなんて……。
それは噂じゃなくて、たぶん事実だと思うし……。
そうでなきゃ、この仕事にOKを出した聖南の顔を潰すような真似しないもんな……。
コネは使ってなんぼだって、俺は今もそういう考えだから別に何とも思わないけど……社員さん達はいい気しないよね……。
視線だけをくるくる泳がせて急いで会話を止めたけど、こういう事はどこの組織にもあるんだなって背筋が寒くなった。
手のひらの汗は尋常じゃないけど。
「あらやだ、本当よ。ごめんなさい、無駄話ばかりして」
「ハルさんって何だか話しやすいんだもん! 弟に愚痴ってる感覚になっちゃった!」
「こら、弟だなんて。ハルさんに失礼よ」
「あぁっ、いや、失礼とかでは全然ないんですが、俺は今ものすごく聞いちゃいけないことを聞いちゃった気がするので、き、きき聞かなかったことにします!」
震える声でそう言うと、俺は一目散に扉へと急いだ。
撮影が押したら大変だ。
楽屋を出て一直線にまっすぐ行った先がスタジオ。丸一日お世話になるスタッフさん達を待たせちゃいけないと大股で進む俺に、またしても通路を歩いてる人たちから頭を下げての挨拶をもらった。
一心不乱にスタジオを目指す俺は一人一人に返す余裕が無くて、背中を丸めてお辞儀をしながら「どうも」、「よろしくお願いします」、「おはようございます」の三つを絶えず呟いて失礼の無いようにした。
そしてとうとう、厳重で分厚いスタジオの扉前に到着した。
新入生と間違えられたら回れ右しよう、そんなバカな事を思いつつ、重たい扉を押す。
「え、ETOILEのハルです……! 今日はあの、よ、よろしくお願いします!!」
スタジオ内に足を踏み入れて早々、俺の精一杯の大声で挨拶して、体を二つ折りにする。そうすると、いろんな方向から「よろしくお願いしまーす!」と返事が返ってきて、すでに一仕事終えたような気になった。
これまで各所の収録で培った作法を忘れずにやり遂げた俺は、手招きされたカメラマンさんのところにヨロヨロと向かう。
今のところ、どの現場でも聖南直伝の作法は効果抜群。毎回、気持ちよく迎えてくれて仕事に入りやすくなるんだ。
主役が現れると、様々な音や声で賑やかなその場のボリュームが一旦小さくなる。その隙に、スタッフさん全員に届けるつもりでスタジオ内で働くみんなに向けて挨拶をすれば、嫌な顔をする人はまず居ないって聖南は言ってた。
挨拶は基本中の基本だから、どんなに緊張してようがそこだけはがんばれって念を押されている。
先輩〝セナ〟からのありがたい助言の一つだ。
「── それじゃハルくん、はじめようか。準備はいい?」
「は、はい……っ」
ホントは全然よくなかったけど、チリチリパーマのカメラマンさんが熊みたいに大きな男の人で圧倒されてしまった。
聖南もかなり背が高い方だけど、ここまで筋肉ムキムキじゃないから威圧感はそんなに無い。……いや、俺は慣れちゃってるから大丈夫なだけで、みんなは怖いのかもしれない。
だって俺、このカメラマンさんにはめちゃくちゃビビっていた。
スタジオ内のセットの中で、俺はただ右を向いたり左を向いたりするだけなのに、熊さんの指示がものすごく細かったんだ。
物腰は柔らかくて、怒られてるような感じではない。
きっと、仕事に対してストイックな人……なんだ。
〝右斜め上、十五度〟
これを一発で理解できる人は居ないと思うけど……。
「椛島さん! ハルくんのメイク直してあげて! 天下のコンクレ商品でもメイクの腕が悪けりゃ品質疑われちゃうよ! それから瓜生くん、もう少し照明何とかして! ここぞという時にMAXにするんだよ! あと風! 風担当誰!? タイミング最悪! いちいち言わなきゃ分かんないかなぁ!? あと……」
衣装替えの間のわずかな休憩時間に入ると、毎度熊さんの怒号が飛ぶ。張り詰めた緊張感が緩む間も無い。
怒鳴り声を聞きたくない俺はそそくさとスタジオをあとにするから逃げられるけど、逃げ場の無いスタッフさんはすでに疲労困憊なんじゃないかな。
……って、実は俺もそうだったりする。
カメラの向こうにはスタッフさんがたくさん居るよね?
ドキドキしてるばっかで、やらなきゃスイッチが故障してたらどうしよう?
満島あやさんが見学とは名ばかりの〝牽制〟に来てる?
……そんなの、どれも気にする余裕なんか無かった。これぽっちも。
まるで、俺と熊さんが一対一で撮ってるみたいな錯覚に陥るほど、とにかく撮影のみに集中させられた。
首や顎の角度、肩と腕の位置、視線と指先の動かし方、果ては歩き方まで徹底的にこだわる熊さんの要求を、俺がこなすには難しくて難しくて……。
「うぅ……っ!」
お昼休憩を取らせてもらえなかった代わりに、今回の衣装替えという名の小休憩はなんと三十分も頂いた。
助かった……! 衣装替えとメイク直しを十五分でやれだなんて、鬼みたいな指示だったもん……!
俺は恭也たちの居る楽屋の方に迷わず入って、行儀悪くドテンと冷たい床に寝転んだ。
汚いとか、固いとか、そんなのもう何にも気にならない。
恭也とルイさんから口々に「大丈夫!?」って声を掛けられるけど、瞼が重くて開かなかった。
はぁ……床最高。このまま寝ちゃえそうだ。
横になるだけで体力回復。これも〝セナ〟に教わった、多忙を乗り切るためのコツ。
あぁ、そうだ。熊さんも、ちょっとでいいから横になって休憩した方がいい。
俺には怒らないけど、スタッフさんには遠慮なく怒鳴ってたもん。
照明の熱のせいでカッカしてるんだ。
忙しいと周りが見えなくなって、くるくるパーになっちゃうから危ないのに。
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