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 聖南の顔が険しい。  不機嫌じゃないのは、雰囲気で分かる。でも、大好きな眼鏡姿で運転してる横顔はいつも以上に話しかけづらい。  玄関を出る時、聖南は「まだいいだろ?」ってすごく渋ってた。エレベーターまでのピカピカの通路を歩いてる時なんて、具合でも悪いのってくらい足取りが重かった。  運転席に座って眼鏡を掛ける時も、まるで演技してるみたいに遅くて。俺はつい、その動作に見入ってしまった。  エンジンをかけてもなかなか走り出さない。なぜか直接じゃなく、ルームミラーから俺のことをジッと見ていた。……無言で。  そうこうしてたら結局テッペンを回っちゃって、いつまで経ってもアクセルを踏まない聖南に、俺が「やっぱりタクシーで帰りましょうか」と切り出してようやく、聖南はハンドルを握った。  出てく俺を見送りたくはないし、〝最善策〟を受け入れたくもない、でも自分で送らなきゃ気が済まない── 聖南はそう心の中で葛藤していて、今もまだ全然納得してないんだ。  こういう事は苦手……っていうかまったく経験が無いんだけど、聖南がこうなっちゃってる今、卑屈ネガティブ野郎の俺が何とかしなきゃ。  重くて硬い雰囲気をやわらげて、いっぱい他愛もない話をして、できるだけ笑顔でバイバイしたいもん。  このまま沈黙が続いたら、つられて寂しくなっちゃうよ。 「……せ、聖南さん、ホントに良かったんですか?」 「何が?」  信号待ちを見計らって声を掛けると、意外にもあっさり返事が返ってきた。  話題を決めずに喋りかけちゃったことを後悔する。  〝ホントに良かったんですか〟って、俺は今さら何を言っちゃってるの。  せっかく聖南が渋々ながらも送ってくれてるのに、捉えようによっては身も蓋も無い。  うぅ……どうしよう。何を話したらいいの。  明るい話題……明るい話題……。 「いっ、いや、あの……あれから……シてないんで……」 「あぁ……」  こんな時に言うなんて卑怯だとは思いつつ、パッと頭に浮かんだのは〝あのコト〟しかなかった。  CM撮影が終わったその日、俺は晩ごはんを食べ損ねた。ついでに言うと、朝までベッドの上に拘束された。  初めての仕事、初めての現場、初めてのスタッフさん達……と初めて尽くしでヘトヘトだった俺は、聖南からの「よくがんばったな」ですべてが報われた気がした。  出来なかったことが出来たのは、聖南のおかげだったから。  聖南にはすごくすごく感謝したし、やり遂げた達成感もあって胸がいっぱいになった。  だから別に、イヤだったわけじゃないんだよ。  ただあの日の聖南は、今まで堪えてたものが一気に爆発したって感じだった。  おかげで夕方からの仕事には遅刻しちゃいそうになるし(寝坊した)、体のあちこちが痛んでまっすぐ歩けないし(特に下半身)、気を抜いたら声が裏返っちゃうし(地声も相当掠れてた)。  思い知ったんだよね。  聖南がこの数ヶ月、ものすごぉぉく加減してくれてたことを。  甘くみてた、とも言うかな。  聖南の本気を。 「あれなぁ……。次の日までしんどかったろ? ごめんな、無理させて」 「い、いえ……聖南さんが謝ることはない、ですけど……」  しまった。  明るい話題を振るはずが、聖南に苦い顔をさせちゃった。  帰宅するなり玄関先でしゃがみ込んで唸った俺を見てた聖南は、あれからそういう雰囲気にすらならなかった。 『ごめんな、葉璃ちゃん』  それだけ言って、俺を優しく抱きしめてくれた。  いつもだったら、「葉璃がかわいすぎるから」とか「あんなに煽る葉璃が悪い」とか、俺には身に覚えのないよく分かんない言い訳をたくさん並べるのに。  思い出してみると、〝最善の策〟を俺に告げた日より前から、聖南は少しだけ元気が無かった。  〝今日〟がきてしまった今は、……わざわざ言うまでもない。  この俺が空気を変えなきゃと思わされちゃうくらい、運転中の聖南のかっこいい横顔はしょんぼりだ。 「……あのさ、葉璃が俺に言ってたけど、葉璃もいつでも俺に連絡してこいよ? 何でもいい。相談でも報告でも、俺が仕事中とか気にしなくていいから。前は遠慮して全然連絡寄越してこなかっただろ。でも今は? 俺ら、そんな遠慮する仲か?」 