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47♡日常
♡ ♡ ♡
── しばらく……別居しようと思う。
聖南にこう打ち明けられた時、俺はそこまでビックリしなかったし、ガーンと絶望する事も無かった。
レイチェルさんと出くわした時、面と向かって俺に聖南への好意を匂わせてたから。
明らかに俺と聖南の関係を知ってる口振りで、何か裏がありそうな気配がムンムンだったから。
なんとなくそんな気がしてた。
俺、このまま聖南と暮らしてたらものすごくマズイ事になるんじゃないの?
隣に住んでるという建前以上の証拠を握られてるとしたら、言い訳は通用しないよね?
だったら……俺が出てくしかないじゃん。
事実をそのまま世間に流されちゃ困るんだよ。だって俺は、聖南の未来を壊すために一緒に暮らしてるんじゃない。
ただ、同棲解消は最終手段だろうと思ってた分、ちょっとだけ寂しい気持ちにはなった。
でも……言えなかった。
俺の「寂しい」の一言で、聖南は非常事態で泣く泣く切り出したはずの別居案を簡単に変えてしまうでしょ。
聖南がそう決めたってことは、俺が思ってるより遥かに事態は深刻なはずで、その最終手段を覆えさせちゃいけない。
ぐるぐる悩んでたらダメだ。二人でしょんぼりしてたら、状況は悪化するだけ── 。
聖南の表情を見てたら、俺に切り出すのをどれだけ躊躇ったか痛いほど分かった。
だから俺は、俺らしくなくプラスに考えるしかなかった。
今まで何回も聖南を困らせてきた俺は、やっと学んだんだ。
俺が聖南を守る方法。
それは、「逃げる」じゃなく「受け入れる」ことだって。
♡
聖南が俺との別居を切り出した大きな理由は、二つ。
一つはレイチェルさんの件。
もう一つは、密着取材の仕事が入ったこと。
スタッフさんがどこまで聖南のプライベートに踏み込んでくるか分からないから、俺の存在を匂わせないために遠ざけておきたい……そういう意味だったんだと思う。
CROWNの新曲発売やツアー時期に合わせて毎年必ずオファーがあったらしいんだけど、聖南は一度もこの仕事を受けたことがないんだって。
付きまとわれるのが嫌だからっていういかにも聖南っぽいNG理由だったのに、どうして今年は受けることにしたのか、俺はまだ……実はよく分かってない。
「えっと……荷物は全部あっちに送ったし、鞄も持った。あと忘れ物はないかなー」
「…………」
独り言をぶつぶつ言いながら、念には念をでぜんぶの部屋を見て回る。
いくら恋人居ます宣言した〝セナ〟の部屋だからって、お揃いのマグカップとか、色違いの歯ブラシとか、ベッドに並んだ二つの枕とか、あからさまな恋人の痕跡は残してちゃいけない。
荷造りしてて思ったんだけど、ここに引っ越してきた時には無かった物がこの九ヶ月の間にたくさん増えていた。
お揃いのだったり、色違いだったり、聖南が俺のためにって色々買ってくるからだ。
その中でも一番増えたのは、洋服。
俺に似合いそうだと思ったら、スタイリストさんやショップの店長さんに話を通して一式揃ったものを買い上げてくる。それも、結構な頻度で。
おかげで俺は、毎日違う服を着ても追いつかないくらい衣装持ちになった。
さすがにそれらを家に送ってもしまうところが無いから、一切使われることのない隣のお家に一時的に非難させてもらっている。
その他、持ってきたものはぜんぶ実家に送った。今鞄に入ってるのは、寝室に置き忘れてた俺用の目覚まし時計と、財布、スマホだけだ。
「……うん、大丈夫そうかな」
リビング、キッチン、寝室、衣装部屋、洗面所、俺が使う場所を順番にチェックして、玄関へと小走りで向かった。
急がないと、もうすぐテッペンを回っちゃうもん。
ボディガードよろしく無言で俺の背後をついて来ていた聖南は、明日も早くから仕事だ。
