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 出てく方の俺は、聖南との新しい生活にドキドキウキウキしてたけど、見送った方の父さん母さんはしばらく寂しがっていたらしい。  「嫁に出した気分」── あながち間違ってないだけに気まずくて、溢れそうだった涙が引っ込んだ。  俺、男なんだけど……。家でも外でも関係なしに根暗オーラ出しまくって、典型的な〝将来が心配な息子〟だったと思うんだけど……。  それでも、父さんと母さんは寂しがってくれてたんだ。  「寂しいね」って言い合う二人を想像すると、別の意味でうるうるしちゃいそうになった。  引っ込んだばかりの涙が、瞳の奥に溜まっていく。  理解が早くて「息子がもう一人増えた」って言って喜んでた母さんも、あんまり口数の多くない父さんがシュンとしちゃってたことも、自分のことで精一杯だった俺は何にも気付けずに居た。  出てった後のことを、それこそ春香に教えてもらうまで省みもしなかった。 「お母さんは葉璃たちのこと知ってるけど、お父さんは知らないでしょ? だからセナさん、ちゃんと言葉選んでたよ」 「そう、なんだ……」 「帰り際、私にだけこっそりこう言ってたけどね」 「…………?」  口元に手を当てた春香が、ニッと笑う。それは何となく、ミステリー小説で犯人を先出しする時みたいな、いたずらっ子ぽい表情にも見えた。 「「葉璃パパには改めて殴られに来るから、それまでは内緒にしてて」って」 「…………っ!」 「いいなぁっ! 私もあんな溺愛彼氏ほーしーいぃぃーー!!」  春香は毎度おなじみになったセリフを小声で叫びながら、その場で足をバタバタさせて悶えた。  そんな春香をよそに、俺は唇を震わせてこっそり照れる。下を向いた拍子に、今度はニヤつくのを堪えて妙な顔をした俺が画面に映った。  ホントは布団の上を転げ回って喜びたいけど、春香の手前我慢してるって表情だ。  だって……だって……。  俺の知らないところで両親に頭を下げただけじゃなく、まさに世間で言う〝娘さんをください〟的な場面を予感させることを、春香に言ってたなんて聞いたら……。  まだ何も知らない父さんに殴られる覚悟で来る……その意味が分からないわけない。  ほっぺたがだらしなく緩んでしまうのも、しょうがない、でしょ。  一緒に住むための準備を着々と進めてた時みたいに、聖南は俺には何にも言わないで筋を通そうとしている。  少しくらい相談してくれてもいいのに、と以前の俺なら少しだけ不貞腐れてたかもしれない。  二人のことなのに水くさいよって。  でも……今は違う。  俺がどんなに一人でぐるぐるしたって、聖南を守ることはできない。導き出す答えが、いつもロクでもないことだからだ。  だったら、聖南に任せてよう。苦渋の決断だった別居を決意してくれた聖南の気持ちを、俺は大事にしたい── そう思えてる。  それに、俺は知ってるんだ。  聖南は物事の大小に関わらず有言実行する男だ、って。 「……る、葉璃ー?」 「…………」 「おーい? 目開けたまま寝ちゃったのー?」 「…………」  ただ、あんまり浮かれ過ぎてもよくない。どこかで歯車が狂ってぬか喜びに終わったら立ち直れないし、その時をワクワク待つっていうのも俺の性格上ありえない。  だから、今のは聞かなかったことにしよう。  忘れてるくらいがちょうどいいのかもしれない。  ……さすが俺。自分でもビックリのネガティブさだ。 「ちょっと、葉璃ってば。そろそろ帰ってきてよー」 「んっ? えっ?」 「あ、やっと目が合った。葉璃って、時々自分の世界に入っちゃうよね。そういうとこ昔から変わんない」 「ご、ごめん……っ」  ずっと俺に無視されてた春香は、「慣れてるから別にいいけど」と唇を尖らせた。  全然いいと思ってない表情に、俺はバツが悪くなって肩を竦める。  考え込むと周りの音も声も聞こえなくなるの、俺だって何とかしたいよ。  この悪癖のせいで、これまでもいろんな人にいっぱい迷惑かけちゃってるもんな。  