「い、いえ……仲良しです」 「仲良……っ、ん、そうだな。仲良しだな。じゃあ遠慮することねぇよな?」 「はい……」  堰を切ったように、聖南が喋り始めた。  明らかにいつもの陽気なトーンではないけど、饒舌な喋り口に少しホッとする。  しかも、「遠慮しないでいつでも連絡してこい」って……。  その言い回しが、いかにも年上の恋人っぽくてドキドキした。 「何にもなくても連絡して。あと……寂しくなった時は、絶対だ。我慢しないで甘えてこい。葉璃は俺に甘えなさ過ぎる」 「うぅ……聖南さん……っ」  そんなことを言って、前を向いたまま伸ばされた左手が俺の頭をポンポンする。  もう充分すぎるくらい甘えちゃってるのに、これ以上甘えろなんてムリだよ……。  優しい手のひらと、年上の恋人っぽいセリフに鼻の奥がツンと痛くなった。 「はぁ……なんかもう……マジでごめんな。俺のせいでそんな顔させちまって」  うっかり涙がこぼれちゃう直前、聖南のらしくない言葉に俺はグッと拳を握った。 「なっ……これは聖南さんのせいじゃないです!! イヤですっ、聖南さんが自分を責めちゃうのは……!」 「責めてるわけじゃねぇけど……やっぱ責任は感じるよ。俺がもっと早くに対処出来てりゃこんな事にはならなかった」 「違います!! 聖南さんがかっこいいから……っ、誰でも好きになっちゃいますよ! レイチェルさんが夢中になるのも分かります! だって聖南さんかっこいいもん!」 「……かっこいい? 俺かっこいい?」 「はい!!」  ポジティブで前向きで、いつだって頭の上に見えない王冠を浮かばせてる人とは思えない発言だ。  俺は、トンチンカンなことを言ったと思う。  でも聖南に落ち度なんてないんだから、自信を失わないでほしかった。  自分を責めないで……ほしかった。 「聖南さんは悪くないです。だって聖南さん、レイチェルさんにはちゃんとお断りしてるし、社長さんの顔を立ててることも知ってます。聖南さんが責任感じるとこ、どこにもないじゃないですか。俺は逆に、こういう決断してくれて嬉しかったです」 「……同棲、イヤだった?」 「違いますよ!!」  ほら、またこんな事言って。  俺の卑屈さが聖南に移っちゃってる。  慰めたくて言った言葉が逆の意味に捉えられてしまうことの面倒くささを、俺はこの時初めて知ったかもしれない。  ネガティブで卑屈な俺に対して、周りのみんなはいつもこんな気持ちで弁解してたのかなって思うと……苦笑いしか出てこない。  涼しい顔で卑屈になってる聖南の横顔を見ながら、頭の中を整理して、「ほんとに違います」と俺は本心を訴えた。 「そういう意味じゃないです。……俺、聖南さんを守るためにっていつも逃げてたじゃないですか」 「……うん」 「でも今回は、俺がそうならないように聖南さんが先手を打ってくれた。聖南さんを守るための別居を、聖南さんが自分で提案してくれたから、俺は……たぶん、冷静なんだと思います」 「…………」 「正直言うと、聖南さんと暮らすの……最初はすごく緊張してたし、何もできない自分にイラついたり凹んだりしてました。でも、ほんとに、ほんとに、楽しかったんです。朝起きると、毎日幸せなんです。だって、聖南さんってば俺が隣に居ないと大声で探すんだもん。俺のこと好き過ぎです、聖南さん」 「……改めて指摘されると恥ずかしいな……」 「あはは……っ! 俺がぐるぐるしないように、めいっぱい気持ちを伝えてくれて嬉しいですよ。離れることを決めてくれたのも、すごく嬉しかったです。聖南さんとのプチ遠距離恋愛、俺は楽しむ気満々なんですよっ」 「葉璃……」  だから、だから、あんまり寂しがらないで。  思い詰めないで。  聖南は何にも悪くない。  ネガティブな俺でさえ、今回ばかりは「俺は悪くない」と思ってるんだもん。  レイチェルさんのことは抜きにして、密着取材の仕事で離れて暮らす羽目になった……そう思えばいいじゃん。  仕事だったら、仕方がないんだから。  「聖南を守るため」の選択を、聖南自身が決断してくれた。  俺は、何よりも大切で誰よりも大好きな人のその決断を受け入れただけで、「聖南を守る」ことが出来てるんだ。  これって、最高に最善な策なんだよ、聖南。

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