実家に送ると言って聞かない心配性な恋人は、とても快く見送ってくれそうな風貌ではないんだけど。
「それじゃ聖南さん、ホントに……お世話になりました」
「…………っ」
靴を履いて振り返る。
ペコっと頭を下げると、腕を組んだ聖南が目を見開いてムスッとした。
「ちょっ、その言い方だと二度と戻って来ねえみたいじゃん!」
帰って来て一言も発さなかった聖南がやっと口にしたセリフが、これだ。
ちょっと不貞腐れたような声に、毅然としてたかった俺も少しだけ怯んだ。
「い、いや……そんなつもりは……」
「てかお世話してねぇし! どっちかっつーと俺の方が世話になってたし!」
「えぇっ? そんなことないです。何から何まで、聖南さんにはお世話になりました」
「だーかーらーっ! 頼むからそんな言い方しないでくれ!」
「わわっ……!?」
業を煮やした聖南から、勢いよく抱きつかれた俺は「グェッ」と変な声を上げてしまった。
毎日こうやって抱きしめられてはいるけど、今日は一段と力が強い。
〝今日〟出て行くと言った昨日も同じように渾身の力を込められたから、俺が出てくことを聖南本人が納得してないんだってことがよく分かる。
「葉璃〜……」
でも俺は、聖南の重荷にはなりたくない。
俺が少しでも寂しい素振りを見せたら、きっと聖南をものすごく困らせちゃうもん。
だったら俺が、プラスに考えなきゃ。
聖南がどんなに寂しがってても、俺がしっかりしてなきゃ共倒れになる。今までと同じじゃダメなんだ。
逃げずに、後ろ向きにもならずに、離れてしまっても大丈夫だってことを伝えるために、肩を落として凹んじゃってる聖南に俺が掛けてあげられる言葉は何なのか、一生懸命考えた。
〝ネガティブに考えない〟は、俺にとって一番苦手なこと。
ぐるぐるの終着点が「俺と付き合ってたら聖南に迷惑ばっかりかけちゃう」になって、頭の中がパニックになりかけたのも事実だ。
そんな時にふっと蘇ってきたのは、同棲する前の日々だった。
「……聖南さん」
「……ん」
聖南の胸元に鼻を押しつぶされたまま、くぐもった声で名前を呼んだ。
返事の声は、やっぱり不貞腐れてた。
ここで俺が「今日はもう遅いんで出てくの明日にしようかな」なんて口走っちゃえば、この駄々っこみたいな聖南の機嫌も一瞬で治るんだろうけど……俺にはそんなこと、とても言えない。
先延ばしにしたら、それだけ離れるのがツラくなる。
明日も、「明日」にしたくなる。
寂しいのは聖南だけじゃないよ。
今から実家に帰る道中も、お家の前でバイバイして聖南の車を見送る時も、気を張ってなきゃ俺は絶対に泣いてしまう。
「……いえ、なんでもないです……」
「じゃあ呼ぶな。期待しちまったじゃん」
「…………」
すみません、が言えなかった。
むぎゅっとさらに強く抱きしめられて、何秒か呼吸が出来なかったからだ。
聖南は「明日」を期待してる。
もっともっと寂しさが増すって分かってるのに、「今日」じゃなくてもいいんじゃないか。いっそ別居なんてやめちまおう……聖南がそう言い出すような気がして、俺はそっと、背中に回していた腕を下ろした。
大丈夫。
きっと、大丈夫。
一緒にいることに慣れちゃってたから、はじめは少しだけ苦しい毎日を過ごすかもしれない。
当たり前だったことが急に失くなって、切ない気持ちにもなっちゃうかもしれない。
だけど、我慢してたらその分良いこともある。
小さなことでドキドキしたり、ワクワクしたり、出番前みたいな緊張で手汗をたっぷりかいたり、聖南と見つめあうのに慣れなくていつも天井のシーリングファンを見上げてたり、甘酸っぱい経験がまたできると思ったら、楽しみなのも本当なんだよ。
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