一番の被害者である聖南だけは、唯一俺のぐるぐるを面白がるんだけど。 「ねぇねぇ葉璃。私たち今週末がツアーファイナルなんだよ」 「えぇっ!? そうなの!? ごめん、日程をまったく把握してなくて……!」 「ううん、それは全然構わないの。葉璃にお願いっていうか、お誘いしたいことがあってさ」 「え……お願い? お誘い……? イヤな予感……」  春香がハツラツと俺の部屋に入って来た時から、おかしいと思ってたんだ。  聖南の内緒話や、しんみりと父さん母さんの話をしに来たわけじゃないって、なんでもっと早くに察知しなかったんだろ、俺。  春香の〝お願い〟も〝お誘い〟も、言葉通りイヤな予感しかしない。  似たような展開、知ってる雰囲気、予感が的中した後のことを考えると、背中がゾクッと震えた。  やっとの事でデッカい極秘任務を終えたのは、ついこの間のこと。  それなのにまた緊急任務? スパン早くない? と、俺はつい春香を冷めた目で見てしまった。 「別に難しいお願いじゃないよ! 無駄に構えるのやめて? おんなじ顔して睨まれても何にも怖くないよ?」 「だって春香のお願いって大体が大変なことなんだもん……」 「今までは、でしょ! 今回は全然違うんだって!」 「……ホント? 俺に拒否権ある?」 「聞く前から拒否する気満々じゃないの!」 「だって……」  そんなこと言われたって、春香はいつもいつも俺に「NO」と言わせてくれないじゃん。  仕方ない状況だったり、断ったらあとが怖いみたいな心境になって結局引き受けちゃう俺も俺なんだけど、聖南へのサプライズライブ以外はどう少なく見積もっても「大変」の一言に尽きる。  精神的にも肉体的にも、今の俺に春香のお願いを聞く余裕は無いもん。  憤慨してる春香には悪いけど、ここはキッパリと拒否する姿勢を見せておかないと。 「マジでそんなに大したことはないんだって。まずは聞きなさいよ、ね?」 「……分かった」 「よろしい。……あのね、私たちツアーを完走したら、翌週からまたレッスンが始まるんだけど。葉璃、レッスン見に来ない?」 「うん、……えっ?」  想像していた任務まがいのお願いとはかなり趣きの違う内容に、逆にビックリしちゃった。  ドヤ顔で「ほらね」と言わんばかりの春香は、してやったりなんだろう。  お気に入りの椅子から立ち上がって、俺の目の前まで近付いてくる。 「仕事、毎日遅いわけじゃないんでしょ?」 「そ、それはそうだけど……! でも相澤プロには……っ」 「Lilyと鉢合わせることを心配してるなら、佐々木さんが私たちとレッスンが被らないように時間調整してくれてる。葉璃がスタジオに来たとしても、あの子たちと接触するなんてことは絶対に無いよ」 「う、うん……」 「ね? みんなも葉璃に会いたがってるし。遊びに来る感覚でおいでよ!」 「う、うん……?」 「やった! じゃあ決まりね!」  あ、ウソ……!  やだやだ。頷いただけなのに、返事したことになってる……!?  春香は、俺の「うん」を勘違いしてパチパチと手を叩いて喜んじゃっている。  ていうか俺、相澤プロに移籍したLilyと鉢合わせるのがイヤだってわけじゃない。memoryのみんなとは会いたいし、直接「ツアーお疲れ様」を言えるなら俺の拒否権は行使しないままでいい。  でもまぁ、実際にLilyのメンバーと鉢合わせて平常心でいられるかって言われると、正直自信は無い。  好きも嫌いもなくて、単純に会いたくないだけだ。  ……って、なんかこれ……誰かに対する気持ちに似てるな。 「それじゃ、レッスン日と時間が決まったらすぐに報告するね! ああっ、楽しみー! あっ、みんなにも教えとかなきゃ! じゃね、葉璃! おやすみー!」 「えっ、おやすみーって急だね? ……もう居ないし」  ほとんど一人で喋っていた春香が居なくなって、シン……と静まり返る室内。  気付いたら、賑やかな同い年の姉の姿はもうそこにはなかった。

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